1-7 大きな一歩
放課後。
帰宅部の美影はもう家に帰るだけ――のはずなのだが、今日も美影は自分の机から動けずにいた。別に、また紡達を観察したい訳ではない。
美影は今、とあるミッションを抱えているのだ。
「あ、紡。ちょっと待って、あたしも途中までついて行くから」
「結乃ちゃんを待たなくて良いのか?」
「このあとゲームの収録があってさ。結構時間ギリギリなんだよね」
「あぁ、そうなのか」
鞄を肩にかけ、いつも通り部活に向かおうとする紡。
そんな紡に陽花里が自然と声をかける。
あぁ、これが何気ない幼馴染同士の会話なんだな、と思った。……の、だが。
(えっ、嘘。こんな時に限って……っ)
正直、美影は悲鳴を上げたい気持ちでいっぱいになった。
今、美影がやろうとしていること。
それは、陽花里にファンだと伝えることだった。陽花里は美影にとってライバル的な存在ではあるものの、それ以前に憧れの存在だ。だからこそ今まで避けてきてしまったのだが、いつかは伝えたいという思いは心のどこかにずっとあった。
いつか、を今に変える。
それが美影にできる第一歩だと思った。
(どっ、どど、どうしよう)
なのにまさか、陽花里が急いで帰ろうとしてしまうとは思わなかった。
もちろん今日でなくても良い。
でもせっかく覚悟を決めたのだ。先延ばしになんてしたくはないし、だいたい明日以降にしたら勇気も薄れてしまいそうだった。
だから、美影はガタンと音を立てて席を立ち、息を吸う。
「く、久城さん! ちょっと良いですかぁっ」
――思い切り、声が裏返ってしまった。
早くも逃げ出したくなってしまう。
何せ、普段まったく喋らなくて影の薄い美影が急に叫び出したのだ。何だ何だと思われるのは当然のことで、教室に残っているクラスメイト全員に注目されている気分になってしまう。
まぁ、実際には目を瞑ってしまっているため、どんな状況なのかはわからないのだが。
「ええと、森山さんだっけ。あたしに何か用?」
陽花里の声で、美影はようやく瞳を開く。
本当は嬉しいはずなのだ。陽花里が「森山さん」と言ってくれた事実。それだけで今日はよく頑張ったと自分を褒めたいくらいだった。
でも、陽花里の声色には確かな困惑があって、嬉しい気持ちがどこかへ吹き飛んでしまう。
教室の中には陽花里だけじゃなくて紡もいて、桜士郎もまだ残っていて、更には結乃までもが顔を出していた。
皆が皆、不思議そうな顔でこちらを見つめているのだ。
(ひえぇ、勘弁して……)
反射的に美影は俯いてしまう。
やっぱり自分には無理だったのだ。そんな言い訳を頭に浮かべながら逃げることができたら、どれだけ楽なことだろうと思う。
「あの、その……。久城さんに、ずっと言いたくても言えなかったことがあって」
だけど、もう嫌だった。
自分だって少しくらい、前に進んでみたいと思うのだ。だから美影はぎゅっと両手を握り締め、陽花里と視線を合わせる。
「私、実は…………久城さんのファンなんですっ!」
言った。
言ってしまった。
ちゃんと目を逸らさないまま、はっきりとした声で伝えられたと思う。家族に対して以外、こんなにもハキハキと喋ったのは初めてのことかも知れない。
いやまぁ、少しくらいは声が震えてしまったが。
「あ、そうだったんだ。あたし、てっきり森山さんに避けられてるのかと思ってたよ」
「えっ、そんなこと……は……。ご、ごめんなさい、あります……。ファンなので、近付けないなって思っていたので」
「もう、そんなこと気にしなくて良いのに。……でもそっか、そういうことだったんだね」
言いながら、陽花里は微笑みを浮かべる。
元々、美影にとって陽花里は眩しい存在だった。
目も開けられなくて、手も届かない。そんな遠い存在だったはずなのに、今の陽花里の笑顔は自然と見つめていられた。「推しが今日も可愛い」というファン的な感想だけじゃなくて、胸の中が温かくなっていくのだ。
「言ってくれてありがとうね。……あっ、そうだ。ラジオの収録の時に、このこと話題に出しても良い?」
「え、あ……。それは、ちょっと……」
「ふふっ、ごめんごめん。冗談だよ。それじゃ、また明日ね。森山さん」
「は、はいっ」
背筋をピンと伸ばし、美影は精一杯の返事をする。
ずっと鼓動は高まっているし、どれだけ緊張すれば良いのだろうと思う。だけどそれ以上に嬉しい気持ちが止まらなくて、頑張っているという自覚はまったくなかった。
「ほら、紡も部活に遅れるよ。結乃ちゃんもせっかく来てくれたのにごめんね。桜士郎くんも、また明日!」
一人一人に声をかけてから、陽花里は紡とともに慌ただしく教室を出ていく。
教室に残された美影は、最後の勇気を振り絞って桜士郎と結乃に会釈をする。桜士郎はどこか優しい笑みで、結乃は戸惑いながらもお辞儀を返してくれた。
自室に辿り着いてからも、胸のドキドキは止まらなかった。
慣れないことの連続で、正直意味がわからない――はずなのに、そんなことはどうでも良いという前向きな気持ちの方が強かった。
陽花里にようやくファンだと告白できて、少しだけど会話もできたのだ。思い返すだけでも心が躍ってしまって、一人でニヤけ顔になってしまう。
ここからようやく、自分の物語が動き始める。
少々、大袈裟すぎるのかも知れない。
でも――本気でそう思ってしまう美影がそこにはいた。
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