第35話

言いながら、伸江は右手を頬に当てる。



それは、おっちょこちょいをしたときの、伸江の癖だ。



「お母さん、言いたいことって?」



りえが聞くと、母親は柔らかく微笑み、話始めた。



それは、母親が死ぬ数時間前のことだった。



いつものように、いつもと同じ時間に勇気とりえを送り出す伸江。



けれど、どこか体がダルクて、とても家事をやろうという気にはなれなかった。




最近はそんな日が続き、伸江も病院へ行こうと思っていたのだが、なかなか時間がとれずにいた。



伸江は食卓の椅子に座り、大きく息をつく。



壁に安全ピンで刺してあるカレンダーに目をやり、指折り数えてみる。



「まさか……ねぇ」



伸江はもう45歳で、若くはない。



けれど、まだ生理はあった。



最初は体のだるさが更年期のせいだと思い込んでいた。



そして、そのせいで生理が止まってきているのだと……。



けれど、この日念のためにと思って言った産婦人科で、見事に妊娠していた事がわかったのだという。



その時伸江は自分の耳がおかしくなったのではないかと心配するほどに驚いた。



まさか、自分がこの年で子供授かるなんて思ってもみなかったのだ。



けれど、その驚きの後には喜びがあふれ出る。



真っ先に頭に浮かんだのは勇気の顔、若い頃砂浜で二人子供がほしいと話しをしていた事、彼はまだ覚えているだろうか?



夢が、実現したのだ。



そして、りえ。



いつも家にいても一人で、イトコのサヤカをまるで姉のように慕っていた。



そのりえが姉になるだなんて、あの子は信じられるだろうか?



何をとっても、幸せな考えしか浮かばない。




その幸せと共に、家に帰る途中の道。



伸江は青信号でも一旦止まり、見通しの悪い道を左右確認する。



そして、一歩、横断歩道へと足を踏み出し、急ブレーキの音と共に伸江の体は車のボンネットへ激しく当たった。



一瞬でクルリと世界が回ったように、車が見え、空が見え、冷たいコンクリートが視界に入る。



あぁ、死ぬんだ。



ぼんやりと頭の中で考える。



私もこの子も……。



そこで、伸江の記憶は途絶えた。



痛みも、苦しみもない。



ただ、この世から消える自分が理解できたことだけは確かだった。



それから、伸江はずっと勇気とりえを見つめていた。



大丈夫かな?



りえは家の事が負担になってないかな?



と考えながらも、ふと小さな女の子が近くをウロウロしている事に気付いた。



最初はその子が何なのか理解できなかったが、赤いスカートに、フリルのシャツは見覚えがあった。



ずっと昔にりえに着せていた服だ。



りえはその服をすごく気に入って、毎日のように着ていた。



「りえ?」



伸江は思わずそう聞いていた。



「私の名前、りえなの?」



聞き返す子供。



「え?」



「私三ヶ月間ここにいたの」



女の子はそう言って伸江のお腹に手を当てた。



その時、伸江はこの子が生まれてくるハズの子供だったのだと理解し、ようやく、彼女を腕の中に抱きしめる事が出来た。



同時に、この子の存在を勇気とりえに伝えたい、と強く願う。



それが、様々な怪奇現象としてりえたちの前に現れていたのだ。



りえはその話を聞いたとき、驚きを隠せなかった。



「妹?」



「えぇ」



伸江は微笑み、それから後ろにずっと隠れていた女の子を見せる。



その女の子を見ると、そういえば、昔私が来ていた服とそっくりだ。



と思う。



もう遠い記憶で、忘れかけていたのだが……。



「けど、名前が一緒じゃダメね。りえ、この子に名前を付けてあげて?」



微笑んで言う伸江。



りえは少し戸惑い、それから女の子の前にひざをつき、「じゃぁ……。未来なんてどうかな?」と聞く。



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