第30話 後始末
「ご主人様ーっ! 無事でよかったです!」
縄ハシゴで建物から降りてきたノノが、全速力で抱きついてきた。
両手両足でがっちりしがみついてくる。
重い。
……いつまでしがみついてるんだよ。
ま、ちょっとぐらい好きにさせてやるか。
「さっきの奴は撃っていい相手だったのかな? ボクの判断が間違ってないといいんだけど」
アルルカも縄ハシゴから降りてきた。パッ、と縄を揺らせば、屋上に引っかかっていたフックが外れ、彼女の手元でみるみる巻物のように丸まっていく。
双眼鏡を握っているあたり、観測手としての役をやっていたようだ。
ほんとこいつ、自信の無さを除けば万能ハイスペックだよな。
「正しい判断だった。あいつらは悪人だ。気にしなくていい」
「ご主人」
「ん?」
バセッタが裾を引っ張ってくる。
「火事のこと……」
「ああ、そうだな。もうそろそろ来る頃じゃないか?」
俺たちの集まっている裏路地へ、厚化粧なウェイトレスが歩いてきた。
彼女は金髪のウィッグを投げ捨てて、化粧を落とす。
「……麻薬の供給源を潰すどころか、レオポルドを支えている組織ごと潰す結果になりましたね。まさか、あんな現場に居合わせるとは……。相変わらず、あなたは悪運ばかり強い」
「ヴィクトリア。来てくれてありがとう。助かったよ」
「いえ。今回に関しては、タランテラの動きを掴みそこねた私の責任ですから。普段は冒険者の尻を拭うのが仕事ですが、今回ばかりは拭われる側でしたね」
バセッタの口があんぐりと開いていた。
「へ、変装?」
「ああ。実際のところ、俺はヴィクトリアが来るまでの時間を稼いでたんだ」
俺たちが帰るまでの間、ヴィクトリアにノノたちを見てもらっていた。
だから、俺たちが帰らなければ不審に思って調べに来る。
……ヴィクトリアの言っていた通り、脳筋になりがちな冒険者の尻を拭うのもギルド職員の仕事だ。必然的にスパイじみた技能を身に着ける者が多い。
こいつとはそれなりに長い付き合いだ。腕がいいのはよく知ってる。
「思った通り、ヴィクトリアはウェイトレスに変装して現れた。正直、見事な変装すぎて外見じゃ分からなかったけど、酒で分かったよ」
「蒸留酒のシロップ割りなんか、正気の人間は作らないし、飲みませんからね」
「おい、甘くて度数の強い酒が好きで何が悪いんだ? 俺の故郷には、ストロング・ゼロなる酒があってな……」
「でも、どうやって」
バセッタが首をひねった。
「単純に、遠回しに伝えただけだ。”試合後のトイレ休憩中”、”熱い”、ってな。これでも十分だったろ?」
「ええ。こういう時に火事を使うのは定番ですからね」
「あ……あの時に!」
バセッタが雷にでも打たれたような顔をしている。
「わたしは……テーブルの上で起きていることしか見れなかった……」
「ま、経験と年季の差だな」
「ご主人、すごい……!」
「その状態で格好付けたって、まったく決まってませんよ、サクラダさん」
まだ俺に抱きついているノノが、胸板に顔をうずめて尻尾を振っている。
「いい加減にしろ」
「ぎゃん」
尻尾を掴んで引っ剥がした。これでよし。
「それに、まだ今夜の仕事は終わっていませんよ? ボスが逮捕されて〈タランテラ〉が動揺しているんです。この機会に連中の尻尾を引っ掴んでやりましょう」
「ああ。尻尾を掴むのは慣れてる」
頭が潰れてバラバラに動きだす〈タランテラ〉の連中を捕まえ、情報を聞き出し、麻薬を栽培している隠し農場を探して潰す。
そこまでやっておかないと、これからの治安が不安だ。
「こいつらを安全な場所まで送り届けたら、続きをやろう」
それから、俺は深夜の街を駆け回った。
他の冒険者と協力して無理やり情報を探り、主要な幹部を殺しながら農場へ乗り込んで全てを破壊する。
作戦はスムーズに進んだ。事前に情報収集した甲斐があったな。
「ば、化け物……」
「まったくだ」
恐怖で動けない構成員を蹴り飛ばし、仕事を終える。
俺は轟々と燃える農場に背を向けた。廃修道院への道をたどる。
雲間から朝日が登り、小鳥が鳴いた。
爽やかな朝だ。あいつらはちゃんと寝てるだろうか。
……帰るべき家があり、帰りを待ってくれる人がいる。
たったそれだけのことが、不思議なほどにありがたく感じられた。
いや、不思議でもなんでもない。今の俺はまともな社会の外側にいる。
こんな風に夜の街を駆け巡り死体の航跡を残すような男が、平凡な幸せを掴めるはずはない。奴隷たちは今こそ俺に懐いているが、きっと今だけだ。
このまま行けば、愛着が強くなりすぎるかもしれない、と俺は思った。
早いうちに奴隷たちを解放しておきたい。
いずれ終わる関係だと分かっているなら、早いほうが痛みは少ないから。
少なくともバセッタには、もうスキルを生かして一人で生きていく力がある。
「そろそろ、あいつを奴隷身分から自由にしてやるか……」
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