5-3 ヘタレ系主人公

 美影は目元を拭い、小さく「よしっ」と呟く。

 桜士郎と向き合うために、自分が今すべきこと。

 それは、


「瀬崎くん……」


 瀬崎紡。

 美影が自分を変えるきっかけになった、張本人。


 彼にはまだ、伝えなければいけないことがある。

 今の自分がいるのは紡のおかげなのだと、ちゃんとお礼を言わなければ前には進めない。もちろん、本心を伝えるためには紡と陽花里の会話を盗み聞きしてしまった事実も伝えなければいけなくなるが……きっと、紡なら受け止めてくれるだろう。

 なんてったって、汐音や結乃、陽花里が惚れた人なのだ。胸から溢れる謎の安心感の理由なんて、考えなくてもすぐにわかる。


「『明日のお昼、瀬崎くんを借りても良いかな? 告白とかじゃなくて、お礼を言いたいってだけなんだけど』……っと」


 思い立つや否や、美影はすぐに汐音と結乃、陽花里の三人にメッセージを送った。三人の反応は三者三様で、汐音が「へぇ。あとで詳しく聞かせてね?」と興味津々で、結乃が「そんなのわざわざ聞かなくても大丈夫ですよ!」と、文面だけでは特に気にしていない様子(しかし、いつも返信が早い結乃にしては珍しく三人の中では一番遅い返信だった)。

 陽花里は「だったら明日、紡にそれとなく伝えておこうか?」という正妻の余裕たっぷりの返信で、美影は思わず乾いた笑いを浮かべてしまった。ちなみに、正妻とはアニメなどにおいて主人公と最良の関係にあるヒロインのことである。だってもう単なる両想いですし、なんて当たり前のように思ってしまう。

 果たして、汐音と結乃が入っていける隙があるのか。美影にはわからないが、そこは友人としてサポートしていきたいと思っている。


(って、今は人の心配をしてる場合じゃないか)


 小さく苦笑を漏らしてから、美影は一人、両頬を叩いて気合いを入れる。

 悩んでいる時点で前に進もうとしているのだと気付かせてくれた紡のために。

 そして、桜士郎と向き合うために。


 明日、美影はもう一歩だけ前へ進む。



 ***



 きっと、まだ誰も教室にいないのだろうと思った。

 それくらい、美影はいつも以上に早起きをして、そわそわとしたまま家を飛び出してしまったのだ。帰宅部なのに何をそんなに急ぐのだと、自分自身に突っ込みを入れたいくらいの早い登校。一人で教室にいても逆に緊張が高まるだけだぞ、と思っていた――のだが。


「さっ、ささ、西連寺くんっ」


 ――あれ、おかしい。


 何も考えずに教室に入ったらぽつりと桜士郎が席に座っていて、琥珀色の瞳を見つめた途端に鼓動が跳ね上がってしまった。それはもう馬鹿みたいに胸の高鳴りが止まらなくなってしまう。

 声は裏返るし、咄嗟に視線は逸らしてしまうし、もう滅茶苦茶だ。


(待って待って待って、とりあえず落ち着いて、私……っ)


 必死に胸を押さえ、桜士郎と目を合わせようとする。

 すると何故だろう。「まるで、物語の主人公のように思っているんです」と真剣な顔で言ってくれた桜士郎の姿がフラッシュバックされて、ますます鼓動が速くなってしまった。


 これはいったいどういうことなのだろう。

 屋上で紡と陽花里の会話を聞いてしまった直後、美影は確かに紡のことを意識していたし、思わず目で追ってしまっていた。でも、あの時のドキドキの比ではないのだ。苦しくて、ふわふわして、とにかく落ち着いていられない。


(わ、わかった! 主人公って言ってくれたのが嬉しかったのはわかったから! それより今は昨日のことを謝らなきゃだから! しっかりして、私っ)


 完全なる挙動不審な人になりながら、美影はなんとかして桜士郎に近付く。すると、美影より先に頭を下げられてしまった。


「森山さん。昨日はすみませんでした。突然あんなことを言ったら驚かれることはわかっていたのに……。本当に、申し訳ありません」

「えっ、いや……わ、悪いのは私の方で……。だから、その……ごめんなさいっ! 昨日のことは、逃げた私が全面的に悪いから」

「いえ、違います。私の責任ですから、頭を上げてください」


 釣られて頭を下げる美影の耳に、桜士郎の冷静な声が響く。

 恐る恐る顔を上げると、想像以上の困り眉な桜士郎の姿があった。


「いや、その、私が悪くて……」

「いえいえ、私の方が……」


 やがて、二人して手をブンブンと振り合う。

 昨日あんなにも大泣きしたとは思えないほどに呆気ないやり取りだった。なのに相変わらず鼓動がうるさいものだから、意味がわからない。


「あっ、あ、あの! 西連寺くんっ」

「は、はい。何でしょうか……?」

「今日の放課後、昨日のリベンジをしても良いかな? いや、今も二人で話すチャンスだとは思うんだけど、ホームルーム前だとずっと二人きりって訳にもいかないだろうから……っ」


 あと、紡に対しての決着をつけてから向き合いたいから、と心の中で付け足す。しかし鼓動の高鳴りばかりが前へ前へと進んでいくため、変な表情になっていないか心配だ。こんな状態が放課後まで続くのかと思うと、今すぐ昨日の続きをした方が良い気もする。


「ありがとうございます」

「へっ?」

「私にチャンスをくださって、ありがとうございます。凄く嬉しいです」

「…………っ!」


 ――無理無理無理無理やっぱり今は無理少し休憩させてぇっ!


 うっすらと頬を染めながら微笑む桜士郎に、美影の胸の高鳴りは限界を迎えてしまったようだ。「ひええぇ」という悲鳴ばかりが頭に浮かび、


「じゃ、じゃあ、そういうことだから!」


 と、そそくさと自分の席に着いてしまった。

 ちゃんと放課後の約束はしたのだ。だからこれは逃げではないと、自分自身に言い聞かせる。


 前に紡のことを鈍感系主人公だと思ったが、自分だってヘタレ系主人公だな、と苦笑する美影だった。

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