いつもの任務へ
「試験中ですか?」
副長の言葉に航海長はいぶかしがった。
「ああ、点検の終わった一番発射管、二番発射管の作動試験だ」
潜水艦に限らずあらゆる兵器はいざというとき稼働するか確認するための点検と試験を日々行っている。
むしろそれが軍隊の日常だ。訓練もあるが、装備の保守点検が日課だ。
<くろしお>も主兵装である魚雷発射管、その一番管と二番管の整備を終えたところだった。
「その稼働状態を確認するのは間違っていないだろう」
「相手の目の前で試験ですか? それも接近してアクティブを打つところもですか?」
「浮上中でも発射管からの漏水がないか調べただけだ。その先に運悪く中国潜水艦が居た。浮上中洋上を探るためのアクティブソナーを打つのは普通だ」
海面近くは波があるため、波の砕ける音などのためソナーが効きにくい。
そのため浮上しようとして海面の船と接触する事故が多い。
えひめ丸と接触したグリーンビル、日昇丸の米原潜当て逃げ事件など、数は多い。
これらの事故を教訓に浮上前にアクティブソナーで海上を探るのは普通だ。
「ただ思ったより近かったので、本艦は回避のために国際法に則り転舵して、回避し、その後ニアミスした相手の状況を知るため回頭し、左後方に回っただけだ」
「挑発して追いかけさせたのは?」
「あれは向こうが勝手に付いてきただけだ。そしてレイヤーに引っかかり、沈下した。付いてこいとは言っていないし、誘導もしていない。向こうが勝手にはまっただけだ」
「相手が本当に魚雷を撃ってきたらどうするんですか?」
今は平和でも、戦争になる号砲を向こうが打ってこないとも限らない。
だが、最初の犠牲者になるのは誰だって勘弁したい。
「大丈夫だ。五番管と六番管に魚雷を装填して待機しているだろう」
潜水艦はどんなときでも反撃出来るように、魚雷を装填した発射管を最低でも一つ準備している。そして魚雷が故障した事を考えてできる限り二本用意するようにしていた。
「敵が撃ってきてもすぐに発射出来る。これで司令部への申し訳も立つ。」
「苦しくありませんか? 特に発射管の下り」
「やっぱり」
航海長のツッコミに副長は同意した。
「それでも潜水艦隊司令部への報告の言い分は立つ」
「副長」
困っている副長に艦長が話しかけた。
「身内に嘘を吐くようなヤツは信頼されんぞ」
「済みません」
「それと侮るな。それぐらいの事で目くじらを立てるようなヤツは潜水艦隊には、いない。対外的に処分することはあっても褒めてくれる」
母港近くに潜んでいた相手の潜水艦を追い返したのだ。
称賛されこそすれ、非難されるいわれはない。
「向こうが抗議してくる事もあるまい。水面下では何やるか分からんが」
相手に知られることなく、いや居たことさえ気付かせないのが潜水艦任務の最上の成果だ。
抗議してきたとしても、見つかってわめいているだけであり恥の上塗りだ。
「まあマスコミが報道したときのあしらい方の一つではあるがな」
怖いのは日本の左寄りマスコミが針小棒大に騒ぎ立てる事だ。
その時、副長が言ったことを発表すれば、特ダネだと思って碌に検証もせずに垂れ流してくれるだろう。
最近では一応専門家も出しているが、畑違いの人間を出してくる事も多く、トンチンカンなコメントを残してうやむやにしてしまう。
時折、荒唐無稽な言説を言ってそれが事実のように語られるが大概一発屋なのですぐ消えるから問題はないだろう。
「とにかく、よくやった副長。総員、第一種配置解除。第三種配置へ移行、相手潜水艦の離脱を確認するまで追尾は続行する。副長、君も休み給え」
「しかし、まだ当直が」
「私が引き継ぐ、疲れただろう。飯を食って休め」
「ありがとうございます」
副長は敬礼すると発令所を出て、後方の幹部食堂へ向かった。
丁度、配置が解除され食事の用意をしていたらしく、ソファーの座面を開き、中に貯蔵されていた食品を取りだしている最中だった。
「すぐに戻します」
「気にするなゆっくりやってくれ」
世界的に大型の部類に入る海自潜水艦だが、艦内のスペースに余裕があるわけではない。
士官食堂のソファーの下にさえ収納を設け、食料を詰め込んでいる。
急がなくて良いと言っても調理員はすぐに座面を元に戻そうとする。
「シャワーを浴びてくる。そのあとで食べさせて貰う」
潜水艦では真水が貴重なため三日に一度、しかも数分しかシャワーが浴びられない。
今日は、速水の貴重な割り当ての日だった。
自室で服を脱ぎ裸になると、バスタオルをまいてシャワー室へ。
時間制限があるので素早く身体を洗い流した後、一度止めて濡らしたタオルに石けんを付けて身体を洗う。
三日ほど洗っていないので面白いほど垢が出てくる。
一通り綺麗になると、泡を洗い流すためにシャワーを浴びる。
だが短時間で済ます。
真水が勿体ないし、シャワーを浴び続けるのは速水は好きではない。
さっぱりするとバスタオルをまき自室に戻り制服を着て食堂へ。
既に食事は出来ていて、食べさせて貰う。
今日のメニューは鮭のカレーマヨネーズ焼き
余ったカレーにパン粉、マヨネーズ、醤油でソースを作り、塩こしょうを振った鮭をアルミホイルに入れてソースを掛ける。
あとは190度のオーブンで焼き上げれば完成。
普通の鮭がカレーの香りを纏い食欲をそそり、口に入れたら醤油とマヨネーズの旨味が広がる逸品だ。
潜水艦<やえしお>の定番メニューで、<くろしお>には<やえしお>から転属してきた者がいて作ってくれている。
余り物のカレーに定番の鮭をリメイクさせるので美味しい。
ペロリと平らげて、速水は食器を下げると自室に戻りベッドの上に戻る。
その間、艦は航行を続けていた。
追跡は続行しているらしい。
相手は振り返る余裕もないのだろう。艦内はかなり酷い状況で帰投する以外にない。
やがて、艦は緩やかに旋回を始めた。
多分、相手潜水艦が<くろしお>の担当海域を離れたのだ。
伊豆諸島の近くで哨戒中の護衛艦が居たはずだから、引き継いだのかもしれない。
そう考えると速水はまどろみ始めた。
不規則な勤務な為ベッドに入るとすぐに眠る癖が付いている。
速水は深い眠りに就いた。
次の当直がくれば、また配置に就かなければならないからだ。
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