4-2 謎の修羅場

 どこか不満げに唇を尖らせる彼女は、美影ではなく結乃の姿をじっと見つめている。何となく、嫌な予感がした。見えない火花が散っているような、そんな感覚。

 きっと気のせいだろうな、と信じたかった。


「ボクもたまにはお弁当にしようと思ってね。料理は得意じゃないけど、流石にダークマターって訳ではないから」

「……何ですか、それは。もしかしなくても結乃のことが言いたいんですか。っていうかいつから聞いてたんですか」


 弁当を片手に得意げな笑みを浮かべる汐音に、思い切りジト目を向ける結乃。

 やはりどう考えても火花が散っていて、美影は逃げるように視線を逸らした。


「ごめんね。結乃ちゃんのことは嫌いじゃないんだよ。でも、美影ちゃんと先に仲良くなったのはボクなんだ。抜け駆けは良くないと思うなぁ?」

「でも結乃は、森山先輩にすっごく助けられたんです。しかも家族ぐるみで。だから別に良いじゃないですか、旅行したって」

「うん。その辺の事情は美影ちゃんや紡くんからなんとなく聞いたよ。でも、ボクだって美影ちゃんに救われたんだ。もっとお礼がしたいし、何より仲良くなりたいと思うのは普通のことでしょ?」


 言って、汐音はちらりと美影を見つめる。

 目が合うと、迷わずウインクを放ってきた。


(いやいやいやいや、何この状況……?)


 美影はただ、唖然とすることしかできなかった。

 紡のヒロイン二人がバチバチと火花を散らしている。それだけ言うと、普通の状況に思えるだろう。

 しかしバチバチしている理由が紡ではなく美影だった――なんて。

 まったくもって、意味のわからないことになってしまった。


「……瀬崎先輩……」


 と、思ったのだが。

 紡の名前を聞いた途端に、結乃の目つきの鋭さが弱まってきた。

 何か悩んでいるように顎に手を当ててから、やがて小さく呟く。


「じゃあ…………瀬崎先輩も誘ってみますか?」


 ――ピキリ、と。


 さっきまでのバチバチ感とは違う、別の何かに触れる音がした。

 恐る恐るといった様子でこちらを見つめてくる、結乃の牡丹色の瞳。

 明らかに瞬きが多くなり、言葉を探しているように口を噤む汐音。

 そんな二人の姿を見ている自分は、いったいどんな表情をしているのだろう? 先ほどとは別の意味でやばい空気になったのは、美影にだってもちろんわかる。しかし、そのやばい空気の中には、確かに自分の姿も存在しているのだ。


 汐音と仲良くなって、結乃と打ち解けて。それから、どうしたいのか。

 今度は陽花里との距離を縮めたいのか。


 それとも――意を決して、紡に近付いてみたいのか。


「…………わ、わたっ、私は、賛成……かな」


 とりあえず、冷静に返事をしてみよう。……と思ったらこれである。噛み噛みだし、声は裏返るし、意識しているのがバレバレだ。

 恥ずかしくなって、美影はすぐに目を伏せる。


「森山先輩……も、もしかして……」


 すると、結乃が驚いたように目を丸くさせ、こちらをじっと見つめてきた。

 透かさず、美影の中の「やばいやばい」が加速する。だって、あからさまな態度を取ってしまった直後に「もしかして」と言われてしまったのだ。

 まだ結乃や汐音と仲良くなったばかりなのに、早くも恋のライバル認定をされてしまうかも知れない。


「あー……その、ええっと。せっかく旅行に出かけるんだから、数は多い方が良いかなぁって思って」

「……やっぱり」


 確信を得たような結乃の表情に、美影はビクリと背筋を伸ばす。

 そして、


「久城さんも誘いたいっていうことですよね?」


 と、結乃は自信満々に言い放ってきた。


「へぇっ?」


 思わず、美影は素っ頓狂な声を上げる。

 さっきまでのやばい空気はどこへやら、結乃は「わかります」と言わんばかりにうんうんと頷いていた。その隣で、汐音の表情も自然と解けていく。


「あぁ、そういうこと。二人とも、久城さんのファンだったね。なるほど……紡くんを利用して一緒に旅行しようっていう魂胆か」


 腕組みをしながら、「なるほどねぇ」と繰り返す汐音。

 確かに、美影と結乃は陽花里のファンだ。「陽花里と一緒に旅行する」なんて、考えるだけで鼻血ものである。実際、結乃の頬は徐々に朱色へと染まっていった。


(久城さんと旅行……。しかも、あわよくば瀬崎くんとも仲良くなれるかも知れない……)


 これはまさしく、美影にとって一番ありがたいイベントだ。

 汐音や結乃との仲を深めつつ、陽花里や紡との距離が近付くかも知れない。


 そして何より、友達と旅行できる日がくるなんて。

 嬉しすぎて、美影の表情はついつい緩んでしまう。


「森山先輩、嬉しそうですね?」

「いやいや、まだ久城さんや瀬崎くんと行けるって決まった訳じゃないからさ、うん。……そ、そういえば、最初はりんちゃんと三人で行きたいって言ってたけど……」

「うーん……学校の皆と行きたいって言うと、お姉ちゃんも遠慮しちゃうかも知れないですね。お姉ちゃんとの旅行はまたの機会にするとして……」


 美影を見て、汐音を見て、また美影を見て。

 結乃は小さく息を吸う。


「とりあえず、今日の放課後に……聞いてみましょうか」

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