第28話 金貨一千七百枚の勝負


 一億五千万円が二億になり、そこから目減りしていき、やがて一億になる。

 資金の追加と共にレートも跳ね上がった。金貨十枚単位。

 ラウンドの参加費だけで百万円だ。狂気の沙汰ハイローラーにも程がある。


 資金の大半を預かる俺は、徹底して堅実な立ち回りを続けた。

 数百万円が失われていくのも構わず、降りる。最重要なのは時間稼ぎだ。

 ……ヴェントリコも堅実に立ち回っている。俺が弱気なことに乗じて色気を見せてきたら逆襲するつもりでいたが、そんな隙はなさそうだ。

 運良く俺とバセッタが関わらなければ、王女は一瞬で有り金を失っただろう。


 だが、このテーブルには馬鹿が一人。


「うへへへ……ボス、これ、俺の稼ぎっすよね」

「まあ、そうだな」


 あからさまなブラフを連発することでチップを積み上げたウルザンが、にやにやと笑っている。こいつのバレバレな強気ベットを、俺はあえて見逃し続けた。


「ご、ご主人?」


 バセッタは困惑している。だが、これでいい。

 ウルザン以外の護衛は全員がDからC級程度。弱くはないが、王女とバセッタを守りながら対処できる範囲内なんだ。

 こいつさえ弱体化させてしまえば殺し合いに勝てる。

 卓上の状況より卓外の状況こそが重要だ。


「ま、所詮はC級冒険者だろ? やっぱ強い相手を前にしたらビビるのも仕方がねえよなあ。こわいでちゅねー、ザコラダちゃん?」


 この野郎、罠に掛かっているとも知らずに気持ちよくなってやがる。

 今に見てろよ。


 ……そして、数時間後。再び休憩が挟まれた。

 残資金は金貨九百枚相当。九千万円だ。

 大量のチップを積み上げて、ウルザンは機嫌よさそうにしている。


「ヴェントリコ。まさか、トイレに行くなとは言わないよな」

「ここで漏らされても困る。ウルザン、見張れ」

「おうよ」


 バセッタたちも、監視つきでそれぞれ席を立った。チャンス、ではある。

 行動を起こすにはまだ早い。もう少し機会を待つ必要がある。


 どうでもいいが、トイレは豪華だ。

 地球のものに近い魔法の水洗式小便器が並んでいる。高級カジノだけはある。


「ふぃー……なあ、ザコラダちゃんよ」


 ウルザンがわざわざ俺の隣に立った。


「あの奴隷ちゃんの抱き心地はどうなんだよ? お前が死んだら俺が貰ってやろうか? へへ、すぐにお前のモノなんか忘れちまうかもなあ」

「……」

「あの小さい体が俺にまたがって、必死に腰を振るんだぜ。想像してみろよ、なあ。ま、あんなガキ、一発ヤったらドブ川に捨ててやるがな!」


 右足に血流が流れ込んでいくのを感じる。

 蹴りを叩き込むのを我慢するために全ての精神力を注ぎ込んだ。

 こいつがこれだけ油断していれば、きっとチャンスは来る。


「その台詞、後悔するなよ」

「ブハハハハ! 何百枚も俺に金貨を奪われてるヤツのセリフじゃねーよ!」



 夜は更に深まっていく。

 日付が変わり、資金は減り、ウルザンはますます調子付く。

 ……切っ掛けさえあれば、いつでも仕掛けられる。

 だが、その切っ掛けがない。


 そんな時、厚化粧の金髪ウェイトレスが部屋に酒を持ってきた。

 彼女は空のグラスを回収し、代わりを置く。

 酒に口を付けてみれば、知っている味だ。甘くて、けっこう度数が高い。

 ――チャンスが来た。


「ヴェントリコ、もうそろそろ休憩の頃合いだと思わないか?」

「……まだ早いだろう」

「そ、そうか。いや、トイレに行きたくなってきたんだが。正直、この試合の最中に漏れてもおかしくないな」


 俺は誤魔化すように酒を飲み、グラスを戻す。

 隣のウルザンが、その様子を凝視している。癖でも見抜こうとしてるんだろう。


「……しかし、熱いな……」

「おいおい、ビビりすぎだろ? 寒いぐらいだろうに」


 ウルザンも酒を煽っている。よし。

 厚化粧のウェイトレスが一礼し、退室していく。


 さあ、ただでさえ調子に乗っているウルザンに度数の強い酒が入った。

 あと少し。あと少しだけ崩してやれば、こいつを罠にかけられそうだ。


「ご主人? 大丈夫? 変わろうか? 私なら、あんなやつに負けない」


 ナイスアシスト。俺の狙いに気付いたらしい。


「ああ、大丈夫だ。でも、もう少し負けたら変わってもらおうかな」


 ウルザンがわずかに顔色を変えた。

 バセッタが居る間、こいつは負け通しだった。

 動揺していたバセッタでも、雑なブラフを見破るぐらいは出来たからな。

 さあ。稼げるのは俺がプレイしている間だけだぞ、ウルザン。


「レイズ」


 俺は金貨五十枚まで賭け金を釣り上げた。

 手札はスペードのAとK。配られた時点で勝率50%を越える”プレミアムハンド”だ。公開札は既に四枚目、ラウンドの終盤である。

 俺はキングのワンペアが成立し、スペードのフラッシュまであと一枚。

 だが、あえて弱気に賭けてきた。ウルザンからは弱い手札に見えているはずだ。


「……フォールド。お前も引いておけ、ウルザン」


 ヴェントリコは引いた。一対一だ。


「いや……怪しいぜ……?」


 油断、欲望、酒、焦り。完璧な失敗のレシピだ。

 あいつからしてみれば、俺は最後にブラフで大勝負に出ているように見える。

 そういう風に色眼鏡が掛かるのだ。人間は自分にとって都合のいいように物を考えたがる。まして、こうも失敗の原因が重なれば、な。


 ……長いゲームだった。癖を見抜く時間は十分にある。

 特に、ウルザンはわかりやすい。強いカードの時は口元が下がり、弱いカードの時は上がり、微妙なカードの時は反応しない。今回、あいつは弱い。


 さりげなく酒のグラスを触り、指でとんとん叩くと、ウルザンが反応する。

 そう、こいつも俺の癖を見抜いているのだ。

 もっとも、わざと負けながら仕込んできた”偽物の癖”だ。角度の関係上、ウルザンにしかこの”癖”は見えていない。


「レイズだ!」

「ウルザン、やめておけ!」

「うるせえ! 冒険者でもねえ男が、俺に指示するんじゃねえ……! いつもいつも妥協ばっかしやがって! 頭が多少キレるから何だってんだ! 俺たちが居なきゃ、ただの雑魚の癖に!」


 ウルザンは公然とボスに逆らった。

 部屋にいる部下たちも、何となくウルザンに賛同しているような雰囲気がある。


「金の切れ目がカリスマの切れ目ってな」


 ヴェントリコは俺を睨む。まったく怖くない。


 ウルザンの雑なブラフで賭け金は釣り上がった。金貨百枚。

 ……さあ、ウルザン。勝利体験を信じろ。もっと意地を張れ。

 今までずっと、お前はこの雑なブラフで勝ってきただろ?


「レイズ」


 掛け金をさらに倍増させる。金貨二百枚。


「……コールだ」


 同額で応じてくれた。

 そこで退けないから、冒険者ってやつはどいつも賭け事に弱いんだ。


 コミュニティ・カード公開札の五枚目が配られる。

 最後の一枚はハートのキング。よし。スリーカードなら俺の勝ちだ。

 あとは賭け金を釣り上げてやるだけ。


「チェック」


 俺は弱気に出た。賭け金は同額、金貨二百枚相当のチップのまま。

 ウルザンが俺をじっと見つめている。

 悩みに悩み、そして……。


「レイズ」


 金貨四百枚。このゲームの中で、ウルザンが俺たちから巻き上げた額はおおよそ金貨五百枚。そのほとんどを賭けてきた。

 もう戻れないぞ、ウルザン。


「レイズ」


 当然、更に踏み込む。金貨八百枚。手元に金貨は数十枚しか残らない。

 ちらりと王女を見れば、顔色は真っ青だ。

 けれど、バセッタは違う。俺を信じてくれている。


「……オールインだ!」


 ウルザンは、手元に残った金貨五百枚相当のチップを投入する。

 賭け金、金貨九百枚と少々。

 ……馬鹿なやつだ。


「ありがとう、ウルザン。お前がバカで助かったよ。オールイン」


 残ったわずかな金貨を投じる。

 場に積み上がった賭け金は、合計で金貨一千七百枚と少々。

 一億七千万円相当だ。


 不安と期待がハウリングするマイクのように増幅されていく。

 罠にかけてやったという確信と読み違えへの疑念が混ざり合い、化学反応を起こし全身の血液を沸騰させる。

 ありとあらゆる脳内麻薬の門が開いて、体が震えた。


 そして、互いのカードが開く。ウルザンの手札は……3と5。公開カードに3が一枚あるが、それだけのワンペアだ。俺は勝った。

 安堵で緩んだ身体を勝利の快楽が貫いていく。

 

 一億七千万円を賭けた勝負に、俺は勝ったんだ。一億七千万!

 ああ、なんと気持ちのいい体験だろう!

 ……同時に、少しだけ胃痛を感じた。

 こんな綱渡りはもう嫌だ。俺は冒険者を引退したい。


「な……」


 ウルザンの顔面から血の気が失せて、ぷるぷる子鹿のように震えだした。


「大馬鹿者が」


 ヴェントリコが首を振り、賭け金を雑に俺のほうへ押してきた。

 この一勝負だけで損失を全て取り戻し、金貨二百枚ばかり追加で稼いだ計算だ。


「誰か一人のチップが無くなるまで、攻撃は命じない、って言ってたよな。それがウルザンだった以上、俺たちの勝ちじゃないか?」

「確かにその通りだが」


 苛立った様子で、彼は葉巻をくわえ、火をつけた。


「……ウルザン。ポケットを確かめてみろ」

「え……あ、チップが一枚」

「どうやら、まだ金はあるようだぞ。君たちがやっていたように、ウルザンに追加のチップを渡させてもらうとしよう。さあ、続けようではないか」


 やっぱり、俺たちの勝ちにはならなかった。

 マフィアのボスなんてこんなものだ。

 大物ぶったところで、結局は犯罪者。約束なんか平気で裏切る。

 別に、これで帰してくれると期待してたわけじゃない。交渉材料だ。


「本気で言ってるのか?」


 俺が立ち上がって机を叩けば、構成員たちが一斉にこちらへ武器を向ける。

 ……このまま戦いになれば、バセッタたちは守れない。

 だが。同時に、ヴェントリコと俺の距離は近い。

 そして、ウルザンは動揺している。護衛としての能力は落ちているはずだ。

 今戦えば、どうなるか。微妙なラインだ。


 ヴェントリコは俺を睨む。それから、もっと恐ろしい顔でウルザンを睨む。


「……分かった。休憩を挟み、改めて話し合おう。君もトイレに行きたいと言っていただろう、サクラダくん」

「俺だけ引き剥がして、その間に他を始末する気だな!」

「落ち着け。そんなことをするぐらいなら、最初に殺している」

「なら、三人とも同じトイレに入かせてもらう。もちろん監視つきで構わない。譲歩だ。これでも断るなら、今すぐに俺はお前を蹴り殺してやるぞ、ヴェントリコ」


 苦境から逃れる術を提示され、やつが目に見えてほっと息をついた。


「いいだろう。少し頭を冷やすといい。ウルザン、お前もだ! 行け!」


 大量の監視をぞろぞろと引き連れて、俺たちはトイレに向かう。

 狭い空間であればあるほど、人数の有利は効きにくい。


「……の野郎……絶対に……」


 唯一の脅威だったウルザンは、我を失って何かをぶつぶつ呟いている。

 狙い通り、こいつの無力化には成功した。


 さあ……場は整った。

 殺しの時間だ。


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