5-7 ただのオタク

「自己満足にされたら困るよ。嬉しいって思った私の気持ちはどこへ行くのって感じだから」

「……それは、つまりどういう…………?」

「えっ、あ……ちょ、ちょっと待って。違うんだよ」


 小首を傾げる桜士郎の瞳が、期待の色に染まる。

 今、美影は桜士郎に告白をされたのだ。「嬉しい」とか「ありがとう」とか、それだけではなくて、もっと別の言葉を伝えなければならない。向き合うということはつまりそういうことなのだと、桜士郎も思っているに違いない。

 だからこそ、美影は申し訳なさいっぱいに目を伏せた。


「私、西連寺くんのこと……まだそんなに知らないからさ。だから、まずは西連寺くんのことを知ることから始めたいって思うんだけど……ど、どうかな……?」


 恐る恐る、美影は顔を上げる。

 散々期待させておいてこの返事の仕方では、さぞかし残念な気持ちにさせてしまうだろう。思わず顔も強張ってしまうというものだ。

 と、思っていたのだが。


「……反則です……」


 何故か桜士郎は、心底嬉しそうに瞳を輝かせている。「反則」の意味もまったくわからず、美影はそのまま首を捻ってしまった。


「ええと、いったい何が……」

「……すぎるんです」

「え?」


 桜士郎にしては珍しくぼそぼそと喋るものだから、美影は思わず訊き返す。すると、桜士郎の頬がほんのりと赤く染まったような気がした。


「ですから、可愛すぎるんです。上目遣いとか、そのまま首を傾げるとか……色々と反則だと思うんです」

「…………っ」


 ――私が、可愛い……?


 あまりにも意味がわからなすぎて、美影はカチコチに固まってしまう。

 可愛いという言葉は、陽花里や汐音、結乃にこそ相応しい言葉だろう。美影なんて眼鏡だし、地味な黒髪だし、髪の長さも中途半端なセミロングだし、身長も高くも低くもない百五十八センチだし、スタイルに至っては貧乳である。唯一言えるチャームポイントといえば、瞳が大きめなところくらいだ。

 自分が可愛いと言われる要素はどこにもない――と、思っていたのに。


「またまたぁ、可愛いなんて冗談言っちゃって」

「いえ、ただの本音ですから」


 驚くほどに真面目な顔で返事をしてくる。

 元々整った桜士郎の顔が、茜色に染まる夕陽の光も相まってますます輝いて見えてしまった。美影がぽかんと口を開けていると、桜士郎は小さく深呼吸をしてから口を開く。


「実は私、眼鏡っ娘が好きなんです。森山さんの黒縁眼鏡、凄く似合っていて素敵だと思います。セミロングの黒髪も、ぱっつんの前髪も、可愛らしい印象のあるぱっちりとした瞳も……全部、私には魅力的に見えて……。正直、最初は一目惚れもあったのだと思います」

「…………」


 唐突にまくし立てる桜士郎に、美影はただただ呆気にとられたように言葉を失ってしまう。まるでオタク特有の早口みたいだな、と美影は思った。あだ名が「王子」なくらいにイケメン相手に何を思っているのだろう、という話かも知れない。

 でも、美影は確かに感じ取ってしまった。

 美影と似たような『何か』を。


「……申し訳ありません。つい、必死になってしまって」

「いや、うん、言いたいことはわかるよ。好きなものの魅力を伝えたくて必死になっちゃうことってあるよね。私も最近、鈴原先輩にアニメとか布教する時によくしてるから」

「あ、はい! そうなんです。その感覚で……」

「う、うん。そっか」


 好きなものの魅力を伝えたくて必死になってしまう。

 オタクにとってはあるあるのことだと思うが、桜士郎に同意されてしまうと一気に不格好な笑顔になってしまう。だって桜士郎は、好きな人の魅力を必死に伝えてくれたのだから。


「森山さん?」

「あぁいや、その……。そ、そういえば西連寺くんって、休み時間はいつも読書してるよね? あれって、どういう本を読んでるの?」


 照れが爆発する前に、美影はまた早口になりながら問いかける。

 すると、桜士郎は何でもないようにスクールバッグから文庫本を取り出した。


「私は普段、ライトノベルを読んでいるんですよ。今読んでいるのは『だけポン』……久城さんも出演している『頼れる先輩が僕の前でだけポンコツ可愛い』ですね」


 ブックカバーを外しながら、桜士郎は『だけポン』の表紙を見せてくる。

 その瞬間、先ほど感じ取った美影と似たような『何か』が完全に顔を出してしまった。ちょっとキャラの濃い友人キャラ西連寺桜士郎の姿が、ぽろぽろと音を立てて崩れていく。


「……あ、の」

「やっぱり予想外ですか? 私がただのオタクなのは」


 するりと零れ落ちる「ただのオタク」発言に、美影は呆然としながら見つめ返してしまった。きっと、少し前の自分なら信じられないと思うだろう。桜士郎はどこか浮世離れしていて、高貴な生活を送っているのだろうと当たり前のように思っていた。アニメやライトノベルなどのオタク文化など、桜士郎とは百八十度印象の違うものだ、と。

 美影は、勝手に決め付けてしまっていたのだ。


「西連寺くんも、私と同じだったんだね」

「はい、そうなんです。紡とは一年生の頃から同じクラスだったのですが、幼馴染が声優の久城さんだと知った時は震えが止まりませんでしたよ」

「それにしては、意外と冷静に陽花里さんと接してるような気がするけど」

「心の中はいつもドキドキですから」

「あー……だよね」


 友達と呼べるくらいに仲良くなっても、不意にドキドキが訪れてしまう。その感覚を桜士郎と共有できたのが嬉しくて、美影はついつい自然な笑みを零す。


「あっ」


 すると、何故か桜士郎は焦ったように目を見開いた。

 わたわたと手を動かしながら、まるで弁解をするように言葉を紡ぐ。


「違うんです。久城さんに対するドキドキと森山さんに対するドキドキはまったく別ものと言いますか……っ! 大好きは大好きでも、ファンと恋心ではまったく違うんですよ!」

「う、うん、わかった。わかったからこれ以上言わないでっ?」


 桜士郎の焦りが伝染するように、美影の鼓動が騒ぎ出す。

 落ち着け落ち着けと念じながらも、桜士郎の「大好き」がリフレインしてしまうものだから、まったくもって困った話である。


「ええと、その……私は小学生の頃からオタクになったんだけど、西連寺くんはいつからオタクになったの?」


 とりあえず話題を逸らす美影。

 我ながら情けないと思いながらも、桜士郎のことを知ることも大事なことだ。せっかく二人きりになれているのだから、聞けることは聞いておきたいと思った。だからこれは決して逃げではない。

 心の中で言い訳をしながらも、美影は必死に心を落ち着かせた。


「あ、私も小学生の頃からですよ。私には二つ上の姉がいまして、姉きっかけでアニメやライトノベルが好きになったんです」

「そうなんだ。西連寺くんのお姉さん、きっと美人さんなんだろうな」

「……どうしてそう思うんですか?」

「えっ。それは…………西連寺くんが、その……格好良いから、です」


 不意に問われ、美影は目を伏せながらぼそぼそと本音を零す。しかも焦った結果、変に敬語で話してしまった。恥ずかしさのあまり、美影は身体を縮こませてしまう。


「そうですか」


 すると何故だろう。

 桜士郎も照れてくれた……という訳ではなく、どこか寂しげな声が返ってきた。はっとして顔を上げると、桜士郎は力ない笑みを返す。


「実は私、小学生の頃は引っ込み思案な性格だったんですよ。イケメンだとか格好良いだとか、そんなありきたりな理由で注目されて……当時の私はとにかく逃げ惑っていました。そこで救われたのが、姉が教えてくれたアニメの世界だったという訳なんです」


 ――イケメン。格好良い。

 それは、キャラが濃いと感じる以前に誰もが思うであろう桜士郎の印象だった。美影も心の中で何度思ったかわからないし、今だって実際に「格好良い」と言ってしまった。急に申し訳なさでいっぱいになり、美影は自分の眉が下がったのを感じる。


「森山さん、そんな顔をしないでください。森山さんに言われる『格好良い』はただのご褒美でしかありませんから」

「……ごめん。ますますどんな顔をしたら良いのかわからないよ」

「はは、ですよね」


 乾いた笑みを零してから、桜士郎は小さく咳払いをする。

 こちらをじっと見つめる琥珀色の瞳は真剣そのものだった。

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