密かにエスコート
「間もなく、会合点です」
「スクリュー停止、取り舵、左四十五度変針」
航海士の報告を受けて副長は<くろしお>を停止させた。
東京湾周辺の哨戒を命じられている<くろしお>は、任務の一つに僚艦の援護、潜航をサポートする役目がある。
海自の潜水艦の基地は横須賀と呉。
出航するときは浮上して航行するが、潜航するのは東京湾を出てからだ。
そして、潜水艦戦力の重要性が増す昨今の世界情勢ではあらゆる国の潜水艦の行動を監視する事が海軍の重要な任務になってる。
当然、海自の潜水艦も各国の監視対象であり、中国やロシア、やたらと反日的な韓国、そして同盟国のアメリカでさえ時に自国潜水艦を練習代わりに派遣してくる。
彼らの行動は、各国同じで出航したばかりの海自潜水艦を追尾し、潜航したあとも追いかけて行き、行動を監視するのだ。
そうした連中の相手、追尾を断念させ追い返すのも東京湾口周辺の哨戒を命じられた<くろしお>の任務だ。
水上艦や哨戒機にやらせたいが、東京湾沖は世界有数の海上交通量が多い。
そんな中で、水上艦か航空機が対潜作戦を行えば、航路は混乱するし、大きく報道されてしまう。
東京湾周辺が危険な海域だと各国船会社に思われたら、東京へ向かう船が激減し、やがて東京は物資不足になる。
そのような事態は海外から物資を輸入しなければ生きて行けない日本としては避けなければならない。
結局、海中に潜るため見つかりにくい潜水艦が、<くろしお>達が密かに各国の潜水艦を相手をするしかないのだ。
勿論、近づく前に探知する自信と能力――洋上の護衛艦と対潜哨戒機、そして他の潜水艦が海自にはある。
だが、公海上の航行の自由――公海であれば潜水して航行しても良い、という国際法があり止めるのは非常に困難で東京湾付近への接近を許してしまうこともある。
そんな連中がきた時、<くろしお>達が相手にするのだ。
貧乏くじとも思えるが、公海とはいえ母港の庭先で勝手をされるのは速水も他の海上自衛官も頭にくる。
やってくるなら相手をしてやるという、という思いだ。
幸いにも、東京湾に接近中の潜水艦の情報は今のところ入っていない。
油断は出来ないが、多少気楽だ。
「ソナーに感! 距離四〇〇〇より海上で接近する艦があります。音紋解析中」
ソナー室が報告してきた。
船というのは、同じタイプでも一隻ずつ音の出方が微妙に違う。
高度精密な工業製品の塊であり、部品の組み合わせや製造工程での微妙な仕上がりの違いが積み重なった結果、同じタイプでも個性的な音が出る。
同じような音でも解析すると特徴的な部分があるもので船毎に違う。
これを音紋と呼び、音でしか情報を収集できない潜水艦にとって相手を識別するための重要な情報だ。
世界最多を誇るロサンゼルス級原潜など前期建造艦と後期建造艦で大分違うし各艦も個性豊かだ。
常日頃から世界中の船の音紋を集めるのが潜水艦の仕事であり、捉えた音を解析するのはソナーマンにとって習性となっている。
「解析完了。僚艦の<うずしお>です。距離三〇〇〇」
時刻を確認する。
横須賀を数時間前に出港した<うずしお>だった。
予定通りだった。
「大丈夫か<うずしお>」
頭の中で<うずしお>の航海スケジュールを逆算していた副長は首を傾げる。
この時間だと、東京湾を横断するフェリーに近づいて仕舞う。
接触事故を避けるためにフェリーを避けようとするはずだ。
速水は新任士官のころ航海計画の策定を命じられやったことがある。
その時は簡単に考え、前の任務で使ったコースを出航時間に合わせて通過時間を変えただけで提出した。
「この計画書、大丈夫なのかい?」
計画書を見た艦長の第一声がそれだった。
そのあとは計画書のダメ出しの連続だ。
フェリーの時間は確認したか?
大型船舶は通らないか?
漁船の操業が行われていないか確認したか?
他にも様々な点を指摘されて、撤回し、関係各所へ確認の電話をして計画書を大幅修正の上、必要な資料を作成する事になった。
以来速水は沿岸や航路の周辺情報を集めることに注意を払っている。
なのに<うずしお>はフェリーを回避した形跡がない。
出港の時に時間をくったのか、船舶を避けていたのか分からないが、<うずしお>がフェリーに接近するような時刻に通過したのは確かだ。
フェリーの乗客は喜ぶだろうが、フェリー関係者、船長や操舵手は目の前を横切る潜水艦を回避するのに苦労したことだろう。
ただでさえ傍若無人な民間船舶、右側にいるのに帆走船は例外という規定を盾に平気で横切るヨットなどが通り神経を使う航路だ。
突発的なイベントに遭遇してしまったフェリー乗員の気苦労は察するにあまりある。
上陸で骨休めに浜金谷や館山に向かうとき速水は車で東京湾フェリーを使う事が多いので親近感を抱き、敬意を表して接近しないよう注意している。
なのに <うずしお>は無神経すぎるのではないか、と思ってしまう。
まあ、起こってしまった後であり言っても仕方ないが。
「距離二〇〇〇。潜航を開始しました」
「使えるな側面ソナーは」
距離の報告が入ってくるのは船体の側面三箇所に装備されたソナーのおかげだ。
旧来の潜水艦は艦首のみで、相手の方位しか分からなかった。
だが、側面にソナーを設けることによって音を探知する時間のズレから、ステレオのように距離を測定できるようになった。
「<うずしお>が、こちらに気が付いた様子は?」
「ありません」
潜水艦の行動は秘匿事項であり、他の潜水艦に通達される事は殆ど無い。
司令部は<うずしお>にも<くろしお>がいることを伝えていない可能性は高い。
だが、いくらエスコートのために潜んでいる静かな<くろしお>とはいえ探知できないのはどうかと思う。
知っていて無視している可能性もあるが、ないと速水は思う。
就役して間もなく、習熟していないのだろうが<うずしお>が今後任務に就き達成できるのか速水は心配になった。
だが、そんな心配はソナー室からの緊急報告で吹き飛んだ。
「ソナーに感! <うずしお>の後方に正体不明の潜水艦!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます