5-9 似た者同士の私達

「森山さん」

「……はい」

「こんな私ですが、これからよろしくお願いいたします」


 夕陽に照らされた桜士郎の笑顔が眩しくて仕方がない。

 人はこんなにも嬉しそうな笑みを浮かべられるんだ、と美影は思った。それと同時に、自分も同じような顔ができていたら良いなと美影は願う。


「あの、森山さん」

「…………何でしょう」

「その……抱き締めてもよろしいでしょうか」


 ピクリ、と美影は眉を動かす。

 咄嗟に「友達同士でハグはしない」という言葉が思い浮かんだが、そんなのはただの言い訳だった。ここに流れているのはラブコメ的な空気以外の何ものでもなく、確かに美影と桜士郎はただのクラスメイトから大きな一歩を踏み出したのだ。


「……ん」


 ええいままよと、美影は思い切り目を瞑りながら両手を広げる。

 ややあって、桜士郎の両腕が優しく背中に回された。

 ぎゅっとされるというよりも、手が緊張で震えてしまっている。しかも、桜士郎の胸にちょうど自分の耳が当たってしまって、鼓動の音まで聞こえてきてしまった。


(やっぱり、西連寺くんも緊張してるんじゃ……んっ?)


 自分だけがテンパっている訳ではない。

 そう思うと安堵感に包まれる――のだが、美影は急にくわっと目を剥いた。慌てて桜士郎から離れ、必死の形相で訴える。


「あ……あぁあ…………ぁ」

「あぁっ、すみません! 気持ちだけが前へ前へと進んでしまって、森山さんに無理をさせてしまって……っ」

「いやっ、そうじゃ、なくて……!」


 慌てふためく桜士郎に内心「ごめん」と呟きながら、美影は教室の扉を指差す。美影が桜士郎から離れたのは、何も抱き合うのが嫌だった訳ではないのだ。


 うっすらと開いた扉から覗く、菜の花色の髪。

 あれはどう見ても陽花里のサイドテールの先っぽだった。それに、気のせいか複数の気配を感じる。

 複数……明確に言うと、四人ほどの気配だった。


「あちゃー、バレちゃったか」


 苦笑とともに姿を現したのは、やはり陽花里だった。

 その後ろから、観念したように紡と汐音と結乃も現れる。頭を掻いたりして悪びれている様子だが、四人とも心なしか顔がテカテカしているように見えた。


「帰ろうとしたら鈴原先輩とバッタリ会って、少し世間話をして時間を潰してから教室に戻ってきたのよ。そろそろ桜士郎くんとの話も終わったかなぁって思って。そしたら二人がまだ教室にいて、しかも結乃ちゃんと紡がひっそり覗いてたっていう……」

「…………」


 まるで言い訳をするかのように早口で説明する陽花里に、美影は思わずジト目を向ける。桜士郎ももちろん困惑しているようで、不服そうな視線を紡に向けていた。


「紡。部活はどうしたんですか」

「いや、ちょっと教室に忘れ物をだな……」

「こんな時に忘れ物をしないでくださいよ」

「ご、ごめん」


 いつになく真剣な声を出す桜士郎に、紡は気圧されように身体を縮こませる。その隣で、結乃はますます居心地が悪そうに顔を強張らせていた。


「あ、あの……。結乃は日直だったので少し遅れて教室に来たんです。そしたらすでにお二人しかいなくて……ついつい、覗いてしまいました」

「い、いつから……?」

「ええっと…………西連寺先輩が『好きです』と言った辺りから……」

「うん、最初も最初だねっ!」


 まるで吹っ切れたように明るく突っ込む美影。

 一方で桜士郎は、心底落ち込んでいるように大きなため息を吐いていた。


「あー……はは、やっぱりショックだよね。私もじわじわと心の中で悲鳴を上げてるよ」

「はい、本当に……。もう少しハグをしていたかったです」

「そこなの?」


 首を傾げながらも、美影はどんな表情をしたら良いのかわからなくなる。

 何せ、手を繋ぐことすら勇気がいる行為だったのだ。抱き合って、更にそれを友達に見られてしまっていた――なんて、考えるだけで頭を抱えたくなる。

 だけど、何故か心は温かかった。



「美影ちゃん、ごめんね」


 美影の何とも言えない空気を感じ取ったのか、汐音が眉根を寄せながら謝ってくる。

 鈴原汐音。音楽にコンプレックスを抱いていた先輩。今は音楽と向き合って、更には美影の影響でアニメソングに興味を持っている。


「別に、さっきまでの記憶を抹消してくれるなら良いですよ」

「はは、手厳しいね」

「そんなことないですよ。…………汐音先輩」

「っ!」


 ちょっとだけ勇気を出して名前で呼んでみる。

 そしたら面白いくらいに嬉しそうな笑みを浮かべるものだから、美影は思わず笑ってしまった。先輩なのにどこか幼い雰囲気もあって、一度見つけた夢にまっすぐで、可愛らしい。そんな汐音のことをもっと知りたいと美影は思った。



「ゆ、結乃……ゲーム実況の収録しなくちゃいけないので、そろそろ失礼します」


 じわりじわりと後退りをしながら、結乃が弱々しく呟く。

 作島結乃。姉の事故から心を閉ざしていた後輩。今は少しずつゲーム実況を再開していて、結乃がプレイをして姉のりんが隣で見守る、というのが基本的な実況スタイルになっている。


「結乃ちゃんは、最初から覗き見してたんだよね?」

「う……はいぃ、すみません」

「うーん、それじゃあ罰として……今日の動画収録では語尾に『にゃん』を付ける、でよろしくね?」

「え……。うぅ、わかりました……にゃん」


 可愛い。今の『にゃん』ですべてを許してしまった。

 冗談だよと言いながら頭を撫でると、心の底からほっとしたように息を吐く。やはり可愛いは正義である、と美影は思った。



「あー……、あたしも帰って台本チェックしなきゃだから……」


 恐る恐るといった様子で陽花里が呟く。

 久城陽花里。クラスメイトとの距離感に悩んでいた声優の同級生。温泉旅行をきっかけに本音をさらけ出し、友達として接するようになった。


「あっ、そうなんですね! 応援してます、頑張ってください!」

「え、ちょっと、美影ちゃん……?」

「ああそんなっ、美影ちゃんだなんて恐れ多いです」

「ねぇやめて? 怒ってるのはわかったからここでファンモード全開になるのはやめて?」


 半分涙目になりながら訴えかけてくる陽花里。申し訳ないと思いつつも、あまりにも可愛らしくてニヤニヤとしてしまった。

 同時に、陽花里に対して冗談が言えるようになった事実がどうしようもなく嬉しく思う美影だった。



「その……何だ。良かったな、桜士郎」


 視線を彷徨わせながら紡が呟く。

 瀬崎紡。陽花里の幼馴染で、美影が前へ進むきっかけをくれた人。気遣いの塊のような人だからこそ、あっちこっちでフラグが立ってしまっている(しかし本人は気付いていない)。美影はひっそりと「お願いだから友達を悲しませないで欲しい」と思っている。


「やっぱり、紡は気付いていたんですね」

「そりゃあまぁ、桜士郎はずっと森山さんのことを目で追ってたからな」

「…………」


 さも当然のことのように言い放つ紡に、美影は思い切りジト目を向ける。

 友人の気持ちを察することができるのに、どうして他がまるっきり駄目なのだろう。まったくもって不思議な話があったものだ。


「あぁ悪い、二人きりになりたいよな。じゃ、また明日な」


 そして美影の視線を別の意味に捉えた紡は、そそくさと教室を去っていく。

 美影も紡の言葉に救われた一人だし、決して悪い人ではないことはわかっている。しかし、どうしたら三人の気持ちに気付けるのかと頭を抱える美影だった。



「……また、二人きりになりましたね」

「えっ、あ、うん。そ、そうだね」


 桜士郎の言葉に、美影ははっとなる。

 人の心配をしている場合ではなかったのだと気付き、背筋をピンと伸ばした。


「あー、ええっとぉ……。そ、そうだ! まだ交換してなかったよね?」


 二人きりになった緊張感と戦いつつも、美影は慌ててスマートフォンを取り出す。すると、桜士郎の表情がわかりやすく晴れやかなものになった。


「良いのですかっ!」

「いやいや、そりゃあまぁ……ねぇ」


 何となく「友達」というワードを出すのも違う気がして、美影は口をもごもごさせて誤魔化す。思えば、家族以外の異性と連絡先を交換するのはこれが初めてだった。というよりも、汐音や結乃、陽花里と交換する前は家族の連絡先しか登録していなかったくらいなのだ。

 だから、こうした一歩一歩が美影にとっては嬉しくてたまらない。


「これで、森山さんをデートに誘うこともできますね」

「デ……っ、い、いや、そうだよね……それくらいの覚悟、私にだってできてるよ? というか今も二人きりな訳だし、デートみたいなものじゃない?」

「いえ、これはデートではなく告白イベントです」

「うっ」


 緊張を紛らわすための強がりだったが、すぐに正論を返されてしまった。

 美影は思わず渋い顔になる。告白だのデートだの、やっぱり慣れないことの連続だ。でも、余裕な振りをして桜士郎の頬も赤いし、浮かべる笑みもぎこちない。


「せっかくですし、これから下校デートでもしますか」

「……西連寺くん、声が震えてるよ?」

「あぁ、すみません。あまりにも嬉しくてつい張り切ってしまうのですが、私の心臓もそろそろ限界で」

「うん、わかるよ。すっごくわかるから安心してね、西連寺くん」


 笑顔のぎこちなさを加速させる桜士郎に、美影は小さく微笑む。



 自分と桜士郎は、やっぱり似た者同士だ。

 元々は引っ込み思案で、アニメや漫画、ライトノベルなどの物語にたくさん救われて、恋愛どころか友達関係もまだまだ慣れていない。

 だけど本当は前に進んでみたいと思っていて、そして――。


 こうして、向き合っている。


 ふわふわと宙に浮くような胸の高鳴りも。

 気を抜いたらあっちこっちに動きそうになってしまう視線も。

 嬉しくて、でも恥ずかしくて、胸がいっぱいで――混乱するくらいに混ざり合う感情も。


 いつか、慣れる日がくるのだろうか?

 今はまだわからないけれど、そこにあるのは不安以上のわくわくだった。


 桜士郎が自分を見つけてくれたから。

 今度は自分が、桜士郎のことをたくさん知っていきたいと思った。



 森山美影。

 瀬崎紡ラノベの主人公の言葉がきっかけで大きな一歩を踏み出した少女。


 西連寺桜士郎。

 自分を変えようと奮闘する森山美影ラノベの主人公に恋をした少年。



 ラノベの主人公に心が動かされた私達の物語は、これからも少しずつ続いていく。

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