追尾断念

「え?」


 突然、新型戦略原潜の追跡終了を告げる艦長に副長の速水は驚いた。


「しかし、まだ音紋のデータが」


「ここが限界だ。我々は海南島の海軍基地偵察の任務もある。これ以上離れるわけにもいかない」


「しかし」


「これは命令だ」


 艦長は強い口調で速水に命じた。


「追跡を打ち切り、総員配置を解除、待機ポイントへ戻れ」


「……了解」


 少し不満だったが、艦長命令では仕方ない。


「面舵! 反転一八〇度。海南島近海へ戻る。総員第三配置」


 速水は配置を解除させた。

 追尾を開始してから五時間ぐらいだろうか。

 乗員の疲労もピークだ。先の当直から連続の者もいるだろう。

 確かにこれ以上は、乗組員にいらぬ疲労を強い、ミスを犯し事故を起こす危険がある。

 事故の種を排除する必要がある。

 丁度、当直も交代時間となり、引き継ぎを行おうとした。


「あっ」


 そこで速水は気がついた。

 バッテリーの比重が下がっていることに。

 幾らリチウムイオンバッテリーで航続距離が長くなっても限界はある。

 戦略原潜の追跡に夢中でバッテリー残量を失念していた。


「済まないが充電してくれ」

「了解」


 哨戒長――当直士官に頼む。

 追跡に夢中で、バッテリーを忘れるなど潜水艦指揮官失格だ。

 普段バッテリーの事を気に掛けて、度々質問しているのに自分がミスをするなど恥ずかしい。


「やっぱり原潜が欲しいな」


 恥ずかしさを紛らわせようと速水は呟く。

 もし<くろしお>が原潜ならば原子力から送られてくる無尽蔵なエネルギーを使い、何処までも追いかけられた。

 バッテリー不足で追尾を中断する必要などなかった。

 こういうとき通常型潜水艦は不便だ。

 暫く<くろしお>は留まり、周辺の安全を確認すると浮上し充電を開始。

 シュノーケル航行をしながら海南沖へ戻って行く。


「皆、飯にしようか」


 一段落ついて、艦長が宣言すると当直を除いた<くろしお>の全士官が士官食堂に集まり食事となった。

 一番奥の席に艦長が座り、あとは序列順に座っていく。

 追跡で配置が長かった分、皆腹ぺこで腹の音が聞こえてくる。

 今日のメニューはカツレツだ。

 豚ロースを叩いて広げ、塩こしょうをしたあと、粉チーズの入ったパン粉を付ける。

 そのあと一八〇度の油がしかれたフライパンで両面を揚げる。

 揚げた後、普通のフライパンで更に加熱。味付けにワインを入れても良い。

 こんがりと焼き上がったら、完成だ。

 だが、今日のメニューはこれだけではない。

 リンゴのパウンドケーキもある。

 レンジで少し温めたバターを砂糖と混ぜて泡立て器でよく混ぜる。底に溶き卵を四回くらいに分けて混ぜ合わせる。

 小麦粉とベーキングパウダーを合わせてボールにふり、ゴムヘラでざっくり混ぜ合わせすりおろしたリンゴを入れる。

 リンゴを小さめのさいの目切りにして入れてざっくりと混ぜる。

 クッキングシートを敷いた型に入れて表面を平らにならし、170度に熱したオーブンで30~40分焼く。

 焼き上がったら、クッキングシートをそっと持ち上げて型から外して完成。

 冷ましても美味しいが焼きたてはリンゴの良い香りが立ち上り香ばしい。

 様々な匂いが漂い不快な空間である潜水艦の中で良い香りは貴重だ。

 疲れという調味料も加わり、ケーキの甘さが更に際立つ。

 全員、自分の分を残さず食べ終えた。

 元々潜水艦乗りは大飯ぐらいだが、配置が長く緊張を強いられた今日は特に腹が減っているようで、お代わりする者も多い。

 艦長も理解していて、調理員に多めに作るよう依頼しており、お代わりを許していた。

 お陰で全員空腹を満たすことが出来た。


「しかし、惜しかったですね」


 食事が終わり、水雷士が食後のお茶を飲みながら言う。


「もう少し追跡が行えたら、完璧な音紋が採れたのに」


 潜水艦の機器は作動の間隔が十数分、あるいは一時間という機材もある。

 スクリューの様に毎分十数回転で回され、採取しやすい音もあるが、それも海中の音響環境によって聞こえ方が違う。

 出来れば異なる艦橋で同じ条件でデータを採取する方が正確性が増す。

 今回のデータでも十分だろうが、少し短く、不十分だったことが悔やまれた。


「もっと追跡出来ればな」


 水雷士を咎める人間はいなかった。

 全員、同じ感想を抱いていたからだ。


「なら、追尾してみるか」


 奥の席に座っていた艦長が言った。

 

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