第31話 奴隷を解放……できなかった


 それから一週間ほど、俺は廃修道院でゆっくりまったり過ごした。

 飯を作り、建物を直し、ノノたちのバイトの送迎をしたり、だんだん名が売れてきたバセッタの勝負を後方から見届けたり。

 平和だった。夢みたいな生活だ、と俺は思った。


 ある日、冒険者ギルドが管理している俺の口座に金貨三百枚が振り込まれた。

 オーフェリアは約束を守ってくれたようだ。

 レオポルドが収入源と武力の一部を失ってから、後継者争いは小康状態で落ち着いているらしい。正直、できることならこれ以上関わりたくないが……どうなるやら。


 そういえば、バセッタの目標は金貨百枚を貯めることだったな。

 マフィア相手の大勝負では動転して失敗したが、既に立ち直っている。負けを知ったことで、彼女はますます強くなったはずだ。

 ……あいつはもう、一人でやっていける。俺が守る必要はない。


「バセッタ。話がある」


 夜、俺は修道院の外れへと彼女を呼び出した。


「ご主人、どうしたの?」

「この前の報酬が入った。俺が上手くやれたのはお前のおかげでもあるし、いくらか分配したい。これを受け取ってくれ」


 金貨百枚の入った袋を渡す。バセッタが目を丸くした。


「ご主人……?」

「それと、バセッタ。お前はもう、俺が守ってなくても大丈夫だ。だから、もう奴隷と主人なんて関係は終わりにしよう」


 俺は一枚の書類を取り出す。俺がバセッタを所有している、という証書だ。

 この証書が無くなれば、バセッタは自由になれる。


 ほんの一瞬だけ、俺は躊躇した。もうバセッタと会えなくなるかもしれない。

 でも、やらなきゃいけない。きっと、こうするのが正しい行動だ。


 俺は証書をバラバラに裂き、崖へと撒いた。

 海風に乗り、奴隷の証が舞い散っていく。


「あっ……だ、だめ!」


 バセッタの瞳に涙が浮かんだ。

 飛び散る証書を掴もうと手を伸ばした拍子に、彼女は崖から足を踏み外す。


「……おい!? 何してるんだ、バセッタ!?」


 彼女を掴み、引き戻す。肝が冷えた。ギリギリだ。


「だって……だって、やだ……ご主人と離れたくない」


 涙声で、俺の懐に飛び込んできた。


「捨てないで……!」

「ち、違う! そういうのじゃない!」

「じゃあ、なんで!」

「俺はただ、奴隷を所有することに馴染めないんだよ! 価値観の問題なんだ!」


 この世界に押し付ける気はない。でも、地球の価値観を全て捨て去る気もない。

 そんなことをしたら、俺の殺しに一切の歯止めが効かなくなる気がするから。


「別に、俺のそばに居たいんなら構わない。お前には、俺の所有物であってほしくないんだ。それだけなんだよ。分かってくれ、バセッタ」

「……やだ。奴隷がいい」

「何でだよ? どうしてだ? 人間として認めてもらえず、道具として使い捨てられるような立場をどうして求めるんだ!? 俺が奴隷から抜け出すために、どれだけ必死で足掻いたと思ってる!?」


 最低限の仕事が出来る年齢になった瞬間、俺は奴隷商に売り飛ばされた。

 行き先は鉱山だ。鉱毒で次々と奴隷が死んでいくような場所だった。

 ……この世界はクソだ。少なくとも、地球と同じぐらいには。

 俺に世界を変革する力なんてない。誰にもそんな力はない。

 でも、せめて、手の届く範囲ぐらい。


「なあ、バセッタ……」

「理屈じゃない。だってご主人、人を好きになるのに理由なんてない。助けてもらった瞬間に、わたしは分かった。あなたこそが、わたしのご主人って」


 彼女が俺を見上げる。瞳に月が映り込んだ。


「絶対に、間違いない。あなたはわたしのご主人。それが、真実」


 彼女の熱狂は、絶対的な信仰に近いものがあった。

 俺の背中に腕が回る。あまりに強く抱きしめてくるから、爪が食い込んでくる。


「やめてくれ! 俺なんかにそんな目を向けるな!」


 思わず腕を振りほどく。


「お前たちと会ってから今まで、俺が何人殺してきたと思ってる!? ……覚えてないんだ! カジノの中で何人殺したかですら、もう覚えてない! 俺は……!」


 バセッタに背を向けて、崖に座り込む。


「……俺なんて、悪人だよ。殺してきたクズと大して変わらない」

「ご主人。どういう理由があっても、殺すのは悪いこと?」


 答えられなかった。

 殺さなければいけない時はある。だとしても、俺がそんなことを言ったら、まるで自分を正当化しているみたいじゃないか。


「ご主人の、そういうところ。優しくて、真摯で、本当は迷ってるところ。わたしは、好き。わたしは、ご主人はいい人だと思う」

「違う」

「もし違ったとしても、わたしはそう信じてる」

「……そうか」


 重い言葉だ。

 救いでもあり、呪いでもある。

 そこまで言いきられたら、もう俺は何も言えない。

 善悪なんて人それぞれ、価値なんて人それぞれ……。

 薄っぺらい言葉だが、真実だ。


「バセッタ。どうしても奴隷がいいのか」

「奴隷がいい」

「なら、こういうのはどうだ。俺は証書を作らない。書類上、お前は自由な市民になる。だけど、市民が俺の奴隷だと言い張る分には自由だろ?」

「……分かった。それで妥協する」


 彼女は頷いた。


「ご主人、ここで待ってて」


 バセッタが部屋から何かを取ってきた。それは首輪だった。

 奴隷商に嵌められていたものとは別だ。ずっと質がいい。

 こいつ、自腹でなんてもん買ってんだ?


「ご主人?」


 彼女はチョーカーを外した。顎を大きく引いて、目を瞑って待っている。

 ……俺は、奴隷制度は嫌いだが。

 判断能力のある二人が、合意の上でやっている事ならば、まあ、いい。


「……うん。まあ、似合ってるんじゃないか?」

「ん……」


 バセッタは満足気に首輪を触った。

 もう後戻りは出来ない。これでよかったんだろうか。


「それと、ご主人。この金貨百枚、返す」


 彼女は金貨を突き返してきた。


「金貨百枚がわたしの値段だった。わたしを助けてくれた恩を返すために、まずは身柄ぶんの値段を返そうと思ったから、金貨百枚を目標にした……」

「……なるほど。なら、受け取れないな」


 ちょっとだけ格好つけて、俺は言った。


「バセッタが金貨百枚じゃ、安すぎるだろ?」

「ご、ご主人……」


 彼女の瞳が、星空を反射してキラキラと輝いた。

 これでいいのかどうかは分からないけれど……少なくとも、本人は満足してるみたいだ。

 バセッタが喜んでるんなら、それでいいか。 





―――――――――――――


というわけで、バセッタ編は一区切りです。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。

ちょっと前に日間の一位とか週間の一位とか取れちゃったみたいで、もう1万人もの方々にフォローして頂いていて、ものすごいですね。すごい。

冒険者っぽいことやりだす前にギャンブルやりだすぐらい好き勝手書いてる小説ではありますが、多少なり楽しんでいただけているなら幸いです。


既に書き溜めがほとんどない状態なんですが、一日休んで明後日ぐらいには連載再開できると思います。多分。

次のノノ編では、主人公がもう少し冒険者っぽいまともな方向で活躍します。多分。

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