<くろしお>で食べる豚骨醤油ラーメンは美味い
すすり上げた麺が口に入り、麺に付いたスープの旨味が舌に広がると、そのおいしさに速水は身体が震え、語彙力が消失する。
作戦行動中の<くろしお>で作られた豚骨醤油ラーメン美味かった。
任務の為とはいえ、日本を出港し十数日。対立を深める中国の裏庭である海南島沖南シナ海を潜航中。
その潜水艦の中で本物のラーメン、それも家系のリスペクトラーメンが食べられるとは思わなかった。
疲れが溜まり始めていただけに感動はひとしおだ。
このために全てが報われた、と思ってしまう程だ。
完成度は高い。
スープは完全に豚骨の旨味がしみ出した豚骨醤油だ。
麺は中太麺でもちもちして適度に縮れているのでスープが絡む。
もやしも良い。
流石に炒めておらず煮ただけだが、十分美味い、いやスープを吸い込んでいて美味しい。
スープと一緒に煮込んだのだろうか、いや、もやしを冷凍したとき内部の水分が凍結し細胞壁が破壊され、内部までスープが染み込んでいるのだ。
これは美味い。
煮卵はじっくりと醤油だれに浸けていたので味がしみこみ絶妙な時間でゆであげ、とろりと半熟な濃厚な黄身が舌に垂れて美味い。
使っている醤油ダレで浸けたのでスープにもマッチしている。
陸の本物の家系ラーメンに比べれば劣るかもしれないが、美味い、極上のうまさだ。
いや食べているのが速水達だからこそ美味いのだ。
全員がその能力を十全に発揮して、調理できる環境を整えた一体感もあるが、十数日も海中に閉じ込められたストレスと疲労が、最高の調味料となりラーメンの味を数倍良くしている。
ストレスフリーの人間には決して味わえない極上の美味にしているのだ。
ある意味、ラーメンを最大限に最高のコンディションへ整えられていたため、今までにない最高のラーメンが食べられた。
そして、こんな美味いラーメンを作り上げた調理員の工夫には賞賛しかない。
階級差など関係ない。良い仕事をした人間は褒めなければ。
「美味かったぞ」
艦長も喜んで手放しに賞賛していた。
速水も調理員を褒めた後、食後の休憩でラジオを、シュノーケル航行のため海面直下にいるので海外放送が受信できた。
『こちらNHKラジオ、ニュースの時間です。本日、日米中三カ国による首脳会談が行われ三カ国の間で友好促進が確認され……』
「ショーイベントだな」
外で起きた事を聞いて速水は毒づいた。
右手で握手して左手で殴り合う、それが国際関係だ、と速水は思っている。
中国の躍進は凄まじく、海軍の活動は活発だ。
右手が、政府や民間が仲良くしていても、左手、特に拳になっている速水達は苦労している。
今こうしてラーメンを食べることが不可能と見なされる南シナ海に出張ってくる程に苦労している。
「さて、当直交代だ」
充電中だが、当直交代の時間だ。
監視が緩む、引き継ぎに穴が出来る可能性があるので当直の間に充電を終えるのが望ましい。
だが、乗員が楽しみにしているラーメンが食べられるよう当直交代の時間に合わせて調理したのだ。
本来は止めておくべきだが、疲れが蓄積しないよう、ストレス発散のためにも、乗員の希望者全員がラーメンを食べられるよう、あえてシュノーケル航行中に交代することにした。
速水はスープを一滴残らず飲み干した器を戻し、前方にある発令所に行く。
豚骨の匂いが伝わってきて気もそぞろな当直の水雷長から当直を引き継ぐ。
幸い、ミスはなかったが、念のため各部署に連絡を入れ引き継ぎ漏れがないか確認する。
やはり、いくつかミスがある。
食事が終わった後、懲罰と再発防止をしないといけない。
「また、嫌われるな」
乗員の掌握、信賞必罰は副長の任務のうちだ。
ただ懲罰するだけでなく、再発を防ぎ、乗員が気に病むことが無いよう、後腐れ無く行う必要がある。
ストレスが溜まりやすく、交代も、退艦も出来ない作戦行動中の潜水艦だ。
帰港するまで、誰も、不慮の事故や病気で任務続行不能になった乗員さえ降ろすことは出来ない。
それが潜水艦だ。
気の病さえ予防する必要がある。
同時にミスが起こらないよう、相手に見つかったり、事故が起きないように指導しなければならない。
制限された中で、二律背反の事象をバランス良く行う。
なんとも重い任務だ。
「副長、充電完了しました」
交代してから一時間ほどでバッテリーは満タンになった。
前の当直から回し続けたのだから当然だった。
「ラーメンの方は?」
「全員食べ終わりました」
配置が不規則で時に抜き打ちの訓練があるし、睡眠をとっている乗員もいる。
全員が一斉に食事を摂ることはまずない。
だが、今回に限っては全員が、眠っていた乗員でさえラーメンの匂いに誘われて食堂にやってきた。
その意味では、今回のラーメンは大成功だ。
「よし、潜航するぞ」
充実した時間を過ごした後は、仕事の時間だった。
速水は命じる。
「そろそろお客さんのガードマンも来る頃だしな。見つかるのは拙い」
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