5-2 もう一人の私
「少し前まで、私は森山さんのことを物静かな方だと思っていました。その印象が変わったのは、久城さんにファンだと告白された時です。緊張しているのは表情からよくわかりました。だからこそ、勇気を出して告白している森山さんが輝いて見えたんです」
「か、輝いて……?」
あまりにも自分とはかけ離れた言葉を桜士郎が言うものだから、美影は動揺たっぷりに聞き返してしまう。桜士郎はまたしても「はい」と力強く返事をし、言葉を続けた。
「あのあと、鈴原先輩を必死になって探したり、作島さんのことを気にかけて、一生懸命向き合ったり……。久城さんとも温泉旅行をきっかけに友達になったと、紡から聞きました」
「……久城さんの件は、鈴原先輩と結乃ちゃんも一緒にいたからで」
「だとしても、です!」
桜士郎はどこか興奮気味に顔を寄せてくる。
美影のことを「輝いて見えた」と言ってくれた桜士郎だが、彼の琥珀色の瞳こそキラキラと輝いて眩しいほどだった。
「最初、私は森山さんのことを『変わろうとしている人』だと思って見ていました。でも、それだけではなかったんです。鈴原先輩も、作島さんも、久城さんも、それから……紡も。森山さんは、たくさんの人の心を救っています」
思わず、美影は反射的に「いやいやそんな」と言いたい衝動に駆られた。でも、桜士郎の瞳があまりにもまっすぐで、美影は何も言うことができなくなる。
「私は、森山さんのことを……まるで、物語の主人公のように思っているんです」
いや――息の仕方すらわからなくなった、と言った方が良いだろうか。
物語の主人公。
少し前まで、地味でぼっちなモブキャラだと思っていたのに。美影のことを「主人公」のようだと思ってくれていた人がいたなんて。
あまりにも信じられなくて、美影は徐々に俯いてしまう。本当は嬉しいと感じなくてはいけないのに、ちくりちくりと胸を刺す痛みが止まらなかった。
自分は、桜士郎のことを今までどう思っていた?
紡の友人キャラだとか、キャラが濃いだとか、それ以外の感情はどこにあった?
桜士郎の名前を呼ぶ時、自分は何度彼の苗字を間違えた?
初めてまともに「西連寺くん」と呼んだ時、彼はどんな反応をしていた?
「…………っ」
覚えていない。
自分は、友人キャラ以上の感情を彼に抱いていなかった。
――そんなの、モブキャラだと思っているのと何も変わらないじゃないか。
「森山さん?」
眉根を寄せながら、桜士郎は美影の顔を覗き込んでくる。
きっと、自分の顔は酷く歪んでいるのだろう。涙だけは流すまいと、さっきから必死に堪えている。
だけど、もう……限界のようだ。
「ごめんなさい……っ」
まるであの頃の結乃のようだな、と心のどこかで思った。
でも、結乃の時と同じように、全面的に悪いのは自分だ。勝手に罪悪感を覚えて、ちゃんとした告白の言葉も聞かないままに逃げ出している。
桜士郎の言う通り、美影は自分を変えようとしていた。
だけど結局、根っこの弱い部分は何も変わらないのだ。逃げて逃げて、本当にこれで良かったのかと心が叫んでも、戻る勇気すらなくて逃げ続けてしまう。
本当に自分は馬鹿だな、と美影は思った。
***
自室に着くと、美影の瞳からは涙が溢れ出た。
変わるきっかけを見つけて、必死に駆け出して。だけど結局、あまりにも予想外の出来事に遭遇するとすべてが崩れて落ちてしまう。
なんて情けないのだろう、美影は思った。
「ぐずっ…………はぁっ」
ベッドの端っこに縮こまり、枕をぎゅっと抱きしめる。
これは上手く学校に通えなかった時に美影がよくしていた行為だ。どうして自分はこんなにも駄目駄目なのだろうとひたすらに泣いて、泣き疲れたら壁に飾られている二次元の女の子のポスターやタペストリーに目を向ける。そこからようやくアニメや実況動画を観て、少しでも気分を前向きにするのだ。
「…………」
だけど、今の美影はあの頃とは違っていた。
泣き止んでも身動きを取ることができず、代わりに友達の顔が思い浮かぶ。
「ボクを見つけてくれてありがとう」
汐音の進むべき道に寄り添った自分がいて、
「結乃は、お姉ちゃんとまたゲーム実況がしたいです。皆とまた、楽しい時間を過ごしたいんです」
結乃とりん、大好きな二人のゲーム実況者の背中を押すことができた自分がいて、
「あたし、本当はずっと、皆と仲良くなりたいって思ってたの」
クラスメイトとして、友達として、陽花里を見つめることができた自分がいて、
そして、気付けば紡とも普通に話せる間柄になって、恋の相談にまで乗ってしまった。ぼっちだった頃の自分からは想像できないくらい、今の自分はキラキラと輝いている。
そう、桜士郎の言う通り輝いているのだ。
今までずっと、変わろうと必死になりすぎて気付くことができなかった。汐音や結乃、陽花里に笑って欲しくて、ただそのために突っ走っていた。人からどう見られているかなんて、考えたこともなかったのだ。
「そっか。西連寺くんはずっと、私のことを見てくれてたんだ……」
するりと言葉が零れ落ちると同時に、涙が音もなく頬を伝う。もう泣き止んだつもりだったのに、今日の自分は酷く泣き虫のようだ。
自分は今、ショックを受けている訳ではない。むしろ、その逆の感情に包まれている。だって、桜士郎は確かに言ってくれたのだ。
まるで主人公のようだ、と。
ビックリするし、混乱するし、信じられない気持ちになる。
だけど――それ以上に、嬉しくてたまらなかった。
「私……何をやってるんだ」
ぽたりぽたりと、ベッドの上に雫が落ちる。嬉しい気持ちと後悔する気持ちが混ざりに混ざって、最早ぐちゃぐちゃだ。
どうして自分は、罪悪感で逃げ出してしまったのだろう。『主人公』だと思ってくれた喜びよりも、『モブキャラ』だと思ってしまっていた苦しみが勝ってしまったのだろう。
本当だったら、すぐにでも学校に戻って桜士郎の元へと向かうべきだと思った。
だけど、彼はまだ学校に残っているだろうか? 彼が部活動をしているかどうか、それすら美影は知らない。でも、美術部にモデルを頼まれたり、紡のサッカー部を見学していたりした彼の姿を思い返すと、きっとどこの部活にも所属していないのかも知れない。
(だったらもう、帰宅してるかな)
きっと、今から学校まで駆け出せたら格好良いんだろうな、と思った。
まさしく、美影とは縁遠いと思っていた青春の光景。息を切らして彼の胸に飛び込み、「さっきはビックリしちゃっただけなの!」とか言いながら逆告白をして、めでたしめでたし。
――と、言いたいところではあるが。美影はまだ桜士郎のことをそんなに知らないし、いきなり付き合うだの何だのという展開になっても頭がついていかないのが現実だ。
まずはちゃんと、桜士郎と向き合いたい。
それが、今の美影の本心だった。
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