3-9 彼女達の覚悟

 言ってしまってから、美影は目を伏せた。

 やってしまった、と言わんばかりに自分の顔が強張っていく。


 失踪したあとも、ゆのとりんはあの頃のように仲良くしている。

 その事実だけで充分ではないか。それなのに、どうして――目の前でちょっと会話を聞いただけで、心がぐわんぐわんに揺れてしまうのだろう。


「私、『ゆのりんちゃんねる』が好きなんです」


 その答えは、いとも簡単に自分の口から発せられていた。

 結局のところ、「助けられた」だの「元気をもらっていた」という言葉はただの綺麗ごとなのだ。

 美影がずっと結乃のことで頭を抱えていた訳。

 それは、ただ単に好きだからだ。「ゆの」と「りん」の仲の良い姉妹の会話も。二人で実況している時よりは落ち着いた、それぞれのソロ実況も。全力でゲームを楽しんだり、白熱するあまりに言葉遣いが汚くなってしまった時には「敬語縛り」なんてルールを設けたり。自分達にとっても、視聴者にとっても楽しい場所を作ってくれた。

 そんな『ゆのりんちゃんねる』という居場所が、美影は大好きだったのだ。


「私と同じ気持ちの人は、今でもたくさんいます。……見てください。これなんて、たった一時間前のコメントですよ」


 スマートフォンで『ゆのりんちゃんねる』の動画を開き、コメント欄を結乃に見せる。目を背けられたらどうしようと一瞬だけ思ったが、結乃は素直にスマートフォンの画面を見つめてくれた。


 それから、


「知ってます」


 ぽつりと、何でもないことのように結乃は言い放つ。

 美影が「え?」と聞き返すよりも早く、結乃はぎこちない微笑みを浮かべた。


「森山先輩は、意外にもお馬鹿さんなんですね」

「…………ほぇ?」


 今度こそ、美影は聞き返す。

 結乃の言葉があまりにも予想外だったせいもあるが、きっと美影は酷くアホな表情をしているのだろうと思った。


(結乃ちゃんに言われたのは馬鹿だけど)


 なんちゃって、と美影は現実逃避をする。

 確かに動画内で「お馬鹿さん」というワードは時々発していたが、まさか自分に言われる日がくるとは思わなかった。思わず、へらへらとした笑みが零れそうになる。

 しかし、


「結乃は……結乃達は、大きな覚悟を決めてここに来たんです。森山先輩に謝ることも大事なことでしたが、それ以上に……覚悟がいることなんです」


 美影の表情は、結乃に釣られるように真面目なものへと変わっていった。

 その意味がわかりますか? と、結乃の牡丹色の瞳がこちらへ向く。

 美影は自然と頷いていた。むしろ、ここで頷けなかったら本当に「お馬鹿さん」になっていたことだろう。


 ざわざわと、徐々に心が騒ぎ出す。

 決して嫌なものではない高揚感に、美影は息を呑んだ。


「結乃にはずっと、勇気がなかったんです。一年前、ぽっきりと心が折れてしまって、もう二度と戻ることなんてできないと思っていました。当時、お姉ちゃんは『結乃一人でも続けて良いんだよ』って言ってくれました。お姉ちゃんが退院した時も『少しずつ復帰してみようか』って、チャンスをくれたんです」


 呟きながら、結乃は力なく笑う。

 まるで情けないことのように言う結乃に、美影はすぐさま首を横に振った。すると、結乃の笑顔はますます弱々しいものになってしまう。


「ごめんなさい。お馬鹿さんは結乃なんです。視聴者さんも、お姉ちゃんも、皆……同じ気持ちで……。ただ、逃げていたのは結乃だけでした。ほんの少しの勇気がないだけで、結乃は大事なものから目を背けていたんです」


 震えを帯びた声で言い放ってから、結乃はやがて小さく息を吸った。

 最後の覚悟を固めたように、結乃は美影を見据える。



「結乃は、お姉ちゃんとまたゲーム実況がしたいです。皆とまた、楽しい時間を過ごしたいんです」



 結乃が言い放つとともに、りんがタイミングを見計らったように「ということなんだ」と付け加えた。

 その声はあまりにも優しいものに感じられて、美影は思わず表情を隠すように俯く。さっきからりんが言葉を挟まなかったのは、姉として結乃を見守りたかったからだろう。

 美影にはりんの表情はわからないけれど、きっと温かい微笑みを浮かべているのだろうと思った。


「ありが、とう……」


 俯いたまま、美影は微かな声を漏らす。

 ごめんなさいとありがとうを伝えられたら、それで充分だと思っていた。なのに、現実は美影の想像を遥かに超えるものだった――なんて。

 信じられなくて、気持ちがふわふわと宙に浮いてしまう。


「森山先輩。それは結乃達のセリフなんですよ」


 囁くように言ってから、結乃は「ね、お姉ちゃん?」とりんに訊ねる。

 りんは透かさず「そうそう。私達が向き合うきっかけをくれたのは森山さんなんだから」と返事する。


 そして、


「ありがとう」


 重なる二つの声は、温かな光となって美影の心に溶け込んでいった。

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