お客さんは戦略原潜

 戦略ミサイル原子力潜水艦

 略称、戦略原潜

 潜水艦発射弾道ミサイルを搭載した原子力潜水艦である。

 母国が核攻撃を受けたとき、海中から搭載しているミサイルを報復として敵国に打ち込む潜水艦だ。

 普段は表だって行動する事はなく、自分の居場所を秘匿――場合によっては味方にも隠している。

 敵に見つかれば真っ先に攻撃されるからだ。

 核攻撃を目論む敵に反撃される、特に居場所が分からない戦略原潜の存在は核使用をためらわせる核抑止力の根幹とされていた。

 任務上見つからないことが最重要であり特に隠密性、その国最高の静粛技術が使われている。

 そのため発見するのは難しい。

 しかも任務上、高速で航行する必要はないため最大二五ノット以上で航行出来るにもかかわらず音を出さないよう普段は低速で航行していることもあり、見つけづらい。

 だが、仮想敵国としてはその動向を把握する必要がある。

 自国に近づいて、いきなり奇襲攻撃を行う可能性もあるからだ。

 中国との対立が深まる日米にとって中国海軍の戦略原潜の行動把握は最も重要とされており、中国海軍の戦略原潜の所在を確かめるのに全力を上げていた。

 <くろしお>が危険を冒して海南島沖へ進出したのも戦略原潜を見つけ出し追跡するためだ。


「速力五ノット、こちらへ向かってきます。相変わらず静かです」

「予想通りか」


 だが、海自は密かに海南島沖へ潜水艦を派遣。

 この戦略原潜のパトロールコースの特定に力を入れ多大な努力の結果、発見した。

 <くろしお>は戦略原潜の哨戒コースの真下に潜み、待ち伏せしていた。


「お客さん、本艦頭上を通過します」


 お客さん――狙いっていた戦略原潜が頭上を通過した。

 前の航海で新型戦略原潜を発見、その哨戒ルートを<くろしお>は明らかにしていた。

 おかげで、そのルートで待ち伏せする事も可能になり、こうして先回りして潜んでいたのだ。

 音紋、潜水艦が出す音の種類、一隻ごとに違いがあり、識別に役に立つデータも先の哨戒で得ていた。

 遠くから発見できたのは、音紋データがあったからだ。

 海は空気中より音がよく伝わるが、遠方からの雑音も大量に入ってくる。

 その中から目的の音紋を聞き取るなど、テレビの嵐の中から囁き声を聞き取る、あるいは渋谷のスクランブル交差点で歩き回る一人の人間を見つけ出すような物だ。

 目印となるものが無ければ見つけられない。音紋は、目印と言えた。


「距離二〇〇〇で追随する。浮上、スクリュー前進用意」


 五分後、目標である戦略原潜が十分に離れた事を確認した<くろしお>は、追跡を開始した。

 相手より少し深い深度まで上がり後から付ける。


「とりあえず、一安心ですね」

「油断するな。何が起きるか分からないぞ」


 無事に接触し追尾開始できた事に安堵する水雷士を速水はたしなめた。

 戦略原潜の追跡が目的だが、見失わないように、見つからないように追いかけるのは骨が折れるのだ。

 一瞬たりとも油断が出来ない状況だ。


「こちらソナー、目標に変化、針路変更……クレージイワンだ!」

「スクリュー停止! 全員静かに!」


 速水は矢継ぎ早に命じ、乗員を静かにさせる。

 艦内の空気が凍り付き、息を潜める。


「ソナー、変化は?」

「ありません。旋回を継続中」


 小声で速水が尋ねるとソナー員も小声で答える。

 潜水艦は時折、背後に追跡している潜水艦がいないか急旋回して確認する事がある。

 ソ連の潜水艦がよくやっていた戦術で釣り針と言っているが、某映画の台詞が有名なためクレイジーイワンと<くろしお>では呼んでいた。

 相手が旋回している間は、こちらはひたすら息を潜めて留まるしかない。


「目標の位置は?」

「前方上方、旋回を継続中」


 この戦術の厄介なところは、潜水艦が急には止まれない所だ。

 乗用車と大型トラックだと大型トラックが重くてブレーキが効きにくく時折追突事故を起こすのと同様に、巨大な鉄の塊である潜水艦もすぐには止まれない。

 旋回で速力を落とした相手に追突する可能性がある。


「目標、頭上を通過、横に逸れました」


 深度をより深くしていたため、追突は避けられた。だが、安堵は出来ない。


「目標、横を逆方向へ通過中、旋回を継続。間もなく本艦の後ろに付きます」


 再び目標が接近してくる。


「目標、頭上を通過します」


 スクリューの回転音が頭上から響いてきた。

 見えないはずなのに一万トン近い船体の圧を速水は感じた。


「目標、針路戻りました。直進を続行」

「……目標との距離が二〇〇〇まで開いたら追跡を再開する」


 速水は安堵するように指示を下す。

 戦略原潜の後ろから付いていくだけでも大変だし、危険は一杯なのだ。

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