出会い 編

未知との遭遇

 はる。僕が通う高校の、入学式の日。


 昨夜から降っていた雨ニモマケズ、風ニモマケズ、桜の花は満開だった。


 露にぬれた花びらの下をくぐって。僕は一度しかない人生の中でも、大切な時間を過ごすことになる場所へ、足を進めた。


 私立蓮花れんげ学園。

 家から通いやすく、付属の大学もあるということで選んだこの学校。


 元中もとちゅうの連中は少なく、そんなに人付き合いが得意な方でもないので(といって苦手というほどでもないが)、新しい環境でやっていけるか不安もある。


 けどまぁ、なんとかなるだろう。これまでも色々あったけど、なんとかなって来たんだし。


 校門をくぐり、校舎の中へ。


 が、朝の校内は閑散かんさんとしていた。どうやら早く着きすぎたらしい。


 初日なので、まだ登校にかかる時間がはっきり掴めておらず、早めに出たせいだろうか。

 入学式の前に自クラスにいればいいということなのに、まだ30分近く余裕があった。


 掲示板で自分の所属するクラスを確認し、教室へ向かった。美術部や写真部などの作品が展示してある踊り場で折り返すこと三回。1年B組のプレートを確認し、教室の中へ入る。


 真新しい机には、隅に名前と出席番号が貼ってあった。俯きながら、自分の席を探していく。


『ああ、あった。ここココ』


 これから永い学校生活をともにする相棒だ。勉強机の他に、簡易ベッドとしても利用できる優れモノである。


 鞄を机に置き、椅子に座ってみた。同じ季節が巡ってくるまで、この教室で勉強するわけか。なんとも新鮮な気分だ。


 そこで顔を上げ、前を見ると――。


 すぐ前に、先に来ていた女子生徒の後ろ姿があった。

 僕より先に来ていたのは、彼女ひとりだけだった。


 けど。


 ――正直、驚きで一瞬、ドキッ! としてしまった。

 声に出さなかったのが、せめてもの救いだったと言わなければならない。


 いまでもハッキリと思い出せる、はじめて出会った彼女の姿は:


 頭の低いところで両脇を結んだ髪は、全体は淡いブロンドだが、毛先へ向かうにつれグラデーションのように桜色を帯びている。


 腰から下には、相当に短くしていながらも、見えそうで見えない絶妙な丈のミニスカート。


 そして、そこから伸びるスラリとした足には、だぼだぼのルーズソックス。


 それらのパーツが集まって、描き出しているシルエットは―――。


 これが僕の人生で、はじめての。

〝ギャル〟なるものとの、邂逅かいこうだった。


『本当に実在してたんだ、〝ぎゃる〟って……』


 ギャルとは?

 漫画やドラマ、アニメやゲームなどに、しばしば登場するキャラクターのタイプだ。

 派手な髪型やファッション、自由で大胆な性格、若者っぽい喋り方などを、特徴とする。


 しかし実際には、日常生活を送っていてギャルと遭遇する確率はそこまで高くない。少なくとも、僕の住んでいる町の周辺では、結構なレアキャラだ。


 例えば、中学の頃はいなかった。


 というのも、僕が通ってたのは何の変哲もない公立中学校だったが、僕の学年とその前後の代は品行方正ひんこうほうせい謹厳実直きんげんじっちょく……。

 要するに、優等生の集まりとして知られていた。


 とくに誰がというわけではない。みんな制服を乱さず、言われたことをきちんと実行し、昭和期に作られたような旧態依然とした校則を守って、教職員ならびに保護者の皆々様をとても安心させていた。


 僕だって本当なら真面目な部類に入るはずなのだが、他の連中があまりにちゃんとしていたため、そう認識されることもなかったのではないか。自覚はないが、けっこう愛想がいいらしいので、大人たちの目には軽薄けいはくに映った可能性もある。


 そんな学校にいたものだから、ギャルとは接点がないどころか、目にすることさえなかった。

 だから何となく、『漫画やゲームにだけ出てくる想像上の生き物』みたいな印象があったのだ。


 ところが。入学初日からリアルギャルに、しかも顔を上げればすぐ目の前という至近距離しきんきょりで遭遇してしまった。


 これは、驚いてしまったのも止むからぬことと言える。もしここにいたのが僕でなく、中学で同級生だった真面目系カップルのミッくんとトモちゃんだったら、心臓止まってたかもしれない。


 あまりジロジロ見るのも失礼だとは思う。しかし、正面を向いていると視界に入らざるを得ないわけで、様々な疑問が湧き上がってきた。


『髪の毛、セットとか大変そうだよな…。スカート短すぎて見えそうだけど、大丈夫だろうか。靴下ゆるそうなの、歩いてて落ちてこないのかな?』


 等々。

 べつにファッションで人を判断するような、狭い了見は持っていないつもりだ。それでもギャルというのは、見慣れてないし、つい、まじまじと見てしまう。


 僕はというと、自分の性格や見た目を考えても、ギャルと親しくなれるような人間ではないと思う。だから、席が前と後ろになったからって、ただのクラスメイトというだけ。僕と彼女が関わりあうことはないだろう――。


 と、思っていたんだよ。最初は。


「ね、ね、」


 僕ら以外まだ誰もいない教室に、夏に飲むラムネのような、シュワッと目が醒める声が響いた。


 彼女の方から、振り返ってきたのだ。何がそんなに嬉しいのか、楽しそうな笑顔を浮かべている。


 目が合って、見つめあう形になる。べつに僕の方は臆すこともなかったが、それは彼女も同じだった。


「あだ名、なんて言うの?」

「あだ名?」

「そうそう。中学の時、なんて呼ばれてた?」


『……名前ではなく、あだ名――?』


 本名より先にニックネームを尋ねられるとは……生まれて初めての経験だった。さすがギャル、未知なところが多い。


「えっと、」

 ここで僕は、口ごもった。


 あだ名がなかったから、じゃない。視線を向けると、じっ、と見つめたまま、彼女が首を傾げてくる。


 仕方ない。僕は観念して、本当のことを言った。


「………あげピー」

「あげピー?」


 キョトンと、聞き慣れない物音に驚いたネコのように、こっちを見つめる少女。

 やがて、それが僕のあだ名であることに気づいたらしい。


「―――なにそれ――…!?」


 なぜか、大いにウケた。


 あだ名を笑われるとは心外である。いや、ちょっと予想はしてたけどね?


 彼女は椅子の上で腰を曲げて笑った。でも、同時に笑っては悪いという気持ちもあるのか、口を押さえて震えていた。ここまで笑うのかという気もするが、ギャルにしては(と言ったら失礼だろうが、)意外と可愛らしい笑い方だった。


 やがて笑いの波が収まったらしく、彼女は息を整えながら、


「ごめん、ごめん。いいね、うん、すごくいいあだ名だと思う! あたしも、あげピー、って呼ぶね?」

「うん、ああそうしてくれれば…。……あ」


 後悔先に立たず。入学して早々、おのが発言を悔やんだのはこの時だ。


 せっかく学校が変わったのだ。あだ名を変えるいいチャンスだっただろうに、自分からそれを棒に振ったことになる。


「――おはよう。まだ時間あるね」「――ねえ、どこから来てるの?」


 少しずつ、他の生徒達も集まってきていた。時間が来るまで、静かに自席で待ったり、近くの生徒に話しかけてみたり。これから始まる新しい生活に、誰もが胸を高鳴らせる。


 その中で僕と彼女の間だけは、すでに雰囲気が異なっていた。前からこの日に会うことを決めていたみたいに、お互い今日きょうを春べと咲いた桜のように微笑みながら、


「あたし、時田ときたみいな。友達には、ミナって呼ばれてたから、あげピーもそう呼んで?

 これから、よろしくねっ」


 開いた窓の傍らで、カーテンがそよぐ。

 風に乗って、教室に吹きこんだ桜の花びらが一枚、僕とみいなの間に舞い降りた。




 …――と、こんな感じで終わっていたら。


 きっと卒業してから、〝高校はじめての友達〟とか、〝ウチのよめとの馴れ初め〟とか、そんなタグを貼り付けられるような、爽やかな青春の1ページになっていたことだろう。


 たしかに、僕はその後の人生ずっと、この時田みいなと深い関わりをもつことになる。

 けど、現実は、恋愛ドラマのように爽やかでロマンチックというわけには行かなかった。


 先に言っておくと、問題は、『時田みいながギャルであること』ではなかった。


 そうではなく、そのギャルっぽい見かけにも関わらず――。


『時田みいながヤンデレであること』だったんだ。

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