昨日の夜のこと。

 翌日の朝。食堂で僕は、干からびたスルメのように成り果てていた。


 冷静に考えれば意外でもなんでもない話なんだけど、実際なってみると、予想できてたからってどうなる訳でもなかった。


 一応言っておくと、あの宴会とは無関係だ。


 この『僕がスルメになっている』という比喩のポイントは、一夜にして精根せいこん尽き果てているということではない。『スルメという食べ物は、イカが干からびてこそ完成するのだから、僕は一応これで完成してると言えるんじゃないか?』ということだ。


 あーだこーだ言ってても仕方ないので、昨日の夜の記憶を再生してみよう。……モヤモヤ……。(以下、回想。)


 ☆★☆★☆★☆


 旅宿たびやどでの夜。

 これはどことなく、奇妙な時間だ。


 泊まっている部屋の電気を消し去ってしまうと、どうしてか自分の部屋で寝る時より、ひときわ夜が深いように感じられる。


 ホテルの部屋ってのは『ただ宿泊するため』だけに、しつらえられた部屋。たまの休みに来ると解放感はスゴいけど、もしもここでずっと生活することになったら、退屈すぎてやっていけないんじゃないかと思う。


 そんなだからだろうか。旅館に泊まる夜は、日常と非日常の間というか。

 昼間の観光地の賑わいも、大浴場のざわつきもすべてリセットされて、この夜だけが特別な時間のように感じられるのだ。


『だからって………』


 こんなに緊張してるのは予定外だ。


 布団の並びは、時田さん、僕、佐波さんの順。

 この並びがまずかった。


 これ、圧迫感がすごい。


 右の時田さんはゴロゴロ転がって、気づけばこっちの布団に足が侵入しているし、左の佐波さんは『境界線を守ります』という鉄壁の姿勢で微動だにしない。


 寝返りが、うてない。


『ま。無理に眠ろうとすることも、ないんだよな』


 まだ0時を回ったくらいで、家にいたら起きてることも珍しくない時間帯だ。


 冴えている目を、無理に閉じていたのを開く。


 すぐ隣に、時田さんの寝姿がある。


 その顔は半分掛け布団に埋まっていて、眠ってるのか起きてるのか判断がつかない。


 ……完全にこっち向いてる。


「………」


 一応、静かに目を閉じてはみるが、寝られる気がしない。と……


 もぞっ


 ………!?


 わずかに布団が沈む感覚。


 右の布団が、こっちに侵入してきてる。


『え、来るのか?』


 耳をすませば、ほんのわずかな布の擦れる音が聞こえる。

 いや、これ来てるよな。


 ズルッ、ズズッ……


「……時田さん?」


 一応、名前を呼んでみたけど、反応はなし。


 でも、この状況で何も言葉を発さない時田さんがいるわけがない。

 むしろこれは、『何かしら企んでいる時の沈黙』だ。


 次の瞬間―――


 もぐりっ!


 来た! 完全に来た!!


「……ちょ、時田さん、何してんの?」


「んー? ちょっと隣が寒くてさ、こっちの方があったかいから」


 いや、ダメだろ!?


「こっちの方がって、ここ僕の布団だからね?」


「でも、布団くっついてるじゃん? だったら、ちょっとくらいイイっしょ?」


 よく解らない理屈である。しかも。


「よくないよ! というか布団くっつけたの時田さんだよね? さっきは拳ひとつ分あいてたのに」


「え~、せっかく一緒に泊まってるんだし、いーじゃん、減るもんじゃないし♬」


 減らないけど増えるんだよ、心労が。


 この調子だと、なし崩しに、このまま抱きつかれる可能性が極めて高い。


「……ほんとに戻ってくれない?」


「いやいや、無理無理、もう鎮座ちんざしたし」


 なにが鎮座だ。ちょっと難しい言葉を使えば済むと思ってるのか? しかもそれ人に使う言葉じゃないし。キミは神か、仏か、ご先祖様か?


 ――バサッ!


 すると。突然、もう片側から布団がはだける音がした。


「………なにやってんの、あんたたち」


 ものすごく、冷たい声が響いた。佐波さんだ。


 見れば、佐波純子の印象派絵画のような豊かなシルエットが、すっくと立っている。

 彼女は布団を半分持ち上げて、無言でこっちを見ていた。


「寝てたんじゃなかったのか」

「寝てたら、こんな〝しっとり系のイチャつき〟を感知できるわけないでしょ」


『いや、イチャついてないから……』


 それはまごう方なき本音ではあるが、悲しいかな。ハタから見ると、そうとしか見えないものなのである。


「ちょっと、並び変えるわ」

「え、並びって?」

「この並び方がダメなんでしょ?」


 佐波さんはすたすたと歩き、無言で時田さんの布団をズルズルと引きずり始めた。


「……なっ! なにしてんの!?」

「見れば分かるでしょ」


 いや、わかるけど。

 布団の並びを強制的に変えようとしてるのがバッチリわかる。


 並びは「時田さん、僕、佐波さん」だったのが、「僕、佐波さん、時田さん」へと変えられていく。


「はい、これで完成っと」


 佐波さんは布団の上をパンパンと叩き、何事もなかったかのようにその場に腰を下ろした。


「……どうしてそんなヒドいことするの…?」


 時田さんは、目の前でむごい行いをされた魔法少女のように悲しい顔をしてグズった。


「どうしてって………」


 佐波さんはチラッと僕の方を見て、さも『当然だろ?』という表情を浮かべる。

「私には部長代理として、参加者を監督する責任があるの」


「それは………うん」


「要するに『恋愛イベントが発生したら負ける』ってこと」


「………何に?」


「察しが悪いわね。恋愛イベントが発生したら、

 子どもが出来て、あんた達が学校やめることになるかもしれないでしょ!」


 佐波さんは、少し赤くなりながら答えた。


 さすがにそれは飛躍しすぎじゃないか? いくら時田さんでも、近くに人がいるのにそんな無謀な行動に及ぶはずが……。


 …いや、でも、意外とありえるのか?『最近の若者は何をするか分からない』とよく言うからな。その1人として何を言われているのか実感はなかったが、もしかすると、こういうことを指していたのかも――。


 僕の黙考をよそに、佐波さんは冷静に言いながら、すぐ隣の布団に滑りこんだ。


「私がここに入ることで、みいなさんの行動は完全に封じられるのよ」


「……すごい戦略的だね」


「でしょ?」


 そんな、ちょっと誇らしげに言われても。



 一方、時田さんはというと――


「ちぇっ、なんだよー。ジュンジュンのケチー…」


 軽く舌打ちしながら布団に深く潜り込む。


 完全に不貞腐れてる。負けたヒロインの行動だ。


(まぁ、もし僕らの間にあったことがアニメやラノベになったら、『開始数分で正妻が勝ち確してる』という珍しいものになりそうだけど。いや、なんとなくそう思うだけで、根拠はない。)


 僕は無言のまま天井を見つめた。


 隣に佐波純子、その奥に時田みいな。


 ……これで寝られるのか?


 ちょっと伸び上がって確認すると、意外にもこちらに背を向けて、猫のように体を丸めていた。


 どうやら丸く収まったらしい。


 と思いきや、マナーモードにしてある携帯が震えた。

 何かと思ったら、すぐそこにいる彼女からだ。


〈あげピー、〉


 という出だしで、


〈次は、あたしが真ん中ね?〉


 次か。すると冬休みか? 冬にまた合宿に来るとも限らなければ、僕らが平穏無事に付き合っているという保証もないが。彼女の中ではそんな雑念は一切存在しないのだろう。


〈いやいや、いまの並びがベストって話だっただろう〉


〈えー? あたしもあげピーの隣がいいー〉


〈ダメだ、佐波さんが守護神として鎮座されてるから〉


〈なにそれ〉


〈僕の安眠のための配置だよ〉


「んむぅー」と部屋の奥から、ヘンな奇声を上げる声がした。


 その後、時田さんは布団に潜ったままブツクサ言っていたが、じき眠ってしまったらしく、ようやく静けさが戻ったのだった。


 ☆★☆★☆★☆


 戻ったのだった、が……。


『なぜかあんまり眠れなかったんだよね………』


〝時田さんと同じ部屋に泊まっている〟というだけ。ただそれだけで。


 僕は心拍数は上がり、温度が高まり、ソワソワする感じがして、どうにも落ち着けなかったのだ。


 結局、僕らのズレた恋愛を、妨げるものなど何もないのだった。

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優しいギャルの時田さんは愛がおもい!? さきはひ @sakiwai

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