第27話 深まる夜


 卓上の状況はよろしくない。

 最初こそ順調に勝ちを積み重ねていたバセッタが、運悪く重なった負けから調子を崩していく。

 俺と王女とバセッタを合わせて、金貨二百枚分……二千万円相当だった資金は、じわじわと失われていく。

 残りの資金は、既に金貨五十枚分。四分の一。

 一千万円あった俺の貯金は、一晩にして二百五十万にまで減ったことになる。


 だが、金のことを気にしている場合ではない。

 最終的に全員殺すなりして脱出できるかどうかが問題だ。

 今は耐えるしかない。


 ……しかし耐え続けるにはレートが高すぎる。最低単位が金貨一枚だ。

 加えて、このテーブルは、”アンティ”と呼ばれる全員共通の参加費がある。強制的に金貨一枚を賭けた状態から始まるので、即降りしても損失が出るのだ。


 幸い、仲間内でチップを移動するのはセーフだから、王女が一人だけ負け続けてすぐに勝負がつくようなことにはならないが。

 それでも、勝負に出て勝たない限り、すぐに資金は尽きる……。


 俺はバセッタを見た。

 彼女の腕を信じて、バセッタにチップの大半を分配してあるが、様子はよろしくない。

 彼女の頬は真っ赤に染まり、荒い呼吸の音がここまで聞こえてくる。

 完全に冷静さを失っているようだ。


 それでも並の人間が相手なら圧勝だろう。

 実際、護衛のウルザンはバセッタに翻弄されて細かい負けを重ねている。

 だが、ヴェントリコはかなりの実力だ。こんな”余興”をやるだけはある。


「レイズ」


 バセッタが手を震わせながら、金貨八枚分を上乗せする。

 ヴェントリコが微笑み、応じた。

 ショウダウン。開いた二枚の手札は両者ツーペアになる組み合わせだが、数字はヴェントリコが上。

 今のラウンドで、残りの金貨は四十枚にまで目減りした。


「ヴェントリコ。提案があります」


 ラウンドの合間に、オーフェリアが言った。


「降参する気になったかね?」

「わたくしの金庫に、金貨が一千五百枚ほど眠っております。手下を走らせて、ここへ運ばせてもよろしいかしら」


 ヴェントリコが不気味なほどにこやかに笑った。

 ビジネスの世界で動く金額からすれば、さほど大きな額でもないが。

 この反応だと、資金繰りの不足分を補うのに十分な額だったのだろう。


「だが、誰を走らせるのだね? 外に護衛でも?」

「……そうですね、バセッタさんにお願いしようかしら」

「駄目だ」


 俺は口を挟んだ。

 離れ離れになれば、人質に取られるリスクがある。


「このカジノの金庫番を呼びつける。大金を扱わせるなら、それが確実だろ」

「いいだろう。到着まで、少々の休憩を入れるとしよう」


 俺は思わず安堵の息を吐いた。

 一息つけるだけでなく、チャンスでもある。構成員のうち数人が慌ててトイレに駆け込んでいった。

 戦力が分散すれば奇襲の機会があるかもしれない。


「なあ、大した腕じゃねえな、てめえよお」


 駄目か。ウルザンが俺にぴったりくっついてマークしてくる。当然だな。


「口を縫っておいたらどうだ? 喋るたびに小物がバレるぞ」

「んだと!?」

「はは。彼の言う通りだ。……黙っていろ、ウルザン!」


 ヴェントリコに脅しつけられ、彼は口を閉じる。

 実力はともかく、こいつの精神性はFランクだ。

 上手く挑発できれば突破口が開けるかもしれない。


「ご主人……」


 弱々しい声で、バセッタが俺を呼んだ。

 ……ウルザンの挑発は、次の機会にしよう。

 長い戦いになる。どこかでチャンスは来るだろう。


「大丈夫か?」

「……ダメ。怖いよ、ご主人……」

「バセッタ。落ち着け。純粋な腕なら、この場でお前が一番なんだ。落ち着いてプレイすれば、勝つのはバセッタだぞ」

「……無理だよ」


 バセッタが俺に抱きつく。


「……無理だよ……怖い……」


 ……無理、か。限界を超えてしまっている。

 いくらスキルがあるとはいえ、彼女はまだ経験の少ない子供だ。

 ならば、俺が矢面に立とう。


「分かった。次からは、資金を俺に集中させる。お前は王女と同じく、よほどカードが強くないかぎり即降りの戦略でいけ。いいか?」

「……うん」


 バセッタを撫でてやる。彼女はわずかに落ち着きを取り戻した。

 それでも、まだ勝負が出来る状態じゃなさそうだ。


 ……正直、俺も正気を保てている自信はない。

 次のラウンドから、資金は金貨千五百枚。一億五千万円だ。


 いや。金のことなんか、どうだっていい。


「バセッタ」

「ご主人?」

「安心しろ。お前は、絶対に、俺が守ってみせる」

「……っ!」


 この場で何より重要なのは、バセッタの命だ。

 それを自覚した瞬間、疲れた精神に活力が戻ってきた。


「ご、ご主人……」


 彼女はそっと自分のチョーカーに手を当てた。

 頭のてっぺんからつま先まで真っ赤に染まったバセッタが、俺を見上げている。


 自分でも不思議なほどに気力がみなぎってくる。

 疲労も鬱屈も何もかも、今ばかりは意識の外に飛んでいった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る