第四章 推しと温泉に行く私
4-1 色んな意味で勝てない
あれから一週間後。
一年間の沈黙を続けていた『ゆのりんちゃんねる』は、「皆様へ大切なお知らせ」という動画を投稿するとともに、SNSも更新。今まで失踪してしまっていたことに対する謝罪と、これからの活動方針についての説明がされる――と、一気に動画やSNSのコメント欄がお祭り状態になった。
失踪に対する批判の声はほとんどなく、代わりに溢れるのは「ありがとう」の声ばかり。もちろん美影もそのうちの一人で、「まぁ、私は直接本人に伝えられたんだけどね?」という謎の優越感に浸っているのは内緒の話である。
そんな美影の毎日は、汐音と結乃という二人の女性と打ち解けられたことにより、少しずつ――というよりも、かなり変わりつつあった。
まず、汐音だけではなく結乃とも昼休みを過ごすようになり、一緒に屋上で弁当を食べるようになったのだ。確か動画内では「料理は苦手」だと言っていたが、練習するようになったのだろうか。
「そんな訳ないじゃないですか。母の手作りですよ」
と思ったら、そんな訳ではなかったらしい。
どこか遠い目をしていて、投げやりな口調だ。
(ダークマターゆの、かぁ……)
当時呼ばれていたあだ名を思い出し、美影はニヤリと頬を緩める。
すると結乃が何かを察したのか、愛らしく頬を膨らませた。
「もしかしてダークマターのこと思い出してます?」
「……い、いやいやそんな。目玉焼きですら真っ黒にしちゃうことなんて思い出してないよ」
「ほらぁ、やっぱり思い出してるじゃないですかー」
不満たっぷりにこちらを睨み付けながら、怒りを露わにする結乃。
しかし、童顔で大きなたれ目が特徴的な結乃が怒ったところで「可愛い」という感想しか出てこなかった。
「何でニヤニヤしてるんですか、まったくもう」
「ごめんね。ダークマターゆののこと、思い出して」
「繰り返さなくて良いですから! そ、そんなことより、結乃は森山先輩にお話ししたいことがあるんですよっ」
結乃は無理矢理話題を逸らすように声を荒げながら、大きな牡丹色の瞳をこちらに向ける。こうして接しているとただの可愛らしい後輩だが、冷静に考えると大好きな配信者と会話をしているのだ。「お話ししたいことがある」なんて改めて言われると何だか照れてしまう。
「結乃、森山先輩にお礼がしたいと思っているんですよ」
「お礼……?」
「何でそんなにも不思議そうな顔をするんですか。森山先輩は、結乃達に『ゆのりんちゃんねる』として復活するきっかけをくれたんです。もっと胸を張っても良いんですよ?」
「…………私、胸……ないから」
「え……どうしてこんな時に自虐を……? いえっ、あの……大きくても変に目立つだけで色々な苦労があると言いますかっ」
「あ、うん、ごめんね。ちょっと照れ隠しっていうか、褒められ慣れてなくて。つい誤魔化しちゃった」
言いながら、美影はついつい結乃の豊満な胸を凝視する。
結乃には結乃の苦労がある、というのはもちろんわかっているつもりだ。でもやはり、どうしても脳裏によぎってしまうのは「羨ましい」という酷く単純な感想だった。ただでさえ可愛らしい容姿なのに、その上小柄で、声も可愛くて、性格も清楚で……。考えれば考えるほどに、結乃は無敵な人だと思えてくる。
今なら、汐音に「貧乳オーラを感じる」と強い仲間意識を持たれた理由がよくわかる気がした。
この子には、色んな意味で勝てそうにない。
「先輩?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃって。それで、何の話だっけ?」
苦笑しながら、美影は誤魔化すように話を振る。
すると、結乃は前のめりになって美影を見つめてきた。
「あのっ、先輩! その……今回のことのお礼に、結乃と旅行をしませんか!」
結乃の瞳に、美影は一瞬で吸い込まれそうになる。
結乃の提案はあまりにも突拍子のないものだった。百歩譲って「お礼がしたい」のはわかる。でも、何がどうしてそこから「旅行」という発想になったのだろう。
「えっと……。それは、結乃ちゃんと二人きりってこと?」
「……た、多分」
「多分っ?」
「すみません。実は、ついさっき思い付いたことなんです。できればお姉ちゃんと三人で行きたいって思うんですけど、まだ家族にも話してなくて……」
だんだんと、結乃の瞳は自信なさげに伏せられていく。
あまりにも弱々しくて、このままでは「やっぱり何でもないです」と言われてしまいそうだった。美影は慌てて口を開く。
「わっ、私で良かったら…………良いよ?」
結乃の様子を窺うように、美影はコテンと首を傾げてみせる。
らしくもない、あざといポーズをしてしまった。恥ずかしくなって、美影はすぐに視線を彷徨わせる。
「ご、ごめんね。私、友達と旅行とかしたことなくて……。恥ずかしながら、色々と慣れてないんだけどさ」
まぁ、友達と呼べる存在自体、今までいなかったんだけど。
……とはもちろん言えるはずもなく、美影は愛想笑いを零す。
「……友達……」
すると、結乃は両頬に手を当てながらぼそりと呟いた。
心なしか、表情は嬉しそうに高揚しているように見える。
「結乃、森山先輩と仲良くなりたいって思っていたんです。だから、先輩がそう言ってくれて嬉しいです」
「そ、そっか。……えへへぇ」
思った以上に素直な気持ちを伝えてくる結乃に、美影は思わず気持ち悪い笑みを零してしまう。しかし、美影は慌てて口元を押さえた。
「どうしたんですか、せんぱ…………あ」
急に口元を押さえたのを不思議に思ったか、結乃が首を傾げる。……いや、正しくは傾げようとした、だろうか。
結乃の視線の先には、美影ではない人物がいた。
「その旅行、ボクも混ぜてくれないかな?」
スレンダーな身体つきに、セーラー服のスカーフは緑色。菫色の癖毛ショートヘアーに、黄金色の猫目。そして何より、一人称が「ボク」であるということ。
「鈴原先輩っ? い、いつからそこに……」
考えるまではなく、そこには汐音の姿があった。
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