魚雷を抱いてサブマリナーになる

「当直ご苦労」

「お疲れ様です副長」


 規定通りの敬礼を若い水雷士がした。

 胸には真新しいドルフィンマーク――潜水艦記章が輝いている。

 先日、潜水艦の乗組員として正式に任命されたのだ。

 いちおう実習生としての成績は良かったが、何処かぎこちない。

 魚雷を抱いた回数が少ないのではないかと速水は思う。

 これは比喩ではなく事実だ。

 潜水艦乗組員の資格を得るためには潜水艦訓練隊卒業の後、本物の潜水艦に実習生として乗艦する。

 だが員数外である実習生に割り当てられるベッドはない。

 彼らは魚雷発射管室の魚雷収容ラックの空いたスペースを割り当てられ、そこに毛布を敷いて眠るのだ。

 幸か不幸かスペースは十分ある。

 東京湾でタンカーを撃沈してから、いや海自に最初の潜水艦が配備された時から、魚雷収容ラックを埋め尽くす魚雷が供給されたことはなく、空きスペースが多い。

 それでも魚雷収容ラックは堅いし、常に水雷科員が魚雷の整備作業をしているので作業音がして眠りにくい。

 だが、そんな状況でも眠れなければ、過酷な潜水艦生活は勤め上げられない。

 艦内は一番下の甲板にバッテリーが並べられていてバッテリーの硫酸に含まれる水分が常に蒸発しているため湿度が高い。

 その上、乗員である人間の発熱――人間一人で一時間におよそ75Wの熱量を放っている。

 しかも潜水艦乗組員の作業は重労働であり、どう考えても基礎代謝の倍ぐらいは動いているように思える。そして<くろしお>の乗員は七〇人近くいる。

 結果、艦内は蒸し暑く、寝苦しい。

 そこで実習生が涼むのに使われるのが彼らの寝床の真横に置かれている魚雷だ。

 実習生はパートのおばちゃんが組み上げた魚雷に抱きついて涼をとるのだ。

 嘘ではない。

 出張研修で速水が魚雷製造工場を見学したとき、魚雷製造工程で心優しいパートのおばちゃん方が真心込めて行う組み立て作業を見せて貰ったので間違いない。

 ひんやりしていて気持ちが良く寝苦しいとひんやりとした魚雷、実弾頭付に抱きついて抱き枕にして眠るのだ。

 速水も実習生時代は、お世話になったもので魚雷のお陰で実習生時代を快適に過ごせた。

 ちなみに魚雷発射管室には魚雷の他にハープーン――対艦ミサイルがあり、こっちを好む者もいる。

 ハープーンはキャニスターに収められており、その外板が薄いので冷たさが足りないと速水は思うのだが、むしろそれが良いという連中もいて一寸口論になったくらいだ。

 他人からみれば馬鹿げたことをと呆れられるような事だが、睡眠の質を確保するため、常に寝不足気味の実習生には死活問題だった。

 だが、同時に少しでも快適に過ごせるように彼ら用のスペースを作るべきではないかと速水は思う。

 戦前の潜水艦は魚雷発射管室を兵員室にしていたので、乗員、特に水兵は魚雷の間で眠っていた。実習生が魚雷収容ラックで眠るのは、その時の慣習が残ったからだろう。

 海自は将来、潜水艦を特殊部隊のベースキャンプとしても使うことを考えているようなので、員数外の人間が入ってきた時、彼らの為のスペース、さすがに本番、実戦前に堅い魚雷収容ラックで眠らせるのは良くないと思う。

 実習生に関しても万全とまでは行かなくても、体調良くで実習に励んで貰いたい。

 その方が、覚えるのも早いだろう。

 しかし、目の前の元実習生であり新品サブマリナーは少々頼りなく思える。

 もう少し魚雷を抱かせた方が良かったとも速水は思う。


「まあ、習うより慣れろだな」


「? なにか?」


「いや、何でもない」


 速水はそう言うと新米水雷士に尋ねた。


「定期便は通過したか?」


「はい、先ほど通過しています」


 海南島に中国海軍の重要な海軍基地があるため周辺海域の中国軍による警戒は厳重だ。

 定期的に哨戒機が飛んでおり潜水艦に目を光らせている。

 ただ、時間に厳格で決まったコースをとるので回避は十分に可能だ。

 予め深く潜航し、船体を東西どちらかの方向へ向けておけば、磁気探知機の反応は殆どなく哨戒機に発見されるおそれはない。


「海上の様子は?」


「周囲に推進音無し、ソナーの報告では海上は激しいスコールが降っています」


 海面を叩く雨音に紛れてシュノーケルで充電、ディーゼルエンジンを回そうと考えていた。

 だから哨戒機に見つかりそうでも、スコールに近づいたのだ。


「よし、浮上して諸々終わらせるぞ。浮上! トリムアップ五、潜望鏡深度へ」


「了解、潜望鏡深度へ浮上してます」


 警戒しつつ<くろしお>は海面へ浮上していく。

 周囲に潜水艦を含む船舶がいないのを確認すると最後は潜望鏡を出して確認。

 非貫通型の潜望鏡、先端にカメラの付いた棒を伸ばし周囲を警戒。

 何もないことを確認した。

 しかもソナーで確認したとおり都合良く、スコールが降っており、雨の音に紛れて充電出来る。

 シュノーケルを見つけにくいほど視界も悪い。

 絶好のチャンスだ。


「充電する。諸々も終わらせるぞ。ゴミの投棄、汚水タンクの排出を許可」


「了解」


 充電の合間に艦内に溜まった不要物を放出する。

 深い海だと水圧で排出出来ない可能性もあるので、浅い深度を航行しているとき、充電の時に終わらせる。

 後ろからディーゼル機関の快調な始動音が聞こえてくる。

 無事に作動してくれるのは嬉しいが外に音が出ていないか心配になる場面でもあり、速水の心中は複雑だ。

 だが、暫くは中国軍の哨戒はない予定なので安心はしていた。

 だから観測員がレーダー波を探知した報告を聞いたとき驚いた。

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