沈み行く遠征19

「あ?」


 速水の一言に、発令所の全員が速水に注目し凍り付いた。

 言われたら気になって先に進めない一言だ。


「しまった」


 しかも、悪い方向の「あ」。

 何か、非常に拙いこと、取り返しの付かないことだ。

 これまでどんな状況でも越えていった<くろしお>乗員一同だが、速水の一言で恐怖のどん底になる。

 <くろしお>に悪いことが起こるのではないか、という予感がよぎり恐怖に震える。

 例外は、速水と同じ結論に思い至り、生暖かい笑みを浮かべる艦長だけだ。


「……何がしまったのです?」


 緊張に耐えきれず、水雷士が乗員全員を代表して尋ねた。


「<くろしお>が沈むのですか?」

「え? あ、いや、違う」


 速水は周囲の視線を感じ取り、彼らの思い違いを否定し説明する。


「拙いのは遠征19だ」

「? 何が拙いのです?」


 訳が分からず水雷士が尋ねると、全員への説明を兼ねて速水が言う。


「魚雷は通常、有線、ワイヤー付で撃ってある程度誘導してからワイヤーカット。そのあとは魚雷が自分で向かうよな」


 魚雷には小型のコンピューターとソナーが搭載されており、セットされた目標を自動で探し追尾し爆発する。


「だが、撃沈されると思っていた遠征19の事だ。最初からワイヤーカットして自律モードで撃ったはずだ」

「だからスクリューを停止したのですよね」

「そうだ」


 撃った魚雷は<くろしお>の音紋が入力されたはずで、<くろしお>のスクリュー音に向かっていくはず。

 なのでスクリューを止めれば魚雷は音源がなくなり、魚雷は追尾出来ない。


「だが、自立状態の魚雷は目標を見失ったらアクティブソナーを打つ」


 第二次大戦からアクティブ/パッシブソナーを持つ魚雷が現れはじめ、70年代頃のMk48ぐらいだとプログラムを使い自立して行動する魚雷も出てくる。

 その動き、行動パターンは大体同じで、パッシブの反応がなくなったときアクティブを打ち目標を探す。


「当然、中国の魚雷も同じだろう。<くろしお>のスクリュー音をロストしたら、アクティブを打つ」


 ポーン


 <くろしお>をロスとした魚雷が速水のいったとおりアクティブを放ち、その探針音が発令所に響いた。


「そして、返ってきた反射音の強い方向、近くの目標へ突っ込む」


 コーン


 ほぼ同時に反射音が響いてきた。

 魚雷とほぼ同じ方向から。


「遠征19が魚雷を撃ってすぐスクリューを停止したから、遠征19はさほど離れていないはず。魚雷に一番近いのは撃った遠征19だ。撃った本人に向かって魚雷が突っ込むぞ」

「魚雷反転! 遠征19に向かいます!」


 速水の言葉を肯定するようにソナー員が報告した。


「ですが、発射して魚雷はまだ一〇〇〇メートルも走っていません。安全装置があるはず」


 先ほどの説明で魚雷の安全装置を思い出した水雷士が大丈夫と言いたそうにいう。だが、速水は、そうであって欲しいけど、という態度で自分の推測を、悪い方向の推測を話す。


「どうせ撃沈されると考えていたなら、安全装置を外して撃つよ。俺なら」


 死にたくはないが、どうせ殺されるなら道連れにしてやると日々考えている速水だ。

 相手も同じ考えかもしれない。自分を殺した奴がノウノウと生きているなど腹立たしい。

 だが速水としては遠征19を撃沈して国際問題にしたくないし、戦争でもないのに殺したくない。

 だからスクリューだけを破壊して航行不能で済ませたかった。

 なのに、遠征19が自分の撃った魚雷の爆発で自滅しないで欲しい。


「世の中、上手くいかないな」


 速水は溜息を吐いた後、命じた。


「総員! 対衝撃防御! 何かに掴まれ」


 速水は艦内放送で命じた後、自分も頭上の手すりを掴む。

 強く握りしめながら、遠征19が最後まで手順を遵守――安全装置を外さずにしておいて欲しいと思ったが、激しい爆発音と衝撃が<くろしお>にやって来た。


「魚雷一本! 遠征19の至近で爆発! もう一本は外れた模様!」


 揺れる中、ソナー員が爆発の騒音の中から必要な情報を伝えてくれた。

 二本撃っていたが一発は運良く外れ、海底へ沈んでいった。

 だが、爆発した魚雷はその性能を十分に発揮していた。


「遠征19の艦内から浸水音! 沈下を始めました!」


 一本だけで済んだためか、遠征19は何とか保っているようだ。

 だが魚雷が至近距離で爆発しては、助からない。

 むしろ、バラバラになっていないだけ、中国の潜水艦製造技術は優れていると言える。

 一本が故障したか、整備不良で外れたお陰だろう。

 だが、彼らの幸運はそこまでのようだ。


「沈下速度増します。浮上出来ない模様。ブロー音や遮防音が聞こえますが、浸水止まりません」


 浸水したとき木材やジャッキなどをあてがって浸水を防ぐ。その作業は軍艦では必須だ。彼らは全力で作業をしているようだが、艦の沈下を止めるには至っていない。


「ソナー、大陸棚に近いが遠征19は安全深度で着底出来そうか?」

「……ダメです。大陸棚まで少し足りません。水深二〇〇〇メートル以上の海底に落ちていきます」


 潜水艦は大体五〇〇メートル付近が安全な潜航限界とされる深度だ。

 安全率は第二次大戦で二、現代はおよそ一.五。

 圧壊危険深度――潜水艦が水圧で潰れる深度は、安全深度に安全率を掛けた数字だ。

 七五〇メートル以上の深海では潰される。

 二〇〇〇メートル以上は、どんなに潜れる深度を隠匿していても、どの潜水艦も圧壊する事は明らかだ。


「遠征19の浸水音強まります。艦内から壁を叩く事が聞こえます」

「断末魔か」


 速水は苦い顔をした。


「ソナー、遠征19は大陸棚までどれくらい足りない?」

「およそ一〇〇ほどです。切り立っていて、そこからは奈落の底です」


 音響反射で海底地形を走査したソナー員が伝える。


「棚の深度は?」

「およそ六〇〇」


 速水は静かに考えたあと命じた。


「魚雷、三番、四番。発射用意。目標遠征19」

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