シーマンシップ
「え?」
速水の命令を聞いた水雷士は素っ頓狂な声を上げた。
「復唱はどうした?」
「は、はい! 魚雷三番四番発射用意! 目標、中国潜水艦、遠征19!」
装填されていた三番管と四番管の外扉が開く。
「発射準備完了!」
「三番撃て!」
速水が命じると、すぐに三番管から魚雷が撃たれた。
「四番撃て!」
通常なら外れたとき、魚雷が故障したときの事を考えて二本同時に撃つのが基本だ。
だが、この時は時間差をつけて命じられた。
「ソナー、遠征19と魚雷の距離を計れ、距離五〇〇になったら報告しろ」
「了解!」
「介錯ですか?」
ソナー員に指示を出す副長に、魚雷を誘導しながら水雷士は尋ねた。
「シーマンシップだ」
「助からないから殺すのですか」
速水は一瞬沈黙してから答えた。
「潜水艦が沈むとき、急速に浸水が増大する艦内で最終的に何が起こると言われているか、知っているか?」
「……いいえ」
「水に浸かった部分で凍え、空気に晒された部分は炎上する」
「……どうしてです」
浸水して水に浸かるのは分かるが、空気に触れた部分が炎上するのはどういうことだ。
「自転車の空気入れと同じだ。圧縮すると空気は熱を持つ。圧壊危険深度が七〇〇として最終的に七一気圧の水圧が掛かる。ディーゼルエンジンの圧縮で二〇気圧前後だから、ディーゼル燃料が発火する温度は余裕で超える」
圧縮された空気が発火温度を軽く超える温度になり人間でさえ燃え上がる、とされている。
「艦が、そんな状況にならないよう、私は訓練を重ねてきた。そんな死に方、ごめんだからな」
「三番魚雷! 遠征19まで一〇〇〇!」
ソナー員報告を聞いた後、一瞬無言になる。
だが水雷士が尋ねた。
「そうならないようにひと思いに?」
「いや、そんな目に他人が遭うのも嫌だね。これは彼らを生かすためだ」
「え?」
「三番魚雷! 遠征19まで五〇〇!」
何故か、と水雷士が問いかけようとしたときソナー員の報告が入った。
速水は命じた。
「三番魚雷自爆!」
「三番魚雷! 自爆させます!」
スイッチが押されると、ワイヤーを通じて信号が流れ、魚雷は自爆した。
激しい爆発と衝撃が<くろしお>を襲う。
「各部損害報告!」
「各部異常なし!」
「<くろしお>でもこんな衝撃を喰らうか。遠征19はもっと酷いだろう」
至近でないとはいえ、近くで爆発を受け、船体はズタボロのはず。
必要があったとはいえ、そこへ新たな衝撃が加わっては浸水が激しくなり最悪、沈没してしまう。
「沈んでも恨んでくれるなよ」
速水はひと言呟いてから、ソナーに尋ねた。
「ソナー、遠征19の状況はどうか? 位置は?」
「遠征19、浸水は多少激しくなります……いや、待ってください。少し動いています」
「確かか?」
「……確かです! 遠征19動いています! 魚雷の爆発の圧力で動いた模様!」
「大陸棚へ向かっているか?」
「はい! 向かっています!」
「上手くいきそうだ」
何もしなければ遠征19は海底まで二〇〇〇メートル以上の深海へ真っ逆さま。途中で圧壊して全員死亡だ。
そんな最悪の事態は事件が大きくなるため、速水も避けたい。
そこで魚雷を爆破し、その衝撃で遠征19を大陸棚へ押し出せないか試してみた。
結果は上手くいったようだ。
浸水が心配だったが、何とかなりそうだ。
「四番魚雷、距離六〇〇」
「四五〇で爆破」
予想より、被害が小さかったのでもう少し近づけて爆破する。
近づければ被害は大きくなるだろうが、大陸棚の奥へより押し込める事が出来る。
「自爆させます!」
再び爆発音が響いた。
先ほどより<くろしお>からは距離が遠いので爆発の衝撃は少なかった。
遠征19には近いがその分、押し込む力は強いはず。
「遠征19、大陸棚に到達しました。着底! 深度六〇〇。姿勢安定しました! 滑ることもなく止まった模様!」
「内部の様子は分かるか?」
「浸水音が聞こえますが減少中。艦首方向に浸水音は聞こえません。内部から船体を叩く音がします。少なくとも十数人以上は生存している模様」
報告を聞いて速水は安堵した。
ダメで元々とはいえ、自分の行った行為で人死にが出るのは嫌だった。
「離脱する。反転一八〇度。速力二〇ノット。十五分後、五ノットへ減速、その後、針路を一三五へ」
「宜候!」
命令を受けて操舵手は艦を操作する。
暫くして速力を落とし、海南島から離れるように針路を変更した。
「総員第三配置へ」
減速したとき、艦長が命じた。
本来なら、警戒の為、総員配置を続ける必要があるだろう。
だが、危機を回避した、そして乗員の疲労を考慮して配置を解除した。
相変わらず大胆にして繊細な指揮だ。
他の艦長なら、二四時間第一配置にしていてもおかしくはない。
ただ、予想外の事態はあるもので速水は艦長に呼び出された。
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