こじらせてるのは彼女の方だよ(1)

「ゴホゴホ…! うぅ……つらい」


 どうやら僕は、風邪をこじらせてしまったらしい。


 ここのところ、季節外れの春風邪が流行ってるというニュースがあった。

 あんまり活発でなかった人間が、急に新しいことに挑戦したり、頻繁に出かけたりするようになると、

 その隙を突いて、こんなふうに風邪菌の猛攻を受けるようだ。


『学校を休めるのは、ラッキーな気もするし、嫌いじゃないけど。

 不安にもなるのは、なんでなんだろうな…』


 意識が朦朧もうろうとしていた。


 こうして休んでる時は仕方ないと思うのだが、『このままでいいのか』、なんて考えたりもする。


 そんな心細さを、布団にもぐって忘れようとする。療養のためにも、眠ってしまうのが一番だ。少し微睡まどろんだところで、


 ――ピンポーン。


 玄関の、チャイムが鳴った。


「誰だよ? せっかく寝ようとしてるのに」


 親は仕事で出ているし、妹も学校でいないから、家には僕しかいない。


 無視してもいいと思うのだが、郵便配達とかだったら後で面倒なことになる。風邪を移さないようにマスクをして、フラフラ玄関に出ていくと。


 そこには、時田さんが心配そうな顔で、僕の前に立っていた。


「あげピー、大丈夫!?」

「あれ、時田さん……? 学校はどうしたの?」

「朝、風邪で休むってメッセージもらったから。学校行ったんだけど、やっぱ待ってらんなくて、早退してお見舞いに来たの」


 そういえば、朝は時田みいなへも欠席の連絡をし、〈まじ?! 大丈夫!?〉と入っていたが、返す元気がなく、そのまま放っておいたんだっけ。


「もうすぐお昼だし、……あげピーに、なんか栄養あるもの作ってあげたいなーって」


 大袈裟だなあと思いながらも、おとなってくれた喜びも隠しがたい。ドアを押さえて彼女を入れた。


「ありがたいけど。ダメだよ、サボっちゃ」とこぼすと、「大丈夫大丈夫。まだ授業そんな難しくないしっ」なんて言いながら、三和土たたきで靴を脱ぐ。僕はそれを背にして、自分の部屋に


「………ちょ、待った」


 向かおうとして、玄関まで戻った。


 時田さんは「どぉしたの?」と首を傾げたが、とても気になる事実に気づいてしまったので、僕は問いかけた。


なんで僕の家がわかった、、、、、、、、、、、の? 最近は連絡網とか、作んないのに」

「それはわかるって。あげピーん家の近くまで、いつも一緒に帰ってるし」


 思い出すと時田さんの言うとおり、事情がある時以外、よく一緒に帰っていた。

 だが、それは答えになるようで、なっていない。 


「たしかに、〝近くまで〟はね。でも、この団地に住んでるってことはわかっても、『どの棟の・どの部屋に住んでるか』ってことまでは解らないよね? 僕も教えてなかったし」


「えー、そんなの簡単だよ。 

 あげピーと別れる時はさ。いっつも名残なごり惜しくて、途中で引き返して、その背中をじっ…と見てるじゃん?

 そしたら、この棟に入ってくのが見えるよね。

『もしかしたら上で出てくるとこ見えるかもー』って、その建物の正面に回るじゃん?

 んで、上の方を眺めてると、

『あぁ、あげピーが出てきたぁ! あんなとこ歩いてるぅ…!』って嬉しくなるわけ。

 そんで部屋に入ってくとこまで見てたら、家がココだって分かっちゃうよね? 自動的に」


 僕は絶句した。


 ちょっとしたストーカー行為を堂々と、しかも克明に説明されてしまったからだ。


 気づかないところで自分のこと見られてたとか。なんだろうこのむず痒さは……。


 ここで、僕ははたと思った。


 時田さんに、しばしば見受けられる――多くはヤンデレ的な――問題行動。それを、この機会に注意しておいた方がいいのではないだろうか?

 できるなら、早い方がいい。そうだ、いまのうちに手を打とう。


「あのね、時田さん。いくらつ…(ゴホッ)、付き合ってると言ったって、

 相手が教えてないことまで知ろうとするのは、どうかと思うんだ」

「え?

 でも彼氏の家は、知ってて良くない?」

「む。それは……」


 2人が恋仲として、交際しているという事実。

 僕がそういうのに、まだ慣れていないせいだろうか。そうしようと互いに決めただけなのに、その現実は、すごいパワーを持っているように思える。


 しかし、恋仲に慣れてないのは、時田さんだって同じはず。ここでひるんでは、いけない。


「それは、そうかもしれないけど。付き合ってる相手のことを、こそこそ嗅ぎ回る必要もないんじゃないかな?

 家は時が来たら、教えるつもりだったんだ。それを教える先から、彼女がいきなりやって来たら流石に――」

「あっ!」


 時田さんは、自分の失態に気づいたように声をあげた。


「そう……だよね。ゴメンあげピー。あたし気づかなかった」

「いや、いいんだよ。時田さんが、わかってくれれば」


 ほっと一安心しかけたが、彼女は何を思ったか、紙にサラサラと文字や数字を書き付けて、


「これ、うちの家の住所と家電の番号ね!」

「……いや、そういう意味ではなく」


 僕は額の上を軽く押さえながら、心の中で盛大ズッコケた。


 図らずも、彼女の個人情報をゲットしてしまった。でも……くっ、ちょっと気になる。これどのへんだったっけ?

 近所でも、自分の住居以外は番地を与えられても、すぐには思い浮かばないものだ。あ、もしかしてあの薬局スーパーのあたりか? あの辺りに、大きいマンションがあったはずだけど。


「……ウチ、親帰んの遅いし、いつ来てもいいから」

「あ、そ、そうなんだ…?」


 ますます危険な情報を得てしまう。うちは妹がいるので、帰ったらすでにあのかしましい年ごろ女子が家にいることも多い。

 時田さんが家に来ていいと言うのなら、その方が過ごしやすいこともあるかもしれない。 


 しかし……。彼女のヤンデレ癖を矯正すると、いま決心したばかりだ。ここは踏みとどまらなくては。


「あ、あのね。いくら恋人同士だからって、こういう個人情報を気軽に与えるのは、危ないと思うよ?」

「そう?? 相手あげピーなら、困ることなくない?」

「嬉しいご意見だけど、人間何があるか分からないからね。

 もしも、もしもだよ? 何かの間違いで、僕が彼女のストーカーのようになってしまったら……どうする? 時田さんを自宅まで追いかけていったり、待ち伏せしたり、手荒な行為に出たりするかもしれない……。

 そうした危険もゼロではないことを、知っておいた方がいいと思うんだ」


 もちろん僕はそんなことするつもりはないが。あえて最悪な展開を提示してみた。あえて彼女を怖がらせ、僕に対する明け透けで無防備な行動を、見直してもらうためだ。


「え」


 そんなこと時田さんは、考えたこともなかったらしい。驚いたように目を見開いて、しばらく僕の言ったことを想像していたが、


 ………なぜか。予想だにしない答えが、帰ってきた。


「全然―――大丈夫だよ?」

「え?」


「うちそういうの、全然平気。あ、もちろん好きな人ならっていうか、あげピー限定だけど…。

 あげピーがストーカーみたいになって、あたしのこと付け回したり、待ち伏せしたり、痛いことしたりしてくれるんだよね?

 それって。そんくらい、うちのこと好きってことじゃん? だったらスゴい、嬉しいってゆうか…。


 てゆうか、ちょっと……されたいかも……?」


 テヘと。時田さんは、自分の妄想に照れたように笑った。


 それはまるで春日部かすかべに住むスーパー幼稚園児が、大人のおねえさんを前にして、口許をいやらしくゆるめた時のような、笑い方だった。


「――…!」


 この時、僕は悟った。


 これは……この娘は……危ない―――と。


 ヤンデレというと、漫画やなんかの影響でつい、『痴情のもつれで命を狙われそう』とか思ってしまいがちである。だが現実でそういうことは、まあ滅多にない。本当の危険は、別にある。:


 彼女のようなリアルヤンデレは、自他問わず、過度な愛情行動を――本当は狂愛行動とでも名付けたいところだが――誘発してくるのだ。


 うっかり彼女の提案に乗ってしまうと、そのうち〈常識〉だと思っていたものが常識ではなくなり、

 2人の世界なら、何でも許されるような気がしてきて……

『彼女は俺のために、何でもしてくれる。これが本物の愛なんだ!!』と思いこんだ、ダメ彼氏になってしまうことだろう。


 最大の問題は、時田さんの方がそれを、望んでいるフシがあるということ。


 しかしそれは――その愛のカタチは――それこそ〝んだ〟結果にしかならない。僕がこの瞬間に悟ったのは、そんなことだった。


 ヤンデレ傾向のある恋人とうまく付き合っていくためには。彼女と同じ思考法で考えることは、どうしても避けなければならないのだ。


「駄目駄目っ。しないから。僕はそういうことは、しない」

「なんで? あたし、あげピーになら何されたって、全然へーきだよ??」

「それでも駄目だよ。…そ、そういうのは、愛情じゃないッ」

「えーっ。全然いいのに。

 でもあげピー優しい……。好き…」


 彼女が僕を好きだと感じてくれる、その論理的なポイントがいまだに理解できないのだが。


 なんとかこの危険思想から彼女を遠ざけようと僕は奮闘した。勇気を出して背中を押し、「何かご飯、作ってくれてるんだよね? 楽しみだな~」とこぼすと、「あっそうだった。美味しいの作るから、待っててねー!」と、時田さんは張り切って台所に向かっていった。


 彼女がいなくなると、僕は白い壁に背を預け、


「……確実に、熱が上がったに賭ける」


 ふうむ。はじめて家に来た日の会話が、これとは。僕の家を知った経緯といい、愛情とは何かを勘違いしたような発言といい。彼女はいろいろと型破かたやぶりすぎる。


 最近はギャルがヒロインを張ってる恋愛マンガや小説も、かなり人気があると聞く。しかし時田さんの場合はいろいろと規格外すぎて、メインヒロインにはなれないことだろう。


 それでも。もしもこの先、時田みいながメインヒロインになれて、大人気になるような時代が来たら……。


 それは確実に、世も末ですよ。

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