潜水艦の充電とストレス
速水の号令で<くろしお>は充電のために使うシュノーケルがセイル、発令所の上にある艦橋から海上に飛び出し、吸気を開始した。
艦後部にある二基のディーゼルエンジンが動き出し、発電機を回してバッテリーを充電する。
海自の潜水艦はディーゼルエレクトリック方式――ディーゼルで発電機を回し、バッテリーを充電。バッテリーからモーターへ電力を供給してスクリューを回すタイプだ。
昔の潜水艦はスクリュー軸にエンジンと発電機を兼ねたモーターが取り付けられていた。
だが軸の全長が長くなると振動が激しくなり騒音の原因になる。
軸の長さがエンジンと発電機の間とモーターとスクリューの間のみになり短くなるディーゼルエレクトリック方式は結果的に震動が少なく静かなため、世界中の潜水艦で使われている。
また、発電機を複数搭載可能で、充電時間が短くなる事も特徴だ。
充電中無防備になる通常動力型潜水艦にとって充電時間が短いのは、非常にありがたい。
同時に艦内の汚れた空気を吸い込み燃焼。
排気ガスを艦外へ押し出す。
艦内の空気はシュノーケルを通じて吸入し新鮮な空気が行き渡る。
「ふう」
かすかに潮風を含む空気を吸って副長は安堵する。
潜水艦乗りにとって空気は貴重であり、生きて行くのに大切である事を教えてくれる。
新鮮な空気を吸えるとリラックスも出来る。
ストレスが溜まりやすい潜水艦では気分転換になる。
「そういえば、皆ストレス溜まっていないかな」
副長は乗員のストレスが溜まっていないか心配だった。
特に艦内が原則禁煙の規則となってからは気にしている。
意外なようだが、潜水艦は、かつて喫煙は当直配置中と特に命令があるとき以外は許されていた。
戦前戦中は空気が汚れるという理由で禁止されていたが、戦後は潜水艦の性能向上、特にフィルターと換気設備の革新により喫煙しても大丈夫となり、喫煙が許されていた。
勿論、空気が汚れるという理由でタバコを禁止する艦長もいた。だが、ストレス発散のために許している者が殆どで、殆どの艦で吸えた。
むしろ部下が吸えるように自ら吸えないタバコを吸う艦長がいたほどだ。
嘘ではない。
かつて速水が配属された潜水艦の艦長にタバコを吸わないのに、乗員のため自ら吸っていた人がいた。
着任当初は吸わなかったし、禁煙を命じていなかったが、タバコを吸わない艦長に乗員達は気兼ねしてタバコを吸わずにいた。
だが、愛煙家乗員の吸えないストレスは相当のものだった。
そしてタバコ好きな乗員の一人が、タバコを吸えないことに耐えきれなかった。
紙を丸めてマジックで端を赤くし、どこから持ってきたのか白い綿を付けて、煙の出ている火の点いたタバコのように見せかけ、吸っている気分になろうとしたのだ。
これを見た艦長は、さすがにかわいそうに思い、吸い慣れないタバコを乗員の前で吸って見せて艦内で喫煙出来ることをアピールし、乗員のストレス発散を促した。
いくら潜水艦の最高指揮官でもやるべき義務や任務が多種多様にある事を見せつけられた思い出だ。
この光景を見たとき速水もいずれ吸わないタバコを吸わなければならない、と覚悟した。
だが、昨今の禁煙の流れにより、潜水艦の中も禁煙となった。
タバコの副流煙や健康被害に無関心ではないが、それは個人の範囲ではないかと思う。
それに健康のために禁止ではなく、ストレス源を無くすか新たなストレス解消法を作りタバコでストレス解消を止めさせる方が健全ではないか。
ただでさえ制限が多く4K――キツい、汚い、危険、臭いの四拍子揃ったストレスの溜まりやすい職場である潜水艦で数少ない楽しみである禁煙を命じるのは些か酷だ。
何でもかんでも禁止したり我慢を強いるのは海自や日本社会の悪い癖だ。
前も海士の素行不良が問題になったとき上陸――休暇の間隔を伸ばす、つまり減らすことで管理を強化しようとしたことがあった。
事実上の二十四時間拘束、衣食住完備とはいえ社会平均並みの給与で様々な制約を受ける自衛官の自由を、階級社会とはいえ彼らから奪うのは酷いと思う。
彼らの上官であり、狭い艦内のため曹士と接する機会の多い速水は、この処置を酷いと感じる。
充電の間の緊張感とストレスにウンザリした速水は小さく呟いた。
「あー原潜が欲しい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます