夏休み 編

妹の名前は非公開です。

 ある初夏のこと。今日の授業が終わると、前の席で、身体が溶けてたれだしたパンダのように突っ伏しつつ、


「ァウぅ……ラーメン食べたい…」

 と、僕の彼女が呟いた。


「時田さん、ラーメン食べたいの? 帰り、寄って行く?」


「いく! あ……

 てか、うち呟いてた…?」


 ヨダレを拭きながら、時田さんは顔をほんのり赤くした。うむ、可愛らしくてよいが、言わないでおいておく。


「でも、この辺にラーメン屋なんてあったっけ? ちょっと遠くない?」


 確かにラーメンを専門に提供する店なら、隣町へ行かないといけない。幕張や稲毛の方なら店の種類も豊富だが、それは休日を待つことにして。


「ラーメン屋というより、厳密には中華屋だね。イヲンの地下にあるとこ。それでもいい?」


「その発想はなかった! あげピーあったまイイー!」と乗り気な時田みいな。


 それで、今日は寄り道して帰ることになった。


 ☆★☆★☆★☆


「あげピーは、何ラーメンが好きー?」

 歩きながら時田さんが、上機嫌に訊いてくる。


「味噌。と言いたいところだけど、どれも捨てがたいよね」


 夏が近づいてきていた。空は高く、そして青かった。


 今年は、時田さんと一緒に過ごす、はじめての夏になる。


 どんな時間を過ごすことになるのか、全く予想がつかない。




 駅前のイヲンへ入り、エスカレーターで地下へ。目的の中華屋で、窓際にテーブルをとると、僕と時田さんはメニューを広げた。


「へぇえ…! けっこう本格的じゃナイ? 四川シセン風とか、広東カントン風とか分かれてるんだ?」

「ここは中国から日本に来た夫婦がやってるんだ。

 ラーメンなら台湾ラーメンがオススメだよ。それと、蒸し鶏のチャーシューメン」

「そうなん? あたし薄味の方が好きだから、それいーかも!」


 やっぱり、彼女といると見慣れた店も違って見えるな。そう感慨かんがい深く思った、その時。


『……あれは……?』

 視界の端に入った人影が、どうも見慣れたもののような気がしてそちらを向いた。


「えっ、どうして…」

 意外すぎて、声に出してしまう。


「どうしたの、あげピー?」

「あ、いや。ちょっと知り合いがいたもんで」

「エッ? 誰あの子!? オンナノコ?!」


 時田さんがすかさず僕の視線を追い、心配そうな表情を浮かべた。もう、いつものことである。


「妹だよ」

「あ、妹さんか~。でも、なんでここにいるの?」


 途端に時田さんが、安心しきった(*´□`*)のような顔になる。(ごめん語彙力不足で他に表現できない。)


 でも、妹がここにいる理由については、僕も知りたかった。


 何のつもりなのか。妹は、電話をしていた。目をらすと、テーブルにはパンフレットのようなものが並べられている。


 声までは聞こえないが、その楽しそうな素振りからは、親しい友達と待ち遠しい未来について話しているように見える。


 やがて、妹は通話を切った。


 しかし、そもそも何の用があるのか。電話なら家に帰ってすればいいだろうに。わざわざ放課後に外で電話するとは、それ相応の理由があるはず。


「…ちょっと行ってくる。注文来たら食べてていいから」

「え? うん、わかった」


 僕は見るに見かねて、そのテーブルへ立っていった。


「あのさ。何してんの、こんなとこで?」

 僕は憮然ぶぜんとして言った。


「……ゲッ、お兄ぢゃん!?」

 妹はびっくりして、目を見開いた。まるで未知の生物に遭遇した探検家のような反応だった。


「…なんだっていいでしょ。お兄ちゃんこそ、何してんのさー?」

「何って、俺は、………」


 迂闊だった。いまは時田さんと一緒にいるんだった。


 僕はキッカリ5秒ほど悩んで、それから妹の問いに答えた。


「前に話したよな、時田さんのこと。

 あれから、付き合うことになって。今日はここで、一緒に食べて帰ることにしたんだ」


「ふぅん? 付き合うことにね。………えっ?……ぇえええ~~!?!? お兄ちゃん、ホントに付き合ってたのぉ?!」


 まるで会社の倒産を知らされた役員のように、世界が崩壊したような声をあげる妹。


「お兄ちゃんにギャルの恋人とが出来るとか……。なんかいろいろ、ショック…」


 やっぱ身内でもそうなるよね。つづいて、「付き合ったならその時に教えてくれればいいのに。お兄ちゃんって意外と、性格悪いよね~」と口を尖らせた。余計なお世話だ。(いつかは「性格良い」って言ってなかったっけ?)

 それについては勝手にショックを感じていてもらうことにして、話を先に進める。


「で、何だってこんなとこで電話してたんだ? 旅行にでも行くの?」

「何で分かったの?! ……って、分かるかこれ見れば」


 近くから確認できた、テーブルの上に置かれたパンフレット類。それは旅行関係のものだった。山や海、涼しげな渓谷の写真が所狭しと並んでいる。


「見ての通り、旅行のパンフレットだよ。友達と一緒に、夏休みにどこか行こうって計画中なの」


 さっきは隠そうとしていた妹だが、今度はまるで僕に対抗するかのごとく(?)答えた。


「計画するのはいいけど、父さんと母さんには話したのか? 旅行なんて、お前の小遣いだけじゃ到底――」


「大丈夫だよ。友達が全部出してくれるって言うから」


「エ!?!?」

 普通だとあり得ないことに、僕は驚きの声を漏らした。


「えへへ、すごいでしょ?  私の新しい友達ね、超裕福なの。それに、この旅行、彼女の別荘でやるみたいだから、交通費や宿泊費も全部カバーしてくれるんだって。まさかこんなチャンスが巡ってくるなんて思わなかったよ」


 驚きとともに、僕は妹の説明に聞き入っていた。


 彼女の友達がどれほど裕福なのか、そしてなぜこんなにも寛大かんだいに旅行の計画を立ててくれるのか、にわかには信じられない部分があった。


「中学の友達なのか?」

「うん、そうだよ。『今年は女の子の友達もできそう』って言ってたでしょ? その子」


 思い返すと……うん、なんとなく言っていた憶えがある。その時は男友達の方が心配だったのだが、まさかそっちが伏線だったとは、誰が思うだろう?


「彼女、毎年夏休みにどこかに行ってるんだって。それで、今年は私も誘ってくれるって言ってくれたんだよ。だから、あたしも一緒に行くことに決めたんだ。楽しみー!!」


 この話が事実であれば、その言葉どおり楽しみなのも分かる。

 けれども、どこかに違和感を覚えていた。妹の新しい友達がなぜこんな破格な条件で旅行に誘ってくれるのか。なにか裏があるのではないかと感じてしまう。


「妹よ…それについてはもっと詳しく聞かないといけないね。友達のこととか、旅行の詳細とか。安全性も考えないと」

 僕は懸念を持って言った。

  

 妹は微笑みながら、

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。みんな良い子ばっかりだから、きっと楽しい旅になるよ。安心して」


 そう言われたって、信じられるのか? 不安な気持ちが心の中で渦巻いていた。


「あ、でも。この旅行の話、お父さんたちに打ち明ける時は協力してよね? してくれないと、お兄ちゃんがギャルと付き合ってるのバラすよ?」

「バラすっておま、それは」

「分かってるでしょ? お兄ちゃんがギャルと付き合ってるなんて……お母さんが知ったら、なんて言うか?」

「…………」


 とりあえず無言になった。それは、時田さんと付き合っていくに当たって、あまり考えたくなかったことの一つだ。


 彼女から告白された時はたんと悩んだけど、これは僕の決めたことだ。人が何と言おうと、それで心が揺らぐことはない。


 が、それでも身近な家族の意見であると、色んな意味で無傷という訳にはいかないだろう。


 母はとても古い考え方の人であるため、僕がギャルっぽい女子と付き合うことに、反対してくることは必至ひっし


 できれば隠しておきたいが、時田さんのこの本気さは、ずっとそのままでは済まないだろう。交際が順調に進んでいけば、いつか必ず家族に紹介する時が来る……。(いやまだ僕高1なんだけど。)


 その時までは、この件は棚に上げておきたいと思う。できるだけ高い棚に。


「……想像したくないな。分かった、協力しよう。

 ただその旅行、できれば僕も行きたい」


「えぇっ!?! お兄ちゃん来てくれるの!? やった!じゃあ一緒に……じゃなくて。。


 ケッ、アニキなんて、いらねーのによー。しょーがねーなぁぁ!! おれがたのんでやるよォ!? けっ!」


 謎の態度をとり始めた妹。なんだろう……反抗期なのかもしれん。


 僕は席に戻った。


 注文した料理はもう来ていて、言い残していったとおり彼女は先に食べててくれた。でないと伸びるからね!


「ずるずる……。あ、あげピー! あげピー妹は、どうだった?」

 僕がオススメしたラーメンから顔を上げ、時田さんが尋ねた。


「突然だけど時田さん。夏に、僕たちと旅行いく気ある?」

 僕は尋ね返した。


「?! 何ソレっ!? いくいく! すぐ行く、3回くらい行く!!」

 喉に詰まらせそうになりながら、時田さんが喘いだ。


「だよね。まぁ、いくら夏休みだって、旅行3回は無理だと思うけど」


 僕は苦笑した。しかし、時田さんの脳内ではすでに都合のいい未来が繰り広げられているようで、


「そんなことないよ。妹さんたちと一回でしょ? で、じゅんじゅんとクラブの合宿で二回」

「なるほど…? もう一回は?」

「決まってるじゃん! もう一回は、うちとあげピー、ふたりきりのハネムー」

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