ラノベの主人公に恋をしたモブの私

傘木咲華

プロローグ

プロローグ

 幼馴染は負けフラグ、とはよく言うものの、実際はそんなことないと思う。


 ――というのが、自称モブキャラの高校二年生、森山もりやま美影みかげの考えだった。


 恋人もいない。友達もいない。当然のように部活にも入っていない。そんな地味でぼっちなオタク女子には、幼馴染というステータスそのものが眩しいものに見えた。

 もしかしたら、突然現れた転校生に主人公を奪われてしまうかも知れない。でも、彼女は幼馴染だ。少しの勇気で関係性が変われば、転校生にも勝てると思う。

 だから頑張れ幼馴染。

 そう思いながら、美影は今日も今日とてライトノベルを読んでいた。



 五月上旬。

 高校二年生になって一ヶ月ほどが経ったある日の昼休み。

 美影の昼食はいつも決まって母親が作ってくれた弁当で、食べる場所も一年生の時からの定位置がある。


 それは、屋上だ。

 美影の通う栗ヶ原くりがはら高等学校には広い食堂やパンの購買があり、わざわざ屋上にまで来る人は少ない。パン派の人はだいたい教室で食べているため、ごく一部の弁当派の人が屋上に来ている感じだろう。


 最初は屋上が開放されていて助かった、と美影も思っていた。しかし、少なからず人はいる。そこで美影が見つけたのは、扉のある塔屋とうやの陰だった。そこに隠れるようにしてひっそりと食べるのが美影にとっての当たり前になってしまい、いつの間にかステルス能力を身に付けてしまったのだ。


(モブって言うかただのぼっちだな、私。……はは)


 弁当を食べ終えた美影は、ライトノベルを片手に一人苦笑を浮かべる。昼休みが終わるギリギリまで読書で暇を潰し、屋上にいる生徒の数が限りなくゼロに近くなってから、そっと教室へ向かう。そんな生活がすっかり馴染んでしまっていた。


(なーにが幼馴染頑張れ、だよ。その前に私が頑張れ)


 パタン、と本を閉じ、美影は音もなくため息を吐く。

 ライトノベルを読んでいると、「こんな私でも変われるかも!」なんて前向きなパワーを感じたりもする。でも、結局は心の中で思うだけなのだ。現実とはまったくもって厳しいものである。


(って、あと五分じゃん。教室行かなきゃ)


 ふとスマートフォンに視線を移すと、次の授業が始まる五分前であることに気付いた。美影は黒縁眼鏡のブリッジを押さえ、風で乱れたセミロングの黒髪を整える。特に話し声は聞こえないため、もう屋上には誰もいないのだろう。美影は心の中で「よしっ」と呟き、重たい腰を上げた。


 ――の、だが。


陽花里ひかり。話って何だよ?」


 え……っ?

 と、声を上げなかった自分を褒めたい。

 授業開始まであと少しだというこのタイミングで、生徒が屋上に現れたのだ。


「うん、ごめんつむぐ。どうしても……今、話しておきたかったからさ」


 しかも、一人じゃなくて二人。

 美影は思わず身体を硬直させた。ランチバッグを握る手に力が入り、瞬きも多くなる。動揺しながらも、美影は声の主が誰なのかをしっかりと理解していた。


 男子の方は、瀬崎せざき紡。

 栗色のブレザーに赤いネクタイ、灰色のズボンという栗ヶ原高校の制服に身を包んだ彼は、美影のクラスメイトだ。

 薄墨色のナチュラルショートヘアーに、空色の鋭い瞳。健康的に焼けた肌がいかにもスポーツ少年という感じだが、実際に紡が運動部に所属しているかどうかは知らない。ただ、よく笑うため爽やかな印象があった。


「良い、かな……?」


 そして、恐る恐るといった様子で小首を傾げている女子は、久城くじょう陽花里。

 栗色のセーラー服に赤いスカーフ、という美影と同じ制服姿の彼女もまた、美影や紡のクラスメイトだ。

 菜の花色の髪をサイドテールにしていて、トレードマークは前髪の花柄のピン留め。瞳は翡翠色のつり目で、紡とはまた違った意味で気の強さを感じる。低めの身長に、透き通った白い肌。そして何より、彼女から放たれる圧倒的なオーラ。


(ひぎぇええ……っ)


 美影はついつい、謎の擬音を心の中で叫んでしまった。

 でも、これは仕方のないことなのだ。

 美影は陽花里のことを知っている。クラスメイトとしての姿ではなく、もう一つ……いや、二つの顔を。


 一つは、陽花里と紡が幼馴染同士ということだ。彼女達と同じクラスになって約一ヶ月。休み時間や放課後での会話で幼馴染であることが発覚した。最初は距離感の近すぎる二人に「えっ、付き合ってんのっ?」と勘違いをしたものだ。

 これはもしかするとスキャンダルではないか、という思考にまでなり、パニックになった覚えがある。


 というのも――久城陽花里は今をときめくアイドル声優なのだ。


 陽花里は二年前、中学三年生の時に声優デビューしている。ただのアニメオタクである美影もデビュー当初から注目していて……いや、むしろ『推し』と言っても良いくらいに好きで、まさか同じ高校に通うことになるなんて思ってもみなかった。

 二年生ではクラスメイトにまでなって、話しかけるチャンスならいくらでもある。でも、そんな勇気が自分にあるはずがない。むしろ避けてしまっている自分の姿があって、美影は何度も何度も「私の馬鹿っ」と叫び続けたものだ。


(……で、私はどうしたら良い……?)


 そして今、美影は今までとは別の意味で「私の馬鹿っ」的な状況に陥っている。

 もうすぐ授業が始まるのだから、美影も早く動かなければならない。でも、そんなことはできるはずがないのだ。


「焦らなくて良い。……それだけ、勇気のいる話なんだろ?」

「……う、うん」


 どことなく優しい声を出す紡と、弱々しい声で頷く陽花里。

 この空間を崩すことなど、美影にはできるはずがない。


 だって、どう考えたってこれは、『あれ』だ。

 いくら幼馴染同士と言ったって男女であることに変わりはないし、だいたい美影だってついさっきライトノベルを読みながら「幼馴染頑張れ」と思ったばかりだ。


(ねぇ、これ…………絶対に告白シーンだよねぇっ?)


 やばい場面に遭遇してしまった。

 身動きが取れないまま、美影はただただ震えるのであった。

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