第四話 エピローグ

「ふうっ、一仕事終えた後のサウナは良いな」


 汗まみれの速水は言った。

 全身が熱くなる感覚が気持ちよく、疲労が汗と共に流れ出ていくようだ。


「良いのでしょうか」


 一緒に入っていた救援要員が尋ねた。


「気にするな。向こうのご厚意だ。流石にこんな施設は<くろしお>にはないからな」

「ですが」

「休めるときに休め。それが自衛官だ」

「ロシア原潜の中でですか?」


 今、速水達がいるのは、<コムソモリスク>に設けられたサウナだった。

 旧ソ連時代から、潜水艦の過酷な生活環境を少しでも良くしようと、大型原子力潜水艦にはレクリエーションルームとサウナ、果てはプールまで設けられており士気の維持に貢献していた。


「そうだ、身体を休めることも重要な事だぞ。それにボロディン達も是非にと言っていたしな」


 恩人である速水達に早速復旧したサウナを使って欲しいとの事だ。

 衝突の衝撃で船体の各所に損傷が出ていたが、ボロディン達だけで十分に修復できた。

 現在は、<くろしお>に移された重傷者を再び<コムソモリスク>へ移す作業が行われている。

 一部は治療が必要なため<ちとせ>に移してからロシアへ送還される予定だが、比較的軽傷な人間は<コムソモリスク>に戻され、彼らの母港であるペトロハブロフスキー・カムチャッカへ帰還する。

 現在は移乗作業の最中であり、速水達は、自分たちの番が来るまでサウナで寛いで欲しいと言われたのだ。


「ならば楽しまないとな」


 と言って速水はサウナを出た。

 シャワーで汗を流すとプールに入り身体を冷やす。

 こうやって急激な寒暖差で交感神経を活発化させ身体をリフレッシュさせるのだ。

 終わると、隣のレクリエーションルームに移り、身体を休めた。


「副長」

「なんだ? <くろしお>の仲間にまだ悪いと思っているのか?」

「いいえ、もう身体を休めますよ」

「ならいいが、どうした?」

「一つだけ疑問が、どうして最後の瞬間<トリトン>が右に曲がると分かったんですか」

「そんなの簡単だ。回避は右へ向かうのが鉄則だろう」


 海では右側が優先だ。

 右に船が見えた場合、自分の船が相手を回避する義務を負う。


「幾ら軍事用のAIでも国際法や船の操船方法を元にプログラムされているはず。なら、緊急時の回避方向は右だ。あとはそれに合わせて左へ旋回させたんだ」

「なるほど」


 AIでもプログラムの前提を元に行動すれば裏をかける。

 速水はそこを突いたのだ。

 のんびり過ごしていると鈍い衝撃が加わった。


「どうやら休暇は終わりのようだな」


 DSRVがメイティングした。

 移乗が終われば入れ替わりに速水達が乗り込み、<くろしお>に帰る。

 速水達は、準備を終えてハッチへ向かった。

 既に移乗は終わり、速水達が乗り込む番だった。


「速水少佐」


 ボロディン大尉とメレヒン中佐がやってっきて敬礼した。


「貴艦のご助力に感謝します。公式に顕彰できないのが残念ですが」

「仕方ないでしょう」


 暴走したロシアの水中ドローンが日本の潜水艦に襲いかかったという事件は世界的なインパクトがあり、日露間の外交関係にダメージを与える。

 これ以上ロシアが暴走するのは好ましくないので、無かったことになるのだろう。

 勿論、抗議する事はあるだろうが、賠償を願ったとしてもロシアは払う気もないし、払えない。

 戦争が起きなかっただけマシだと思うことにする。

 それに、沈んだのはロシアの潜水艦だけであり、日本にかかる圧力、速水達が追跡する対象が減少するため、必然的に速水達の仕事が楽になる。

 そういう意味で日本側にとって有利な結果だった。


「今後のご活躍を期待します。またお会いしましょう」

「ええ、今度は平和な海で」


 速水は握手をすると、ハシゴを登り、DSRVへ戻った。

 最後に手を振り合い、ハッチを閉鎖して、DSRVは離脱していった。

 同時に<コムソモリスク>はスクリューを作動させ、母港へ向かうべく南東の方角へ航行していった。

 DSRVは、<くろしお>へ向かって航行し、メイティングした。


「何とか終わったな」


 DSRVの固定が終わると<くろしお>は全任務を完了し、離脱した。

 途中、潜水艦救難艦にロシアの重傷者を引き渡す必要があるがそれはすぐに終わるだろう。

 彼らは治療後、遭難したロシア人と言うことで送還すれば良い。

 今回の事を何かの取引材料にするかもしれないが、それは外務省の領分だ。

 速水達の仕事は終わったのだ。


「おい副長、何やら良い匂いだな」


 ただ一つ、厄介だったのがサウナに入ったことを他の乗員から妬まれた事だ。

 シャワーのみの潜水艦生活でサウナに入るなど不可能であり、その嫉妬は激しいものだった。

 

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