滝と温泉にて

 午後、僕らは海の見える別荘を離れ、山の方へ向かうことになった。


 言いそびれていたけど、僕らが訪れている場所は火山島で、温泉の湧く島でもある。


 なので、今日は豊かな緑に包まれながら、僕たちは静かな森の遊歩道を歩いていた。メイドさんが運転してくれた車は山の裾野に停めてある。


 周りには様々な植物が広がり、緑の天蓋てんがいを作り出していた。中でも、シダ植物が多いように見える。


「うわぁ、すっごい! まるでジャングルみたい!」

 足を踏み入れるなり、時田さんが興奮ぎみに言った。


「この木、こっちの方じゃあんまり見ないわよね。なんなのかしら?」

 佐波さんが低く垂れ下がっている、大きな葉っぱを眺めながら言った。


「ここにある植物のほとんどは、〈ヘゴ〉と呼ばれるシダです。湿度の高い森林地帯でよく育ちます」

 と、メイドさんが一緒に歩きながら教えてくれた。


 僕は頭上を見上げ、天を仰ぐヘゴの大きな枝分かれした葉に目を奪われた。


「こんなに緑が濃くて、空気も新鮮だね」


「なんか、こうゆー森みたいなトコって好き。珍しいキノコとか生えてそう」


「あんまりはしゃぐんじゃないわよ。足元には気をつけて……っとと!?」


 かすかに、水のせせらぎが聞こえ始めた。せせらぎというより、水が勢いよく注ぎこむシャワーみたいな音と言った方が正しいだろうか。


 田崎くんは、少し息を切らせて、

「この階段、けっこうきついね…」


「大丈夫、田崎くん! のぼりきったらあとは平らだって」

 妹はまだ元気が有り余っているようだ。


 僕は最近は時田さんと外出の機会が増えたおかげか、まだ余裕があったが、あまり坂が長いと厳しくなりそうだったので安心した。


 今後、伝説研とかで山登りをするなら、ちゃんと準備しないといけないな。そういう機会も、あるといいけど。


 さて、道を進むにつれ、水の音が大きくなってくる。やがて、美しい滝にたどり着いた。


 滝は白い飛沫を上げ、大きく広がっていた。辺りは霧がかったようになっている。

 勢いは激しいものの、怒濤どとうの滝というほどではない。しかし、穏やかでありながらも独特な力強さを持っている。


 幻想的な美しさ。まるで岩や森に白いベールがかかっているみたいだった。 


「わぁ、綺麗……」

 時田さんが柔らかい声で言った。


「本当に… 自然の力って素晴らしいですね」

 牛館さんが感心しながら応じる。


「うーん、自然のアートね。ただ水が流れ落ちてるだけだってのに、都会ではなかなか見られないわ」

 佐波さんはクールに言って、スマートフォンのカメラを起動した。


 他にも何組か観光客が来ていて、写真を撮ったり、心ゆくまで眺めたりしている。暑い夏に白い滝は、音も見た目も涼しかった、


「この滝は、裏にも行けるんですよ。滝を裏側から見ると、また違った趣きがあります」

「そうなの?! 行ってみたい!」


 妹がメイドの勧めに反応した。牛館さんと田崎くんを誘って行くようだ。


「時田さん、僕らも………あ」


 僕は彼女と一緒に、後ろの方から眺めていたのだけど。最初に感嘆の声を漏らしたきり、黙って見つめていた時田みいなは、無言のままそっと僕の手を握った。


 彼女の瞳は、滝のきらめきを映している。


「………」


 自分でも、そろそろ慣れろと言いたいところだが、こういういかにも恋人っぽいリアクションには、やっぱり驚いてしまう時がある。


 本能の成せる技なのか。彼女には衝動的に動くところが、どうしてもあるみたいだった。妹のように計算ずくめで動いてくれれば、もう少し対処しやすいのに。(…いや、別にそんなことはないか。)


「おお、お若いの! ずいぶんとお熱いね」


 その時、初老の観光客が僕らに話しかけてきた。たまに旅先にいる元気なオジチャンといった感じで、隣には同じ年配の女性がいる。どうやら夫婦連れのようだ。


 恥ずかしいところを見られた僕らは『わっ!』『きゃ!』と慌てて手を離し、


『い、いや、そういうんじゃないんです!』


 と言って必死に弁明する。……なんて、お約束の演出を、僕は予想したのだが。


「そうなんです……うちらマジ仲良くて。ラブラブで困っちゃうくらいなんです…♡」


 それは僕の頭の中だけのことであった。現実は、彼女は手を離すどころかぎゅ…と掴み、身を寄せて仲の良さを表現した。


「あっはっは、まるでワシらの若い頃のようだのう」

「本当ですねぇ。学生の頃を思い出すわ」


「そうなんですか、奇遇ですね! 私たちも、学校卒業したら結婚するつもりなので……」


 …………。


 学校では、僕以外の男に関わらないという、謎の貞節を自ら貫いている彼女だが。

 元々コミュ力高めな女子だけあって、気さくに応じてくれるのはいいが、あることないこと広められてしまっているような?


「あの、前から思ってたんだけど、まだそんな約束した憶えが……。あの、時田さ~ん?」


 パシャ!


 その時、パパラッチのようなフラッシュが光ったと思ったら、光源は佐波純子で、


「フフ…‥。これ、クラブの活動記録だから」


 と冷笑しながら、シャッターを押していった。


 一方、妹は、

「む。…ほら、早く行くよ田崎くん!」

 と田崎くんの手をとった。


「えっ? あ、うんっ!(俺らも手、繋いでる……)」


 実際は、妹は服のそでを掴んでいたのだったが、田崎くんはのぼせ上がっている様子だった。ぜひとも、その調子で妹の相手をしててもらいたい。僕なら絶対、彼の方が先に愛想を尽かすって方に賭けるけどね。


「わぁ、すご! 本当に滝の裏側を通れるんだ~」


 滝の裏側を通り、彼女と一緒に水しぶきを感じながら進んだ。安全のため、ふちにはロープが張ってある。


 妹はそのギリギリまで前に出て、「あそこで泳げたら面白そう」と呟いた。僕がその危険性を喚起かんきすると、「お兄ちゃんマジレス禁止ー」と言われてしまう。お前なら本気で知り合いを突き落としかねないから言ってるんだけどな。


「ふふ。水に浸かりたいのなら、いい場所がありますよ」

「?」


 代わりに、彼女が提案したのは近くの温泉だった。


「その温泉は隠れた名所なんです。森の景色を眺めながら、ゆっくりとくつろげますよ」

 と、牛館さんが教えてくれた。 


「やばいよあげピー、温泉だって!」


 移動中、時田さんがワクワク感を表明した。今回の旅行は海水浴メインの予定だったので、まさか温泉にまで入れるとは思わなかった。


「あ、でも……」

「うん?」

「温泉だと、一緒に入れないね」

「ああ…‥…それはね」


 苦笑しつつも、僕もちょっと残念な気持ちがしていた。


 ああ、いやホント、そういう意味じゃなくてね。


 この旅行で同じ時間を過ごして、みんなと一体感みたいなものを感じるようになっていたので、こういうところで分かれなきゃいけないのが惜しいような気がしたのだ。あまり、口に出して言えるようなことじゃないのかもしれないけど。


「ふふ、心配いりませんよ。ここは混浴なんです」


「そうだったの? あ、『水着を持っていけ』ってそのことだったのね」

 佐波純子が、肩に掛けていたバッグを担ぎなおした。


「ジュンジュン、浮き輪が無駄んなったねー?」


 同じ部屋で、詰めるのを見てたらしい時田さんが言った。「これはまあ…ほら!あの滝壺で泳ぐかもしれなかったから!」と言ってしまい、「あ!じゃあジュンコ先輩!一緒に、泳いでいきますか?」と妹に絡まれていた。


 さっき写真を撮られたお返しとばかり、僕は見て見ぬフリをすることにした。


 ☆★☆★☆★☆


 更衣室で着替えた後、僕たちは森に囲まれた温泉に浸かった。露天風呂である。


 温度はそこまで熱くなく、少々ぬるめ。いまみたいな季節は、このくらいがちょうど好い。


 滝があった場所とは方角が違うが、同じ山に属しているため、さっきまでと同じような景色を楽しむことができる。


 原生林にも似た、あの大自然の抱擁の中に包まれる。最初にメイドさんが教えてくれた、ヘゴの木も見えた。


 時田さんは満足そうな吐息をつき、「こんなに自然に囲まれるなんて、最高」と言った。


 目を閉じてもたれかかる佐波純子は、「この、平和で静かなひと時……。日常の混沌から離れた気分だわ」と加えた。


「牛館さんは、ここに来たことあるの?」

 湯に身体を沈めながら、僕は尋ねる。


「あ……はい。小さい頃に、家族で昔、来たことがあって。

 その時から、もう一度行きたいと思っていたんですが、なかなか時間がとれないみたいで。

 だから今日、皆さんと来れてすごく嬉しいです」

 牛館さんは、その時のことを思い出したように微笑んだ。


 家族というのは、今回は仕事で来られなかったという御両親を指すのだろう。僕らなんかでいいのかチト不安だが、彼女は紹介できて嬉しそうだった。


 普段は静かな田崎くんも、「こんな場所があるなんて知らなかった。落ち着くね」とようやく口を開いた。


 妹はそんな彼にお湯をはねかけながら、「もっと外に出た方がいいよ、田崎くん!」と楽しそうに笑った。




 かくして、ちょっとしたハプニングから始まった僕らの旅行は、海や山、温泉でまったりとリラックスし、自然との繋がりだの互いの絆だの、いろんなものを深める場となった。夏の島で共にした平和な時間は、忘れられない思い出を残したようである。

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