第3話 奴隷の少女たち
助走を付けた俺は、建物の壁を蹴って縁に手をかけ、一気に最上階へ登る。
正面突破も出来るけど、こっちのほうが楽だ。
「裏口から失礼!」
「な……!?」
防御配置につけていないならず者連中を一気に奇襲で葬り、無駄にデカい扉を蹴り破る。趣味の悪い調度品の並んだ部屋に、イカつい顔の男がいた。
彼は両脇に二人の少女を抱えている。どちらも露出過多な踊り子の服を着せられ、嫌悪感と恐怖で体を震わせていた。
……彼女たちの顔にはアザが出来ている。どう見ても殴られた痕だ。
ああ、お前はそういう男か。
「まあ止まれよ。話をしようや」
〈海岸党〉のボスらしい男が、少女たちにナイフを突きつけて、言った。
「お断りだ」
一気に地を蹴り、男の顔を剣で貫く。
……まともに返り血を浴びてしまった。ま、しょうがないな。
「わあっ!?」
「うわ……」
二人の少女が死んだ彼から遠ざかる。
……まだ震えている。悪人とはいえ、至近距離で顔面刺突を目撃すればそうもなるか。少し、悪いことをした。
「大丈夫か?」
「え? あ、はい……」
なぜか声をかけられたことに驚いた様子で、少女たちは頷いた。
階下から足音が聞こえてくる。一階を固めていた連中が来る。
「もう安全だ。ここで待っててくれ」
部屋の扉を閉じ……ようとしたが、蹴破った時にドアが外れている。
……子供に戦いの景色を見せたくないけど、仕方がない。俺は部屋を守る位置に立ち、マフィアの構成員を迎え撃つ。
「ボ、ボスが……! てめえ、よくもボスをっ!」
短刀で突進してきた男に斬撃を入れたあと、右足で思い切り蹴りとばす。
通路奥にある階段のフェンスに直撃したあと、彼は階下へ落ちていった。
「ビビってないで、来い。俺はボスの仇だぞ」
「ち、畜生ーっ!」
すぐに戦いは終わった。結局、強者は一人も居なかった。こんなもんか。
……傷こそ負わなかったものの、俺の全身が返り血で真っ赤になっている。
背後を守る必要があって、立ち位置に自由が効かなかった。慣れないことはするもんじゃないな。
「大丈夫。すぐに助けが来るよ」
血だらけの状態で振り返り、俺は言った。
少女たちがビクッと体を硬直させる。……まあ、それも仕方がない。
「助けが?」
「ああ。王家の役人が来る。……君たちは、人狩りで違法に捕まった奴隷だろ? ちゃんとした手続きをしてないから、まだ身分上は平民なんだ。だから、助け出された今、奴隷として売られる必要はない。もう安全だ」
「あ、あの……ありがとうございます!」
こんな状況下でも、まだ元気のある声で、少女の片割れが言った。
オレンジ色の髪を短く揃えた、活発そうな子だ。まだ若い……せいぜい中学生ぐらいか。なのに露出過多な服を着せられているのが痛々しい。
……衣服に乱れはないし、瞳に光がある。まだ何もされてない段階だろう。
「でも、私たちは……ここに売られてきた奴隷なので」
彼女がもう一人の少女に目を向ける。
「商品じゃない……合法的な奴隷として売られて買われた……」
テンションが低い紫髪の娘だ。なんだか眠そうにすら見える。
……余裕があるようでいて、ちょっと震えている。怖くないわけがないよな。
「わたしたちは、”共同所有”みたいな扱いになってて……こいつが死んでも、まだ元の商人が権利を持ってる契約で……だから」
解放されるどころか、”合法的な”奴隷商のところに逆戻り。
……ひどい話だ。
「でも、ありがとうございます!」
「うん……また売られるまで、少しだけ平和に暮らせる……」
少女たちは身を寄せ合っている。
……俺は、じっと自分の手を見下ろした。真っ赤に染まっている。
洗って落ちるものではない。結局、冒険者なんてそういうものだ。
大丈夫だ、と抱きしめてやりたいけれど、そんなことをする資格はない。
俺は、奴隷の解放を支援するような施設を作りたい。若くして奴隷になった子を引き取り、教育し、一人前にして世界に送り出すような場所を。
自己満足だ。
彼女たちを引き取りたい、と思ってしまうこの気持ちだって自己満足だ。
……俺なんかが彼女たちの身を預かってもいいのか。せめて、そういう施設を運営するのにふさわしい保母さんとかを雇ってからのほうが……。
……ま、どうせ自己満足なんだ。話をしてみるか。
「俺のところに来るか?」
「え?」
「何というか……奴隷の自立支援、みたいなことをやろうと思ってるんだ。もう土地として廃修道院を抑えてる。まだスタッフの一人も雇えてないけど」
彼女たちは顔を見合わせた。
思いがけない希望を前にして、二人が戸惑いの顔を浮かべている。
「でも、本当にいいんですか?」
「君たちが嫌じゃなければ」
「だって、私たち……〈忌み子〉なのに……」
明るい子が背中に手を回し、自分の尻尾を握って見せた。
「〈忌み子〉か」
この世界の人間には、稀に魔物のパーツを持って生まれてくる者がいる。
被差別階級……というより、被差別種族だ。大半が大人になれずに死んでいく。
〈海岸党〉のようなマフィアですら、忌み子は滅多にいない。
社会の落ちこぼれで構成されている組織からも弾き出される。受け皿はない。
「……何で言っちゃったの……!」
大人しい方の子が、活発な子に掴みかかった。
よく見れば、紫髪の下から折られた角が覗いている。
「助けてもらえたかもしれないのに……!」
「だ、だって……本当のことだもん! 言わないと怒られるかなって!」
「おばかーっ!」
「やっちゃった!? 私やっちゃったの!?」
「やってる……! 超やってる! 命に関わるドジ踏んだー! 踏んでコケるのは自分の尻尾だけにしろー! おばか尻尾ー!」
「尻尾関係ないよー!? さわんないでー!?」
明るい方の子が尻尾をギューギューされている。
微笑ましいように見えて、だいぶ本気で怒ってるな。……無理もない。
生き延びるだけでも大変なんだ。
「落ち着け。別に、俺は〈忌み子〉でも区別しない」
「え!? ほ、ほんとですか!?」
「俺も〈忌み子〉だからな」
右足のズボンをめくり、鉄板を仕込んだ靴を脱ぐ。
鳥のような硬質の脚と、三つに分かれた爪が露わになった。
「えっ……!?」
「うそ……!」
忌み子として生まれた者が大人になる術は、二つ。
一つ目は、優しく偏見のない都会の家庭に生まれること。つまり、幸運。
そして、二つ目は――武力。
この右足で自分の生きる道を切り開き、裏街道から冒険者ルートに合流し、そうして俺は今ここに立っている。
苦労はもう十分だ。引退して、ほどほどに楽しく暮らしたい。
「す、すごい……! それだけ目立つ変異があって、生きられるものなんですね……!」
「強くて……かっこよくて……わたしと、同じ……」
二人がキラキラと瞳を潤ませ、俺のことを熱の入った視線で見上げている。
「俺はサクラダ・ドウジ。引退間近の冒険者だ。君たちは?」
俺は前世の名前を名乗っている。
この世界の親は、俺に名前をつけることすらしなかったから。
「ノノ、です!」
「バセッタ……」
「いい名前だ」
二人のそばに屈み込み、頭を撫でる寸前で踏みとどまる。
この手には血がべったりとついている。見知らぬ男に撫でられる時点で嬉しくないのに、二重の嬉しくなさだ。
俺は手を引こうとした。
が、少女たちに手を掴まれる。そして、二人に要求されるがまま、俺は血に濡れた手で頭を撫でてやった。
いいのか? 俺が、こんなことをして?
「……ご主人様、って呼んでもいいですか?」
「ご主人……!」
「い、いや、そういう呼び方はちょっと……すぐ奴隷から解放して、自由にしてあげるから」
「……自由に? 一緒に暮らしてくれないんですか?」
ノノが頬を膨らませた。
「いや、そういうわけじゃ……」
「一緒がいい」
バセッタがぐいぐいと腕を引っ張ってくる。
……ほ、ほんとに好いてくれてるのか……?
「わ、わかったわかった。とにかく、今はまだ仕事が残ってるから」
「仕事! バッサバッサと悪人を斬っちゃうんですね!?」
「かっこよすぎる……」
「いや、まあ……えっと、君たちの他に助けるべき相手は?」
二人の視線が、下に向いた。
「確か、地下に。私たちと一緒に売られてきた子が、一人」
「分かった。その子も助けてくるよ。君たちは、ここで……」
……部屋の中には死体がある。血だらけだ。
「いや、屋上で待っててくれ。すぐ戻ってくるから」
「はい、わかりました!」
「待ってる……」
俺は二人と別れ、階段を降りていった。
少しだけ後ろ髪を引かれるような思いがした。
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