アフターケア
「副長、一寸こい。航海長、指揮任すぞ」
命じた途端、艦長は後ろの艦長室へ向かってしまった。
仕方なく速水も続き、艦長室に入る。
速水が入ると艦長は普段は閉めない艦長室の扉を閉ざた。
「まあ、座れ」
艦長はそう言って椅子を勧め自信はベッドの上に腰掛ける。
少々乱雑な部屋だが、移動の多い船乗りらしく、物は少ない。
「今回は思い切った事をしたな」
「お叱りですか?」
「まさか、指揮を任せたのに、あとから文句を言うのはお門違いだ。そんな馬鹿もいるが、俺はそんな馬鹿とは違う。それだけを目標に艦長をしているんだ」
怒りの籠もった言葉で艦長は言う。
個人的な過去が、嫌な上官に当たったのだろうか。
速水も経験があるので同感しかなかった。
「それにお前の指揮も結果も最善に近い。こちらに死者はなく、向こうの死傷者も最小限に済んでいるだろう。勿論、もっと上手くやれたかもしれないが、過去のことだし、結果は上々。今度あったら生かせば良い。まあ、あんな状況に陥らないのが最善だが」
「理解しています」
艦長の言葉に同感だった。
だが、ならば何故、速水が呼び出されたか分からなかった。
「で、お前はどうだ?」
「どうとは?」
「馬鹿を言うな。一応お前の上官、艦長だぞ。お前の性格は理解しているつもりだ。どうせ自分で抱え込んでいるんだろう。もっと上手くやれたとか」
「まあ」
艦長に図星を指されて速水は苦笑した。
「誤魔化すな」
「はい?」
「そうやって本心誤魔化しているんだろう。問題の検証とかいって、ひたすら理性的に努めようとしている。それは悪いことじゃない。お前は副長で乗員の目もある。そうそう、弱気なところを見せられん。だが、辛く重たい思いを抱え込んでいて吐き出せない。幸い、副長はその上に艦長、つまり俺がいる。話してみろ。本音で」
「ですが」
「上官は部下を評価し報告するのも仕事だが、言わせておいて司令部への報告書に書かんよ。安心して言え」
艦長の言葉で速水の仮面にヒビが入った。
「……怖かったです。艦を乗員を死なせそうで怖かったです」
中国の原潜が引き起こしたと事故とその誤解から起きた事件はいえ、本物の魚雷を撃たれ危うく撃沈されそうになった。
もしかしたら同じような事件が今までにあったかもしれない。
だが、速水が遭遇する初めての実戦だ。
下手をしたら<くろしお>は撃沈され総員戦死。いや、自衛隊は戦争をしないから事故死として扱われる可能性も高い。
相手が殺しに来たにもかかわらずだ。
日中の関係をこじらせないため、中国潜水艦が手出ししてきたにもかかわらず、政府間の話し合いで事故として処理される可能性も、速水達の操艦ミスで沈んだとされる可能性さえあった。
これまで最高の働きをした乗員の事を考えると不名誉も甚だしい。
「あと、遠征19に死傷者がでたのではないか、と思うと」
殺しにきたのは向こうだが、最後には助けようと魚雷を撃った。
事件の被害を少しでも少なくするために行った事だが、魚雷を爆発させたのは事実だし、遠征19に被害を与えたのも事実だ。
「生存者が出てきただけマシだ。死人に口なし、にするつもりはないだろうが向こうにも真実を知る人間がいる」
中国側に真相が伝わる、海自潜水艦が魚雷を撃ってきたことをリークするだろう。
「助けられる者を助けた。それでいい……まあ、お前の事だから、それだけじゃあ済ませないだろう。死者が出たのでは? と思っているんだろう」
「……はい」
やはり自分の行為で死者が出てしまったのではないかと思うといたたまれない。
「命令に従っただけだ。恥じることはない」
「やけに優しいですね」
「命じた責任感じているからな」
「命令したの艦長でしょう」
「だから、こうやってアフターケアしているんだろうが。まあ少し旨いもん喰え」
艦長はベッドの下の収納を開いた。
中には、規則で禁止されている日本酒の瓶が入っていた。
指揮を任せることが多いが重大な責任のかかる艦長職では、酒でも飲まないとやっていられないのだろう。
「まあ、喰え」
だが、取り出したのは瓶の横に置いてある緑のラベルのカップ麺だった。
「……どうしてそうなります」
酒瓶を差し置いて差し出された緑のラベルを見て速水は突っ込んだ。
「好きだろう」
「こういうときは酒では?」
「物語の読み過ぎだな。こういうときは食べ慣れた味の方がリラックスできる。酒なんて無粋だ」
「たかだか二〇〇円もしないカップ麺であの重圧の代償になると」
「ソース焼きそばが好きなのは知っているがこれしかないんだ。理由は分かるだろう」
無言で速水は頷いた。
個人的には、群馬の工場で作られた東日本方面で人気のソース焼きそばが好きだが湯切りが困難で艦内に持ち込めないので諦めていた。
「それとも下げて酒でも飲もうか?」
「頂きます」
そのまま速水は受け取った。
ソース焼きそばも好きだが、緑のラベルも好きだ。
豚骨醤油ラーメンを食べていたが、あんなことの後であり、腹が減っていた。それにギトギトの豚骨ではなく、さっぱりとした、かつ節の醤油出汁が欲しい。
艦長特権で艦長室に設置されたポットからお湯を注ぎ、二人は緑のラベルを食べた。
人間の心理は不思議なもので食べ慣れた味を食べるとほっとする。
「ごちそうさまです」
一滴残さず飲み干しティッシュでカップの内側を拭き、八つくらいに切り分けゴミ袋の中に捨てた。場所を取らないようにするためだ。
食べた後は気分もすっきりして当直に戻る事が出来た。
だが困った事があった。
速水に出会う乗員が、睨み付けてくる。
「カップ麺食べたでしょう。匂い残ってますよ」
どうやらカップ麺の匂いが残っていたようだ。悪臭漂う艦内で嗅ぎ分けるとは凄い。
いや、それだけ彼らも思い出の味、食べ慣れた味を求めているのだろう。
なのに艦長と副長が二人だけで食べたことに納得いかないらしい。
重責に対する役得と思って貰いたいが、食べ物の恨みは階級差を越える。
彼らの不満を宥めるために何かレクリエーションを考えないといけない。
旧ソ連なら政治士官――共産主義を広めると共に反共的な言動がないか監視する職務だが艦内のレクリエーションも担当していた――にでもイベントを企画するよう命じるのだが、海自にはいない。
今回の事件、戦略原潜が事故を起こしたことは勿論、攻撃原潜から攻撃を受けたこと、反撃の為に魚雷を発射したこと。
何より貴重な魚雷を四本も消費したことに上から――特に備品管理の連中からお叱りを受けるだろうから、報告書をどう書こうか速水は悩んでいた。
だが、いずれも帰港後のことだ。
艦内の士気をいかに、維持するか、帰港するまで保てるかが問題だ。
何とかしようと艦長と二人で頭を悩ますことになった。
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