3-2 私にしかできないこと
「……ごめんなさい。西連寺くん」
「いえ、良いんですよ。森山さんはこれからご帰宅ですか?」
「う、うん。……ええっと、瀬崎くん……何かあったの?」
本当は紡のいるサッカー部を観察しようとした、とはもちろん言えるはずもなく、美影は話を逸らす。さっきからずっと、紡の歩き方に違和感があって気になっていたのだ。
すると、紡は恥ずかしそうに頬を掻く。
「ちょっと足を挫いちまってな。ちょうど見学してた桜士郎と保健室に行くところなんだよ。俺は一人で行くって言ったんだけど、桜士郎がついて行くって聞かなくてな」
「ご迷惑でしたか?」
「そ、そうは言ってないだろ。ったく……」
満面の笑みで首を傾げる桜士郎に、困ったように思い切り視線を逸らす紡。
美影は思わず、興味津々で二人の姿を見つめてしまった。男性向けの作品ばかりで乙女ゲームをやらない美影でさえも、二人の会話にニヤニヤしそうになってしまう。
「まー、その。恥ずかしながらそういうことだから、森山さんも気を付けて」
「えっ、あ……。う、うん。気を付ける……よ」
思わず視線を逸らしながら、美影は何とか返事をする。
紡との会話イベントなんて、レア中のレアなのだ。だからもっと視線を合わせたいのに、身体が勝手に紡を避けてしまう。まったくもって困った話だが、こればっかりは仕方ないと美影は苦笑する。
(…………えっ?)
しかし、浮かべた苦笑はすぐに驚愕の表情へと変わっていく。
紡から逃げるように逸らした視線の先には、屋上があった。
少し前まで毎日お世話になっていた屋上だが、放課後に訪れたことは一度もない。だいたい、昼休みの時間以外、屋上は開放されていないのだ。それ以外の時間で利用する場合は、職員室に鍵を取りに行く必要がある。時々ダンス部が使っているらしいのだが、美影が見つけた人影は一人だけだった。
結乃が、金網に手をかけながら天を仰いでいる。
「――森山さんっ?」
ぞわりとした感覚が、身体中を駆け巡る。
紡の驚いたような声が聞こえたような気がしたが、構ってなんていられなかった。何でこんなにも嫌な予感が襲ってくるのか。頭の整理がつかないままに、美影はただただ屋上へ向かって走り出す。
ただの考えすぎかも知れない。
だけど美影は、彼女の事情を少しだけ知ってしまっている。
それもまた勘違いかも知れない。
だけど――やっぱり身体は止められなくて。
走った。
走って走って、走りまくった。
誰かのために駆け出すなんて、まるで汐音の時のようだな、なんて思ってしまう。でも、今はあの時と状況が違う。
もかしたら、一人の女の子の命が懸かっているかも知れない。
だから、美影は躊躇わずにその扉を開いた。
「作島さん! 早まらないで……っ!」
ガシャンと音を立てて屋上の
恥ずかしいとか、緊張するとか、そんな感情はどこかへ吹き飛んでいた。
ただ、伝えたいと思ったのだ。何があったのかは知らないけれど、あなたの実況が好きだった、と。想いを伝えることで運命が変わるかどうかなんてわからない。だけど、自分にできることがあるのならやってみたいと思った。
「? あ、あの…………。何の話、ですか?」
「…………えっ」
――気のせい、だろうか。
美影の声で振り向いた結乃の表情は、想像していたものとはかけ離れているように見えた。ポカンと口を開きながら、唖然とした様子の結乃。
まるで、美影が見当違いの言動をしているかのような反応だ。
「い、今……そこの金網を登ろうとしているように見えたから……。つい、慌てて……」
「あっ」
言い訳をするように放たれた美影の言葉で、結乃はようやく納得してくれたようだ。小さく声を漏らしてから、何度も頭を下げてくる。
「すみません……! 確かにちょっと感傷的にはなっていたんですが、決して飛び降りようとしていた訳ではないんです。屋上に来たのも、お弁当箱を置き忘れてしまったからで……っ」
「あ……そ、そっか。ごめんね、早とちりしちゃって」
苦い笑みを零しながら、美影は結乃に釣られて頭を下げる。そのまま結乃の視線から逃げるようにして俯いてしまった。
恥ずかしいとか、緊張するとか、そんな感情が早くもこんにちはしてくる。
だって、相手はちょっと顔を合わせたことがあるくらいの後輩なのだ。なんて声をかけたら良いのかなんてわかるはずもないし、だいたいこの状況から普通の会話ができる訳もない。
「あの……。久城さんと同じクラスの方、ですよね?」
すると、恐る恐るといった様子で結乃が訊ねてきてくれた。
申し訳なさでいっぱいになりながらも、美影は慌てて返事をする。
「あっ、う、うん。そうだよ。森山美影」
「森山先輩……」
「っ!」
くわっ、と美影は目を剥く。
唐突に放たれた「森山先輩」が、あまりにも破壊力があったのだ。
結乃が美影のことを覚えていてくれただけでも嬉しいのに、更には「森山先輩」とまで呼んでくれるなんて。しかも、小柄でツインテールで胸が大きな可愛い後輩に。思わずニヤニヤと頬が緩んでしまうというものだ。
「あの、森山先輩」
「な、何かな、作島さん」
「結乃は……そんなに、死にそうな顔をしていましたか?」
――お、重い……っ!
ニヤニヤ顔が一気にしぼんでいくほど、結乃は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「……そ、れは……」
言葉が宙に浮いていくと同時に、心がざわつき始める。
死にそうな顔をしていましたか? なんて言葉がでてきてしまうほど、結乃は大きな悩みを抱えているのだろうか。それは『ゆのりんちゃんねる』と関係のある話なのだろうか。
「……作島さん、私」
考えれば考えるほどに苦しくなっていって、思った以上に声が震える。
結乃も、不安げに牡丹色の瞳を揺らしていた。
どうしたら良いのだろう――なんて。
もう、考えている場面ではないのだろうと思った。『ゆのりんちゃんねる』の復帰を待っている人は美影以外にもたくさんいる。でも、同じ学校に通っていて、結乃の正体に気付いているのはもしかしたら美影だけなのかも知れない。
もしも、結乃の悩みに踏み込めるのが自分だけなのだとしたら。
「私、『ゆのりんちゃんねる』のファンなんだ」
動き出すしかない、と思った。
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