正体不明の潜水艦

「早速、付けられたか」


 出航したばかりの<うずしお>の後ろに正体不明の潜水艦がいる。

 コースからして<うずしお>を追跡する気だ。


「だが、潜水艦の接近情報などなかったぞ」


 潜水艦隊司令部から送られてくる日報――日本近海を航行する国籍を問わない潜水艦の行動情報では太平洋岸を東京湾近くへ接近する潜水艦の情報など無かった。

 時に、探知能力を秘匿するために知らされないことはあるが、さすがに東京湾近くへ接近したら警報が出る。

 航空隊の連中は何をしていた、SOSUS――音響監視システム、海中に設置された固定ソナー網からの情報も無かった。

 誰もここまで接近されても気がつかなかったのか。

 何処も人員が不足していてオーバーワークというのは分かるが、東京湾近くへ接近する潜水艦を見落とすなんて海自の能力は落ちているのではないか。

 速水は心中であらん限りの罵声を上げるが、航海士の報告で中断する。


「副長、第一種配置をかけます」

「待て」


 速水は航海士を止めた。

 第一種配置とは乗組員全員が持ち場に就くことである。

 この第○種配置とは○の中に入る数字の分、乗員を分けて、交代で休憩を取るのである。

 例えば、第二種なら半分が配置に就き半分は休息、第三種なら三分の一が当直で残りは休息だ。

 第一種は総員配置。全員が配置に就く所謂、戦闘態勢だ。

 実際に戦闘するわけでなくても、どんなことにも対応出来る、艦として最高のパフォーマンスを発揮出来る状態だ。

 だが、やる事の多い潜水艦では第三種配置でも乗員は疲れるし、度々緊急の訓練で配置に付ける。

 大した脅威でなかったら乗員達の疲労が蓄積し事故に繋がる。

 それに相手の様子を見るため、長時間、半日ではなく、一日二日、下手をすればそれ以上追いかける可能性もある。

 長時間、第一種配置をかけ続けての追跡ではすぐに乗員は参ってしまう。

 以上の理由から配置をかけることを速水は躊躇した。


「総員第一種配置」


 発令所に艦長が入ってきて命じた。

 艦長室から聞き耳を立てていて報告を聞いてすぐに来たのだろう。制服が乱れており、直しながら命じる。


「宜候、総員第一種配置」


 航海士が各部署に通達するべくボタンを押すとイルカのような声が鳴り響く、敵に音を聞かれるのを恐れて艦内での通達は電話を除いて海の生き物の鳴き声を真似た音で伝える。

 配置が掛かると無音だが、大勢が配置へ向かう気配が発令所にいても伝わってくる。

 発令所にもソナー員や水雷員が集まってくる。


「魚雷発射管室配置完了」


「機関室配置完了」


「ソナー室配置完了」


「副長」


 配置完了を伝える声が響く中、艦長が速水に話しかけた。


「嫌な感じがするんだろう」


「……ええ」


 艦長に見抜かれて速水は渋々認めた。

 何故か分からないが、勘とでも言うべきか、嫌な予感とかを速水は感じやすい。

 時に合理的かつマニュアルに沿ったな選択肢にさえ嫌な感情を抱くこともある。だが、その嫌悪感に従って拒絶した時、結果として、上手くいっていることが多かった。

 それでも規範や合理的な方策に背を向けることを速水は嫌がっていた。


「ここはお前が思うように思いっきりいけ」


「そうですが」


 艦長の言葉に速水は躊躇した。

 だが、艦長は後押しするように言う。


「家の目の前、東京湾の鼻先で忍び足されるのは気に食わない。此処がどこだか、誰の庭か分からせるためにも一発かませ。指揮は任せる」


「……宜候」


 後押しして貰えたことに嬉しさを速水は感じた。同時に素早く判断を下せなかった事に自分の能力不足を感じてしまうが、相手は目の前に迫っているやるしかない


「艦長、総員配置つきました」


 航海長が報告する。


「よろしい、指揮は副長が執る」


「これより指揮を執る」


 速水は宣言した。


「ヤツは手練れだな」


 嫌悪感がなくなり、一度冷静になった速水は現状を冷静に分析した。

 恐らく、中国潜水艦は西から黒潮に乗ってやって来たのだ。

 海流の速度を加えればスクリューの回転を抑えても十分な速力で航行出来る。

 音の静かな通常動力型潜水艦だと思うが低出力の攻撃型原潜の可能性もある。

 コース選びを考えても相手は中々、腕が良い。


「まずは追跡を引き剥がすか」


 いずれにせよ、張り付いている潜水艦を<うずしお>から離すことが最優先だ。


「ソナー、目標の位置は?」


「本艦の右前方、上方です。<うずしお>とほぼ同深度。<うずしお>の後方三〇〇〇に付けています」


「ふむっ」


 向こうは此方<くろしお>に気がついていない可能性が高い。

 <うずしお>が来る前にスクリューを停止させたし、<うずしお>のスクリュー音に紛れて此方<くろしお>の音は、聞かれていないはず。


「アクティブソナーを打ちますか?」


「馬鹿を言うなよ」


 後ろにいた通信長の軽口を航海長が咎めた。

 相手にアクティブソナーを打つのは、潜水艦の世界では攻撃直前というのが暗黙の了解だ。

 勿論、警告の意味もあるが、某国のレーダー照射事件並みの敵対行為だ。

 過激な行動は慎むべきだというのが、通常だ。


「いや、いいな」


「え?」


 速水の言葉に航海長も言い出した通信長も驚いた。

 だが速水は矢継ぎ早に指示を下す。


「<うずしお>通過後、スクリュー始動。速力一〇ノット、面舵、右四五度へ変針。アップトリム五」


「音が出て、連中にバレますよ」


「それが狙いだ。同時にアクティブソナーワンピン。あと発射管室。航行開始と同時に一番及び二番発射管、注水。注水完了後、発射管開け」

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