凱旋帰投
「そろそろ、終わりだな」
追跡を始めて一時間後、艦長が打ち切りを宣言した。
「まだ、気がついていませんよ」
「いや、そろそろ連中の哨戒コースに引っかかる」
穴があっても中国軍の哨戒線はある。
引っかかれば、<くろしお>は中国軍の追跡を受ける。
見つかる以上に拙いのが、戦略原潜の音紋を採ったことがバレることだ。
出来れば、中国軍に<くろしお>が連中の戦略原潜を追跡した事実を知られたくない。
他国の潜水艦に監視がない状況で中国軍がどのように戦略原潜を動かすのか今後も観察したいからだ。
見つからないよう離れるのも任務の内だった。
「頃合いだ。ソナー、音紋は採れただろう」
「バッチリです」
長い時間の聴音により、サンプルとして十分なデータが採れた。
「これで十分。あとは持ち帰るだけだ」
既にデータが十分に得られたのであれば、無事に横須賀に持ち帰ることが<くろしお>の使命だ。
情報は得るだけでなく、届けることで意味がある。
新型戦略原潜の音紋を得られたのであれば、持ち帰ることに任務を切り替えるべきだった。
「宜候」
追尾することに熱中していた速水は冷水を浴びたような衝撃を受け、頭を切り替え、艦長の命令を受け入れた。
「スクリュー停止。十分に離れたところで回頭し浮上。充電を行う。それと横須賀に新型戦略原潜とおぼしき音紋探知、と報告する。通信士、電文の用意を」
「宜候っ」
<くろしお>はスクリューを停止させ、目標との距離が離れていく。
「目標、離れていきます。いま、消えました」
「右360度回頭。一周して周辺に他の目標がないのを確認して浮上する」
相手に探知されない事、周囲に他の艦が居ないことを確認して浮上させる。
「もういいだろう。あとは副長に任せる」
速水の指揮を見た艦長はそう言うと発令所を出て、後方の艦長室へ戻っていった。
飄々とした動き方だったが、先ほどの手腕を見せつけられた後では、後ろ姿に後光が差しているように見えた。
速水は思わず敬礼して見送ってしまった。
狭い艦内のため、入出港などの節目の時、引き継ぎなど以外では敬礼する必要は<くろしお>ではない。
だが、自然と相手に敬意を抱くと敬礼してしまう。艦長はそんな人だった。
他の乗員も配置で敬礼して見送った。
「艦長には敵わないな」
とぼけているようで普段から敵味方の動きを見抜いて最適に動いている。
目の前の事に精一杯の速水には到底真似出来ない芸当だ。
何とか会得したいが、何時になることか。
速水は溜息を吐くが、今は嘆くよりやるべきことがある。
「浮上! 針路〇九〇へ。シュノーケル航行開始。充電完了後、潜水艦隊司令部へ打電せよ」
「宜候」
バッテリーが満タンになってから打電することにした。
撤収命令は出ていないが、初めから離脱を前提に速水は<くろしお>を航行させる。
新型戦略原潜の音紋データは海軍関係者なら誰だって欲しい。
報告したら潜水艦隊司令部は即刻帰投せよと命じてくるに違いない。
事実、充電が終わり打電すると十分もしないうちに司令部から返信が来た。
『<くろしお>は現時刻を以て哨戒任務を終了。直ちに帰投せよ』
「諸君、横須賀へ凱旋だ。艦長にも報告してくれ」
速水が電文を読み上げると艦内で歓声が上がった。
騒ぐことが厳禁な潜水艦内だが、予定より早く戻れるという嬉しさを抑えきれず声を上げて仕舞っている。
気持ちは分からなくもないし、すぐに静かになったので速水は大目に見ることにした。
「潜航、深度四〇〇、速力二〇ノット。横須賀への帰投コースに乗る」
艦長伝令に向かった水雷士も艦長が承諾したと伝えてくれたので、速水は横須賀に向かって航行するよう命じる。
先ずは中国軍の警戒圏を抜けるべく針路〇九〇――真東へ走り台湾の南方を回り込み、黒潮を捕まえたら海流に乗り速力を上げて横須賀まで直行だ。
上陸――休暇に昇進も期待出来るくらいには成果を上げたのだ。
昇進は厳しいかもしれないが、昇進の序列は確実に進むだろう。
それに感状くらいはくれそうだ。もしかしたらボーナスも付けてくれるかもしれない。
楽しく陸で過ごせそうだ。
「おっと、いけない、浮かれすぎた」
心が弾んでいるのを自覚した速水は気持ちを抑えた。
帰還するまで、音響データを引き渡すまでがが任務だ。
それに中国軍に見つかるのも厳禁だ。
此方が向こうの情報を持っていないと思わせる事が重要なのだ。
一応、十分離れてからシュノーケル航行を行ったのでバレてはいないはずだ。
決して油断は出来ないが、成果をかみしめるぐらいの余裕はあり、速水は楽しく横須賀へ<くるしお>を向かわせた。
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