赤い扉

西羽咲 花月

第1話

波の音が聞こえる。



外はもう真夜中だというのに帰る家を見失い、徘徊する人々。



大人から子供まで老若男女問わず、海岸を歩き回る。



自分の家がどこにもなくて、ただ歩く。



足にはボロボロになった靴、ボサボサの頭。



海岸から少し行くと、そこにはその人たちの家がズラリと建ち並んでいた。



立派なマンションから木造の一戸建てまで並ぶその中で、光を灯している家は見当たらない。



その家を一軒一軒見ていくと、玄関の扉がすべて赤いことに気づく。




昔ながらの引き戸の玄関でさえ、真っ赤な色をしていて、その光景は異様なものだった……。



≪消えた町の人々!≫



大きくそう書かれている新聞の見出しを、田村勇気はトーストをかじりながら眺めていた。



「早くしないとまた遅刻するよ? いってきまぁす!」



元気よくそう言い、パタパタと玄関を出て行くのは勇気の娘、今では母親代わりになっている田村りえ。



「あぁ」



新聞に目を落としたまま、生返事を返す。



勇気の妻、伸江が死んで約3年が経つ。



最初は毎日泣いていたりえもすっかり自分が母親代わりだということを自覚していて、まだ中学生だというのに家のことは何でもこなしていた。



勇気はようやく新聞から目を離し、チラッと時計を確認する。



「遅刻するじゃないか!」



思わずそう言い、慌てて鞄を抱えて外へ出る。



慌しい朝のひと時を、テーブルに置かれた伸江の写真が柔らかく微笑み、見つめていた。



南中学校。



そこがりえの通っている中学だった。



それほど大きくないこの学校は築80年を超える。



大分ひび割れやシミなどが目立つ中、最近出来たばかりの校長の銅像だけがピカピカと輝いていて、どこか居心地が悪そうに見える。



「田村、コレを資料室まで持って行ってくれ」



日直で職員室へ入ったとたん、担任の川村にそう声をかけられた。



「えぇぇ」



思わず、ダルそうに声を上げてしまう。川村は剥げたあたまをハンカチでぬぐいながら、りえに有無も言わさず大量のプリントを手渡す。



「日誌は先生が教室に持っていっとくからな」



そう言い、自分はさっさと別の仕事に取り掛かる。



強引にプリントを押しつけられたりえは、職員室を出てから一つため息をついた。



資料室は学校の地下にあり、生徒達は滅多に出入りすることはない。



たまに地下室でタバコの吸殻やコンドームなどが発見されて、度々問題になる場所だ。



「やだなぁ」



りえは呟きながら、両手一杯のプリントを見つめる。



なるべく、資料室には行かないようにしていたりえだが、川村の強引さにはかなわない。




今回ばかりは仕方ないと、重い足をひきずるようにして、暗い地下室へと向かった……。



地下室は思ったより明るく、りえをホッとさせた。



「電気、つけたら明るいのは当たり前だよね」



と、気分を紛らわせるために独り言を呟く。



地下室の階段を下りると、真っ直ぐに伸びた長い廊下が姿を現す。その廊下を真っ直ぐ行って真正面にあるのが資料室だ。



その他にも両側に昔使われていた教室があるが、そこが一体何の教室だったのか、たぶん皆知らないだろう。



りえは歩きながら壁や天井のシミに顔をしかめる。



地下室で湿気があるためか、やけにシミが多く、歩く場所によればギィィと嫌な音を立てる。



資料室の前まで行くと、肘で起用にノブを回し、足で扉を開く。



一瞬、鼻につくタバコのにおいにりえは顔をしかめた。



誰かがここでタバコを吸ったのだろうか?



まるでついさっきまで吸っていたかのようなきついにおい……。



りえは手探りで壁を探り、電気のスイッチを探す。



その瞬間、タバコのにおいが一層きつくなり、りえは動きを止めた。



誰かいる!



そう思ったのが早いかどうか、りえは誰かの手で口を塞がれて資料室の奥へと引きずり込まれていった。



「うぅ~っ!」



とっさのことで、りえは両手足をばたつかせる。タバコの煙が体中にまとわりつく。



「黙れ!」



低い声でそう言われ、りえは小さく息を飲む。



殺される!



間違いなく、りえの口を塞いでいるのは男の手だ。



その力に普通の女子中学生が勝てるハズがない。



りえは言われたとおりに黙り込み、震えだす体を必死に抑える。



お父さん、こんな形で殺されるなんて……ごめんね?



まだまだやりたいこともあったけど……。



あ、それに冷蔵庫に入ってる牛乳、あれ賞味期限近いんだった。



冷凍庫に保存してあるシチューも、できれば早めに食べなきゃいけないのに。



お父さん、腐ってるかどうかも確認せずに食べちゃうから心配だなぁ。



って、私のやり残した事ってお父さんのことばっかりじゃない! 全く、本当に私がいなくなっても大丈夫でしょうねぇ?



「……い! ……おい!」




その声に、りえはハッと我に返る。



「へ……?」



いつの間にか塞がれていた口が自由になっている。



「お前、おかしなやつだな。誰も殺しやしねぇよ」



クククッと笑いをかみ殺しながら言うその声に、りえはカーッと赤面する。心の中で言っていたつもりが、口に出ていたらしい。



「俺、三年A組の転校生。国方迅」



「あ、私は二年C組の田村りえ」



真っ暗でお互いの姿が見えないまま、変な自己紹介を交わす。



「そ、じゃぁこのことは秘密ってことでな?」



迅の言葉にりえは「はぁ……」と眉をよせる。



何だか、納得いかない。



「わかったわかった、秘密にするかわりに何かほしぃんだろ?」



「え?」



聞き返すりえの唇を、迅の唇が塞いだ。



再び、声を出せなくなるりえ。そんなりえの頭をポンポンと叩き、「じゃぁな!」とだけ言って国方は資料室を出た。一瞬だけ見える、国方の後姿。



りえはぼんやりとその場に座り込み「ファーストキス……」と呟いた。

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