こじらせてるのは彼女の方だよ(2)

 ☆★☆★☆★☆


 時田さんが絞ってくれた濡れタオルを額に置き、布団ふとんにくるまっていると、


「お待たせー」と、お盆を手にした本人が入ってきた。


 前に学校で、好きな食べ物は肉じゃがだと言ったことを、おぼえててくれたらしい。

 スープ皿に入った熱々アツアツの肉とジャガイモは、香りも見た目も、すごく美味おいしそうだった。


「ごめんね、材料は持ってきたんだけど。鍋とか食器とか、いろいろ使わせてもらっちゃって」

「ううん、大丈夫。というか悪いね、ここまでしてもらって」


 僕が布団から出ようと上半身を起こすと、そこで止められた。


「あ、そのままでいいよ。うちが食べさせてアゲルから。アーンして?」

「いや、流石にそれは…。子供じゃあるまいし」

「えー、あげピー病人なんだけど? アーンしてくれなきゃ、あげない」


 ぷいっと。時田さんは手に持っていた深皿ふかざらを、僕から引き離した。


 なんだコレ……。恥ずかしすぎるんだけど…。

 甘えさせているようで、彼女の方が僕に甘えているようにも見える。


 でも実のところ、僕は病人だし、栄養はりたいし、これ以上意地を張ってる気力はなかった。


 せめて最後の抵抗として、『あーん』なんて口に出したりせず、


「(´□`)」


 無言のまま、口を開けた。


「ふーふー……。はいっ」


 みいなが冷ました分を、そっと、僕の口の中に入れてくれる。


 時田さんに対し、心のどこかに『ギャルって料理できるのか?』というつまらない先入観もあったのだろう。

 だが。その疑念は、すぐに吹き飛んだ。


「………美味しい」


 春先に寒さが舞い戻ってきたような日に。ぐつぐつ煮こんで、とろけそうなジャガイモ。

 薄めの肉もまた柔らかく、出汁だしの染みこんだ牛肉の味わいが口の中に広がる。これならば、一時的に気力の衰えている僕にも食べやすい。朝から空っぽだった胃袋から、涙がこみ上げてきそうな味わいだった。


「うふふ、うまいっしょ~! こっち、お粥もあるからね。はい、ア~ン」

「あーん……」


 さっきの肉じゃがが、予想以上に美味びみだったからだろうか。迂闊にも、釣られてアーンと言ってしまった。

(なんて迂闊――。妹に、『ハ? お兄ちゃん脳味噌まで風邪菌に冒された?』とか言われてるリアルな映像が浮かんだけど。ほどなく霧散した)


 お粥はといえば、温かくて柔らかい、米粒がわずかに残る食感と。あえて薄めの塩加減。肉じゃがの方が病人には少し濃い醤油味なので、こちらはそれとベストマッチしていた。


「ありがとう、時田さん。こんなに美味しい肉じゃが食べたの、はじめてだよ」


 感謝を伝え、お粥の入った茶碗を受け取る。こんなに食欲が出てきたら、病気もすぐに治りそうだった。

(肉じゃがの方は1人で食べさせる気がないらしく、相変わらずアーンさせられたけど。)しばらく箸を動かすのに集中していると、


「…ちっちゃい頃さ。風邪引くと親が、『移しちゃえ』って、言ってくれなかった?」

 ふと、時田さんが呟いた。


「ああ、あったかも? でも移したって相手もかかるだけで、自分は治んないのにね」

「うん。でも今の気持ちは、うちに移してーって、感じ。これでも責任感じてるんだよね」

「責任?」


 なぜそんなものを、時田さんが感じる必要があるのか。腑に落ちなかったが、


「あげピーが風邪引いたの、あたしがいろいろ連れ回したせいかなぁって。あさ明けるまで、電話もしちゃったし」

 と、申し訳なさそうな顔をした。(明けるのは夜だけど、まぁどっちでもいいとして。)


「そんなことないよ。自分でやりたかったから、やったことだし。

 早く元気になって、時田さんと、いろんなとこに行きたいと思ってる」


 そう感じているのが、僕だけではない限り。やがて現実になっていくであろう、これからのことを予告した。


「ほんとっ? あげピーは、どこか行きたいところ、ある?」

「そうだな……。…温泉とか?」

「あっ。いいぢゃん、それ!」

「でも、すぐは無理だね。学校が、ながい休みになったら」


 行きたいところを訊かれ、まず温泉旅行みたいなものを想像してしまったが、まだそういう時季でもないだろう。高校生だけで旅をする難しさもある。


 もしかしたら、小学生の頃は家族旅行に行くことがあったのに、最近めっきり行かなくなってしまっていたのを懐かしむ心も残っていたのかもしれない。

 普通に旅行に行けていた当時は、田舎だと夕方のアニメが見られなくなるから嫌だったんだけどね。人間、その時間のかけがえなさは終わってから気づくものだ。


「む〜、たしかに……。他に、すぐ行ける場所はないのん?」

「そうだな。時田さんがよければ、

洋服とか、一緒に見て欲しいかもしれない」


 そこで、近いうちに実現可能であろう、思いついたアイデアを話す。


「服?」

 少し意外といった表情を浮かべた。


「ほら。時田さんって、ギャルっぽくてお洒落だし、流行りとかも知ってそうだから、どう思うかアドバイスが欲しくて」


 そう。彼女と付き合うようになって感じ始めていたのは、以前より外出が多くなりそうだということだ。そうなると自然、私服でいる機会も増える。


 僕だって、男子の端くれ。お洒落とはどういったモノであるのかを知りたくて、思いきってティーンエイジャー向けの雑誌を買ってみたり、インターネットで検索してみたりしたこともある。


 だが、――同じ道を辿った人には共感してもらえるだろうが――それらをいくら見たところで、役には立たなかった。


 いくらモデルの写真を眺めても、一体どれがどういいのか、はたまた自分に似合うのか、何ひとつ分からなかったからである。


「でもさ。あげピー、この前着てたのあるじゃん? あれカッコ良かったよ?」

「それは嬉しいけど、逆にアレくらいしかないというか。あれだっていも―…っ」


 あれだって、妹に選んでもらった代物である――ということは、隠しておいた。餃子ギョーザの皮のような薄さだけど、僕にも意地というものはあるので。


「……コホン。と、とにかく。時田さん的に僕に似合いそうな服って、どんなだと思う?」

「あげピーに、似合う服か……」


 彼女に直接こんなこと聞くのもどうかと思うが、僕らの間にはこんなことでも相談していい関係がすでにあったのだ。


 時田さんは、こちらをジッと見つめる。

 現在、僕は灰色のパジャマ姿。それを心の中で着せ替えてるのか、ムムムと眉間にしわを寄せたが、


「………あ!? やだっ!」


 何かに思い至ったらしく。

 突然、猛烈に拒否された。


「えっ?! どうして?」


「だって、あげピーがそれ以上カッコイイ服着たら――

 女の子にモテモテになって、他のがいっぱい寄ってきちゃうじゃん!!」


「?!」


 僕は再び、絶句した。


 本日2度目のカルチャーショック(?)である。


 彼女のような女の子は、恋人にも似たように求めるものだと、我々は考えがちである。僕も、そう感じていたし、それで不安なところもあった。


 いや、普通はそうなのかもしれない。

 だが普通など意味はなく。ここでも時田さんは、一味違っていた。


「ど…どういうこと?」

「だって、あげピー今のままで充分カッコイイのに。そんな服着たら、歩いてるだけで女の子から声かけられちゃう、……逆ナン?って言うの? そういうの、されちゃうかもしんないじゃんッ。それ、すごい困る」

「いやまさか、そんなことには……」

「いや、ゼッタイされるよ。うちがあげピーのこと見かけたら、絶好そうするし。学校でもモテモテになって、あたしのことなんか、きっと目に入んなくなっちゃう…。

 だからあげピーは、目立っちゃ駄目。これ以上、恰好よくなっちゃ……ダメ」


 ベッドで半身を起こした僕の、パジャマの裾をぎゅっと引っぱる彼女。実際は、ちょっと服装を変えたくらいで、彼女が想像するような事態が起こることは残念ながらないだろう。


 しかし時田さんは、そうなることを信じて疑わない様子だった。


「あげピーの格好良さを知ってるのは、正直、うちだけでいいと思うんだよね……。

 あたしは、彼氏がどんな恰好してても、気にしないし。他人からどう思われてたっていいの。


 だからむしろ、どっちかったら、彼氏には

『地味で、ダサくて、目立たない服』を、着てほしい」


 時田さんの口から、本音が漏れた。


 好きな人の魅力を、自分以外には教えたくない。――こういうのを、独占欲っていうんだろうか?


 僕もそういう欲求は強い方だと思っていたのだが、彼女の方が度が過ぎて、かすんでしまうよ。

 

「じ…地味な方がいいんだ? それはそれで、なんというか……」

 なんか、それだったらいつも1人で出かける時みたいな恰好で、いい気がする…。


 いいのか、それで?


「待っててね、いまそーゆー服を調べてあげるから!

〈ダサい服〉、〈絶対NG〉と………え、これ? 何がダメなのか分かんないんだけど。こんなのあげピーが着てたらワイルドすぎて惚れるんだけど。

 こっちは……う、駄目駄目! これもあげピーが着たら、可愛く見えちゃうよ! う~…どっかにないの? もっとみんな逃げちゃうような最悪な服ー…」


「あの………その……。時田…さん?」


 僕としては、流行の最先端を知るギャルにファッションチェックしてもらえると思ったのだが、

 なぜか『彼氏の魅力が下がる服』を、探し始めてしまった時田さん。


 だが、おかげで肉じゃがが盆の上に置きっぱなしになったので、僕はこれ幸いと、お粥と一緒に1人で完食して、「ご馳走様でした」と手を合わせた。


 時田さんはというと、いろんなコーディネートを検索しては僕と見比べ、ウンウンうなっていた。


 ……しょうがない、自分で調べよう。妹を頼りにするのは最終手段である。



 時田さんに看病してもらって、風邪を移してしまうのではないかと気がかりだったのだけど、心配無用だったようだ。

 彼女はすでに、もっと大切なものを、色々こじらせているようなので。

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