幸せの行方 〜Junko's POV〜
その日。
僕は時田さんとは、別々な時間に帰っていた。
いくら2人で過ごすことが多いと言っても、諸事情で、たまにはこういう日もある。
駅の改札を出て、階段を降りていく。いつもは素通りしている掲示板の前で、足を止めた。
〝幸せになりたいですか?〟
隅っこの方に、色あせたポスターを見かけた。
そのド派手な見出し以外は消えてしまって、何のポスターか分からない。最初に貼られてから何年も、もしかしたら何十年も経ってしまったのかもしれない。
「幸せ……ね」
正直いって、僕はいまの生活を幸せだと感じていた。
ただ、人は時々、幸福すぎると不安になるという。
昔観たハリウッド映画で言っていたが、『人類は幸福であることに慣れてない』という。
つまりこういうことだ。長い歴史の中で、人類は飢えや貧困、辛く苦しい労働などを経験してきた。
そのため、不幸であることの方が当たり前になってしまい、幸福を感じると落ち着かなくなるという訳だ。それならば、AIに全ての管理と判断を、委ねてしまった方がいいと20年以上前のアメリカ映画は言っている。
実際のところ、どうなのだろう?
この説を〈伝説研〉の佐波純子あたりに話してやれば、皮肉っぽい意見を聞かせてくれるかもしれない。
明日は、時田さんの家にお邪魔する。
ドキドキしないことも、ない。
☆★☆~佐波純子’s view~★☆★
私は、佐波純子である。
学校では〈伝説研究会〉というクラブに所属し、部長の代理をしている。趣味は音楽鑑賞と読書。特技は……特に思いつかない。
そして、人と話をするのが苦手だ。
気の利いたことも言えないし、書いたりもできない自信がある。
それでも、こんなふうに語る、というか、心中を一部の人たちに公開せざるをえないのには、理由がある。
「ごめ! 純チャンに一つ、お願いがあるんだけど」
私が部室でまったりして――蔵書の一つである〈社寺よりみた地方の歴史〉というシブい本を読んで――いると、
同じ学校に通う、時田みいなさんが両手を合わせてきた。
彼女は、この〈伝説研〉に出入りしていて、結構な頻度(週3日くらい?)で顔を合わせる。特別なイベントがあれば、一緒に参加もする。
だから一応、友達……ということに、なるのだろう。
けど、彼女から頼み事をされたのは、これが初めてだった。
「何よ。ノートなら、借りても無駄よ」
先にありそうなものに釘を刺しておく。意地悪で言ってるのではなく、私なりに工夫して取ってるので、定期テストには役に立たないだろうからだ。
「それは大丈夫。居眠りする時は、考えてしてるから」
要するに、要領が良いのだな。
今更だが、性格といい、見た目といい……。
この手の友達は高校に来るまでいなかったので、実は少々、戸惑っている。
「今週、あげピーがウチに来るのね? で、あたしの部屋に入ることになるじゃない? だから、その前に…」
「もしかして、貴女の家の片付けを手伝えとか?」
知り合って2ヶ月程度の友人に、いきなり恋人を招き入れるための手伝いをしろというのだろうか?
さすがギャル、なんと厚かましい……と気構えた(こういうふうに感じるところが、私が気難しいと言われる理由なのだろう)が、実際は違っていた。
「いやぁ~…さすがに純チャンにそれは頼まないって。そうじゃなくてさ。
ちょびッと、意見が欲しいんだよね」
「意見?」
それで学校帰り、彼女の家に寄っていくことになった。
自慢じゃないが、友達の家に行った経験は、両手で数えられるほどしかない。
(家は両親が厳しく、いちいち外出の許可をとるのが面倒だったのだ。)
だからかどうか知らないが、マンションの一室で敷居を跨ぐ時、
ちょっと刺激があるけど、良い匂いだ。なんだっけこれ。ハーブ系の、ミントじゃなくて……。
あ、思い出した。ローズマリーだ。ローズって付いてるくせに全然、薔薇とは似てない花ね。花言葉はたしか……
「あのさ」
「な、何…?!」
気づくと、彼女の部屋の前まで来ていた。彼女はレバー式の、金のドアノブに手を掛けて、
「いまから見せるものは………あげピーにはゼッタイ、内緒にして欲しいの」
そう言われた時、私は軽い憤りに似た感情がよぎるのを、
「なによ。恋人に隠し事とは感心しないわね。まさか――…」
学校では『意見が欲しい』としか言っていなかったが、何か彼に教えられないような秘密を、彼女は抱えているらしい。
月並みな想像力で申し訳ないが、付き合っていて内緒となると、やっぱり、浮気のようなものを妄想してしまった。
例えば、ここに私も知らない男性が(あるいは女性が)来ていて、三人の関係をどうしようかと相談される……とか?
そしたら、彼に黙っていられるだろうか? いや、本人に連絡して来てもらうかもしれない。そんなことは自分たちで話し合えと。
そんなふうな日常の崩壊もありえる状況だ。
一体この扉を開けた先に何が待っているのかと……身構えた。
「開けるね」
「………!?……?!?!??!!」
そこには、私の想像を超えた光景が広がっていた――。
壁一面を埋め尽くすように貼られた、写真。写真。写真。
自らプリントしたもの。現像に出したもの。額縁に入れたもの。
本人がこっちを向いているものから、明らかに隠れて撮ったものまで。
被写体は全て、私も知ってる、あげピー君であった。
彼女は、彼氏の写真を、まるでス○ーカーのように……
「どう?」
……いや。「どう?」って……。
Howで訊かれたものの、私は何も答えることができず、
「……このぬいぐるみは、何?」
とりあえず近くにある、あげピ君に似たマスコットを指さした。(まさか手作りってことはないと思うが。)
「あ、それっ。
純ちゃんも思った? なんかすごいあげピーに似てるよね?
なんか、スマホゲーのキャラなんだってー。知ってる?」
「………さぁ」
それは子供から大人まで、女性を中心に幅広く流行った男性アイドル育成系ゲームだ。
いろんなタイプのキャラクターが出てくるので、1人くらいあげピ君に似てるのがいても不思議はない。それを偶然見つけて、購入したのだろう。
手作りじゃなくて良かった。話を先に進めよう。
「それで、相談っていうのは?」
「あ、うん。純ちゃんの意見として、どう思うかってことなんだけど。
あげピーをこのまま、この部屋に入れたら……ダメかな?」
「ウォップ!?!?」
衝撃すぎて、変な声が出た。
つまりこの、まるでス○ーカーの部屋のように、自分の写真が大量に貼ってあるマイルームを本人に見せると?
「だ…ダメに決まってるでしょ!? アンタ頭大丈夫なの?! 撤去よ、撤去! この写真は全部、撤去!」
私のスタンスとして、普段は他人の事情にあまり踏みこむことはしない。
だが、さすがに度を超していたため、それらの写真を片付けるよう言った。
「撤去……かぁ」
みいなさんは、すごく悲しそうな表情をした。が、すぐ重大な事実に気づいたかのように、
「…でもさでもさ。
あげピーは、ウチがこういう女だってこと、もう分かってると思うんだよね」
「分かってるなら、なんなの?」
「そしたら、期待してるかもしれないじゃん?
彼女が自分の部屋まで使って、なんてゆーかちょっと激しい愛情表現してくれるのを、待ってるかもしれないじゃん?
彼女の部屋に、自分を思い出させる物が一つもなかったら、ガッカリしちゃわない?」
「何言ってんのよ。そんなはず……。………」
ここて、私はハタと考えてしまった。
正直、私には、男の心理なんて分からない。(女のそれも解らないが。)
だが、〝愛される〟という感覚には、良くも悪くも凄まじい魔力がある。
その愛の魔力に囚われ、人生を棒に振る者も後を絶たないという。
あげピ君は期待してるのか? 実は心のどこかで、この
人と違っても、それが彼の幸せなのかもしれない。だとしたら、2人の愛の巣に横槍を入れるのは、
…………いやいやいや。そんなことはない。冷静になれ自分。
程度の問題だ。さすがにこの光景を喜ぶ人間は――皆無とは言い切れないが――ごく少数だろう。少なくともあげピ君が、コレを見て喜ぶとは思えない。
いくら耐性があっても、トラウマになって、今後の交際に影響してくる可能性大だ。私もそれを見るのは忍びない。
「さすがにこれはない。片付けなさい」
私はピシャリと言った。
「う……。で、でも、いきなり全部はがしたら、殺風景じゃない? うちの方が不安になって、夜眠れなくなるかも」
「…………」
……この女、一風変わった性癖でもあるんだろうか。『好きな人には自分のことを何もかも、今日の夕飯のメニューからホクロの位置まで知っててもらいたい!!』とか?
ありえる。
だとしたらそれは多分、私たち現代人の
しかし、どうだろう? そういう衝動に振り回されて生きるというのは?
性質の歪みがちな若者の暴走を止め、健全な男女交際の在り方を教えてあげるのも、先人の役目ではないだろうか。
(あいにく私に、男女交際の経験はないが。)
「ハァ……。じゃあ、お気に入りの写真だけ選んで、残しておいたら? 2、3枚飾ってあるくらいなら、
私は深く溜め息を吐いてから、そのように言った。
「あ、それいー! じゅんじゅんナイスアイデアだよ」
みいなさんは、ほっこりした表情を浮かべた。
こんな簡単なことで元気になるとは、意外にチョロいのか?(まあ私が、女友達だからだろうが。)
片付けには、私も協力した。
好きな人の写真を破るのは心が痛むそうなので(なんとメンドイ…)、ひとつひとつ原形を保ったまま剥がしていく。
……ひとつ剥がれていくことに、ほんのちょっと。
果物の皮が綺麗に剥けた時のような、サッパリ感を覚えながら。
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