お兄ちゃんである(シスプリ的な意味で)って今は黒歴史なのだろうか

 別荘の共有スペース。

 ガラス張りの窓からは、夜の海が眺められた。点滅している明かりが綺麗だ。


 時田さんと佐波さんはお風呂から出て、2人でガールズトークに花を咲かせているところだった。

 意外と相性がいいんだよね、この2人。


「ちょっと相談があるんだけど、いいかな?」

 近づくなり、僕は早々に切り出した。


「えっ、何々? あげピーの相談なら、なんっでも聞くし!」

「ふーん、あげピ君が相談なんて、珍しいわね?(それとも、意外と彼女にはしてるのかしら…)」


 時田さんはいつものように上機嫌だったが、用件を伝えると。


「えー……あげピー妹の、恋愛相談ン…?」


 急に微妙な顔になってしまった。せっかく乗り出していた身を、再び背もたれに戻してしまう。


「その話題じゃ、私は役に立ちそうにないわね。みいなさんにお任せするわ」


 フ、と自嘲的な笑いを浮かべる佐波純子。けれど、話を振られた方はなぜか慌てた様子で、


「待って。妹の恋愛相談ってことは……も…もしかして……あげピーって実は、あの妹ちゃんのことがす、す、好きとか……?」

 血の気の失せた表情になって、僕の彼女が言った。


「え? いや、そりゃ手を焼かせる奴だとは思うけど、好きか嫌いかで言ったらす……」

「そういう意味じゃなくて!

 実はそういう、兄妹で禁断の……ほにゃらら……みたいな意味で好きなのか…ってコト!」


 この見当外れな質問に、さすがに佐波さんも見かねたらしく、さっそく傍観ぼうかんの姿勢を崩した。


「ちょっとみいなさん。いくらなんでも、それはないでしょう?

 いくら心配性な恋人だって、彼氏の妹を相手に嫉妬するなんて聞いたことないわよ」

「ううん、分かんないよ? だって――…」

「だって?」



「………オニイサマ」



「!!!??!!?」


 そのフレーズを聞いた途端、僕の心臓が、飛ぶように跳ねた。

(実際、魂の一部が、煙になって口から飛んでいった気がする。)


「お兄様? ……って、何?」

 まるで意味が分からず、困惑の色を浮かべる佐波さん。


 もちろん、僕が中学の頃好きだったゲームのことを彼女が知るはずがない。だからこの反応も当然だ。

 しかし僕の彼女Myガールフレンドの方は、そんなことなどお構いなく……。


「お兄様! 将来ウェディングドレスを着た私と、森の小さな教会で、式を挙げる約束をしたのに……。

 他の妹を、選ぶつもりなの…?」


 いつものギャルっぽい喋り方でなく、キャラクターである咲那さくなの口調を真似て、僕の腕を掴んできた。


「ひ……ひぃぃぃい……!」


 僕はガクガクと震えだした。それが恐怖なのか歓喜なのかは、いまだもって判然としない。


 嗚呼、Myシスター。またの名を、若気の至りよ。かくまでも我を、悩ませたまいしか……!


 だが、ここで冷静になった。そうだ、我らが咲那はそんなことを言わない。だって、


「……そ、そうだ。それは変だよ時田さん。だってシスプリの世界では、他の妹に嫉妬したりしないんだ。

 彼女たちは兄を取り合いこそすれ、妹同士もミンナ仲良し。そういう幸せなゲームなんだ」


「えー…そうなの? 12人も妹いるんなら、他の妹に嫉妬しちゃうヤンデレの妹はいないの?」


「いや、あの頃はヤンデレとかツンデレとか、そういうハイカラな概念はなかったというか、何というか……」


 僕は咳きこんだ。まるでそれ以上語ると、引き返せない問題が生じるかのように。


「……ゴホン! と、とにかく。そういう分かる人しか分からないネタは、置いておいてさ」

「なんか知らないけど、逃げたわねあげピ君」


 横からのツッコミは聞こえないフリをして、僕は妹と田崎くんの事情を説明した。


「…――と、いう感じなんだけど。これ、放っておいて大丈夫だと思う?」


「あげピ君の妹って、そんな感じなのね…。なんかソレは危ない気がするわ……」


 聞き終えた佐波さんが言った。やっぱり、妹の態度は彼女には不安に映ったらしい。


「あのさ、確認なんだけど。あの子って、本当にあげピーの妹なの?」

「そんなこと真面目に聞かれても」


 僕も、性格が違いすぎるとは思うけど。


「あげピ君は、妹さんにどうなって欲しいとかあるの?」

「いや。決めるのはあいつだと思うし、干渉したくはない。けど……」

「けど?」


 考えてから、


「妹の選択に、僕が関わってくるような気がして、イヤなんだ」


 2人に話したおかげだろうか。これまで感じていたことを、やっと言語化できた。


 誰と付き合うか、付き合わないかを決めるのは妹の自由だ。しかし、本当にそれで済む問題なのか?

 妹が田崎くんからの急な告白を受け入れるにしろ、断るにしろ、そこに僕の存在が関わっているとしたら――それは果たして、本心によるものと言えるだろうか?


「関わってるって、どういうふうに?」

「正確には分からないけど、僕と時田さんが付き合いだしたことと、関係してるんだと思う。

 なんとなくだけど、それを知ってから、あいつの様子が変わったような気もするし」

「対抗意識を燃やしている、と? ふぅん……」


 釈然としない様子の佐波純子。僕だって妹の気持ちを、100%解明できたわけではないから当然ではある。


 だけど。ここで不意に呟いたのは、


「……あたし、妹ちゃんのキモチわかるよ」


 意外にも、時田みいなだった。


「時田さん、それってどういう…?」


「妹ちゃん、やっぱり好きなんだよ、あげピーのことが」


 また同じようなことを言うものだから、「や、だからそれは…」と否定しかけたところで、しかし僕は口を噤んだ。


 そうか、……彼女の言いたいことは、なんとなくだけど伝わった。


〝好き〟。この純粋なようでいて、曖昧な気持ちは、どれだけ多くの人々を苦しめたことだろう。


 それは〝好き〟を〝推し〟に置き換えたからといって、解決する問題じゃない。


 結局は、気持ちの問題なのだ。恋人だの家族だの、これは趣味だ本気だなどと分けて取りつくろったところで、肝心な時は誤魔化しにしかならないのだから。


「私にはよく分からないけど……。要するに妹さんが、自分の心に正直になれれぱいいのよね?」

 ちょっと蚊帳かやの外だった佐波さんが、声を出した。


「うん、そうだね」

「ジュンジュン、なんか思いついたの?」


「恋愛なんて所詮、お約束の集まりでしかないのよ。なら、そのお約束をぶち壊してあげれば……いいんじゃない?」――…




 …――彼女たちのおかげで、明日の告白大作戦を、なんとか丸く収める方法が思いついた。

 以下はその、一部始終である。


「どうしたの? 田崎くん」

「あ、あの……。今日は、君に話があって……」


 翌日の昼前。別荘の裏の、浜辺が見える林の中に、少年は少女を呼び出した。


 朝、朝食の席でも彼は見るからにテンパってて、妹が先に部屋に戻ったタイミングで「じゃ、じゃあお兄さん。い、行ってきます!!」と僕に教えてくれたので、こうして成り行きを見守るのは難しくなかった。

 

「話ー? なぁに?」

 妹は何くわぬ顔で、訊き返した。


「じ……実は、今年同じクラスになってから、君のことが――…」


「あっ、ゴメンね~田山くん。あげピーの妹ちゃん、いまは男の子と付き合うつもりナイって」


 だがこのタイミングで。後ろから割りこんできたのは、彼女の兄の恋人――時田さんであった。


「は?」

 妹は目を点にして、ポカンとした表情をしている。


「あ、俺、田山じゃなくて田崎ですけど……。その、それってどういう……」


 時田さんは視線を逸らしながら、

「えーっと…。なんかね。妹ちゃん今のクラスでモテるらしくて。

 他にも妹ちゃんのこと好きな人、いっぱいいるし? 決まった相手と付き合うつもり、ないっぽいよ」


 その半ば不正確な情報に(いや、半ば当たってるんだけど)、妹はまるで蒸気機関車のような怒号を上げた。


「い、言ってないじゃんそんなこと!

 だいたい、なんでその話、時田さんが知って……」


「妹よ、すまない。昨日、お前のことが心配だもんで、お前の話を、彼女にしてしまったんだ。それで、ついこうして、しゃしゃり出てしまった」

 横から僕が、口を挟んだ。


「む。お兄ちゃん、余計なことを……」


「そ……そうだったんですか。たしかに妹さん、モテますからね。じゃあ、どっちにしろ、駄目だったわけですね」


 少年は苦笑いをした。苦々しさだけでなく、そこにはどこか安心したような様子もある。けれど、


「……でも、付き合っていいとも言ったじゃんっ」

 妹が抗議するように言った。


 これは田崎くんへではなく、僕らの勝手な断定に文句を付けたのだろう。しかし、当たり前だが、彼にも聞こえてしまっていて、


「え?………え?!」


 困惑を露わにする。やっと意味を理解して、『まさかOKされる事もありえたの?』、そんな表情だ。


「そっかー。まだ迷ってたんダネ。早とちりして、ごめん ごめん」


 時田さんが謝ったけど、ううむ、ちょっと違和感が出てきてるな? ぼろが出る前にバックレよう。


「どうやら、僕らは邪魔だったみたいだ。この場は若い者に任せて、退散しよう」

「お……オー!」

 僕らは疾手はやてのように走り去っていった。駆け抜けた林の茂みが揺れる。


「………なんだったの、いまの………」

「……」(ぎゅっ…)


 田崎少年は、いま知った事実に頬を染め、拳を握り締めると、再び想う人の方へと向き直った。


 ☆★☆★☆★☆


 で、結局。


「あ。お兄さん、聞きました?」


 外にあるテーブルで読書をしていると、牛館さんが話しかけてきた。(ちなみに時田さんは、傍に吊されたハンモックで昼寝をしている。もう寝言で三度は呼ばれた。)


「ん?」


「妹さんなのですが、田崎さんからその、……交際を、申し込まれたと」


「あ、うん、そこまでは。結果は、どうなったの?」


「『友達から始めましょう』ということに、なったみたいです」


 牛館文華は、嬉しそうに笑って答えた。そこそこうまく行ったようだ。まったく、付添料にしたって高く付いたもんだよ。


 それにしても人の幸福を喜べる、こんな子が妹の友達でいてくれるとは。別荘といい、バーベキューといい、彼女には感謝しかなかった。

 いつ妹が愛想を尽かされないか心配だ。


「いやあ牛館さん、君が妹の友達でよかった。どうぞ末永く、よろしくお願いします」


 旅の締めくくりを兼ねて僕は挨拶し、脈絡がつかめない牛館さんは、「はい? ああいえ、こちらこそ…!」と慌てて握手の両手を伸ばしたのだった。

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