第三十七話 魂


 ランと引き離された皓皓コウコウは目隠しをされて何処かに運び込まれ、拘束を解かれたのは、薄暗い牢屋の中でのことだった。

 道中聞こえてきた、エンの臣下の話の断片から予想する限り、どうやら此処は皇宮おうきゅうの地下にある牢らしい。

 鉄格子の間から周囲の様子を伺うと、六つある独房のうち、人がいるのは皓皓のいる此処だけのようだった。


 気掛かりなのは藍のことだ。

 藍は思惑おもわく通りの形で、宛と対峙し、間違いを正すことが出来るだろうか。

 叶うことならそれを見届けたいが、自力で牢を脱出する方法は見付かりそうにない。

 物は試しと、鉄格子を揺すったり叩いたりしてみたが、びくともしなかった。

 おまけに、宛の指示で鳥籠の首飾りを取り上げられてしまっている。

 これでは外に出られたとしても遠くまでは行けないし、万が一の時、紅榴山こうりゅうさんの宮でそうしたように藍を連れて逃げることも出来ない。

 一体どうしたものか。


 外の見えない牢の中では時間を測る術もなく、どれくらいの時が経ったのかもわからないまま、皓皓はただ膝を抱えていた。

 かつん、かつん。

 閉じた空間に大きく反響する足音が聞こえ、顔を上げる。

 誰かがやって来た。

 その人物が皓皓のいる独房の前に立つと、捧げ持たれた蝋燭の小さな明かりで、ぼんやり顔が照らし出された。


「……あなたは、」


 見覚えのある顔。

 今は遙か昔のことのように感じられる里での市の日、宛に絡んできた男を投げ飛ばした、宛の従者の青年だった。

 確か名前は――そう、鷹順ヨウジュンだ。


「おまえに聞きたいことがある」


 あの時、決して自分からは話し掛けてこなかった彼が、わざわざこんな所まで皓皓を訪ねて来たことに驚く。

 この暗さで表情はよく読めなかったが、皓皓には、彼が努めて沈着をよそおっているように見えた。


スウ様を殺したのは、本当に藍様なのか?」


 か細い声だった。


「違うと言って、あなたは信じるの?」


 皓皓が尋ね返すと、黙り込んでしまう


「あなたは、本当は、宛様がしたことに気付いているんじゃないの?」


 問い詰める皓皓に、鷹順がとうとう口を開いた。


「おまえが一人でも変化出来るという秘密。それを宛様にお伝えしたのは、俺だ」

「あなたが?」

「紅榴山の宮の使用人の中には、我々の手の者を忍ばせてある。

 あのひと月の間、その者におまえたちの様子を観察して、逐一報告するように命じていた」

「じゃぁ、やっぱり、あの夜……」

「おまえが藍皇子を宮の外に連れ出すのを、その者が追い掛けた。

 其処で、おまえが一人でも鳥の姿取れるわけを知り、俺がその報告を受けた」


 推察は大体のところで当たっていた。

 皓皓の秘密が漏れるとしたら、あの夜以外にはありえない。

 改めて自分の軽率さを悔いる。

 でも、あの夜宮を抜け出さなかったら、皓皓がこれ程藍と心を通わせることはなかった。


 藍がどう思うかはわからない。

 芻の命と引き換えにしてまで手に入れるべきものではなかったかもしれない。

 ただ皓皓にとっては、あれははかけがえのない夜だった。


「宮の者から知らされた事実を俺がお伝えすると、

 宛様は『そのことは、決して他言しないように』とおっしゃった。

 『一つ間違えれば、それはこの国の理を揺るがすことになるかもしれないことだから』と。

 俺はその指示に従った。そして、あの朝……」


 芻が、殺された。


 幼い頃から誰より側で宛に仕えてきた鷹順は、その因果関係に思い至ってしまった。


 芻を殺したのは、本当は、藍ではないのではないか?

 宛が皓皓と同じ力を手に入れるため、芻をその手に掛けたのではないだろうか?


 鷹順の疑念を払拭するかのように、芻が死んだ後も、宛が一人で変化出来る力を得ることはなかった。

 やはり宛は芻を殺したりなどしていない。

 安堵するかたわら、一度生まれた疑いは、彼の中でくすぶり続けていた。


「……俺には、どうしても、藍皇子が芻様を手に掛けるとは思えなかった」


 鷹順の苦渋の告白に、皓皓は深い共感を覚え、胸を詰まらせる。

 宛に仕え、藍には良い顔を見せなかった彼にさえわかる程、藍は芻を愛していたのだ。


「それでも、俺は宛様を、信じ続けたかった。

 おそれ多い妄想を抱いた自分を律して、宛様にお仕えし続けることが出来れば、それで良かったんだ」


 真実を察しながら、それを確かめることも暴くこともしなかった彼を、皓皓には責めることが出来ない。


 彼はただ信じたかっただけなのだ。

 己が身を捧げた主君を。


「でも、なら、どうして今更?」


 見て見ぬ振りをするならば、最後まで貫かなければ意味がない。

 それが何故今頃になって、人目を忍ぶようにしてまで皓皓に確かめに来たのか。


「俺の対の片割かたわれは、側近として芻様にお仕えしていた。それが、芻様がお亡くなりになった後……

 主をお守り出来なかった己を責めて、殉死した」


 芻が自らの従者を「鷹恭ヨウキョウ」と呼んでいたことを思い出す。

 彼が鷹順のついの片割だったのか。


 皓皓から鷹順に掛けてやれる言葉などありはしない。

 形こそ違えど、片割を失った痛みはよく知っている。


「正直、まだ迷っている。このまま宛様への忠義を貫くべきか、片割の無念を晴らすため、事実を突き止めるべきか」


 それを迷っている時点で既にもう、彼は辿り着いている。

 知りたくはないだろう。だが、彼も真実と向き合わねばならない。


「本当は、ただむなしいだけなのかもしれない。

 おまえの片割の魂は今もお前と共にあるというのに、芻様の魂は宛様の元にはなく、俺の片割れも……キョウも、此処いない」

「あなたの対の相手の方は、神の元にかえったのだと思う。側にはいなくでも、あなたがその人を想う時、その人もあなたを見守ってくれている筈だ」


 鷹順がのろのろと顔を上げた。

 向けられた眼差しは弱々しく、初めて会ったあの日の、警戒心をあらわにした刺々しさは欠片かけらもない。


「でも、芻様は違う。芻様の魂は、宛皇子と共にない」

「それは、つまり」

「芻様を殺めたのは、宛皇子だ」


 長い躊躇ためらいの後、鷹順が着物のたもとから三つの物を取り出した。

 一つは牢の鍵。

 もう一つは、皓皓の片割の遺骨が入った、鳥籠の銀細工。

 最後の一つは、腕輪。皓皓も見覚えのある、藍の目と同じ色の宝玉の腕輪だ。


「芻様のご遺品だ」


 皓皓は袖を捲り上げ、二の腕に結んであった赤い飾り紐を解く。

 国境を越える前、この国では目立ち過ぎるからと、着物の中に隠れる位置に巻き直してあったのだ。

 そこには今も、藍色の玉が揺れている。


 鷹順は牢の鍵を開けると、鳥籠の銀細工と、芻の腕輪を皓皓の手に握らせた。


「頼む……終わらせてくれ」


 血の滲むような声で、鷹順は言った。




 皇家の陵墓りょうぼは、皇宮おうきゅうから離れた、皇都おうとの外れの丘の上にある。

 牢を脱出した皓皓は鳥の姿に変化して、一直線に其処を目指した。

 相方は、この手に戻って来たばかりの、亡き片割ではない。


「人と一緒に飛ぶのって、こんなに疲れるものだっけ?」


 目的地に辿り着いて変化を解くと、思わずへたり込んでしまう。それ程疲弊していた。

一緒に飛んできた鷹順も同じくぐったりとしている。


「片割以外の人間と飛ぶ為には、相当息を合わせる必要がある。こんな無理をすることは、普通、滅多にない」


 言われてみれば、子供の頃、戯れに鷺学ロガク鷺朔ロサクと共に空を飛んだ時も、なかなか上手くいかず、何度も墜落しそうになったものだ。

 長い間、亡き片割としか魂を重ねてこなかったせいで、忘れかけていた。


 息を整え、なんとか立ち上がれるまで回復した所で、鷹順と共に目的の物を探し始める。

 よく目立つそれはすぐに見付かった。

 ずらりと並ぶ石碑の中に一つだけある、真新しいもの。


「此処が、芻様のお墓?」

「そのようだな」


 通常、皇族の陵墓は一般の出入りが禁じられている。

それは鷹順でも同じらしく、だから彼にとって、これは宛や皇家に対する裏切りだ。

それでも、彼は皓皓について来てくれた。

 全てを終わらせるために。


「芻様のご遺体は火葬されずに、土に埋められたんだよね?」

「そう聞いている」


 チノや、火の神から聞いた話によれば、死者の魂が肉体を離れるためには、その人間に相応しいとむらわれ方をされなければならない。

 半分麒麟の血が流れているとは言え、芻は火の神の力を授かった鳳凰之国ほうおうのくにの人間だ。

 その魂も、土葬されただけでは肉体から解放されていないだろう。

 おそらく、芻の魂はまだここにある。


「探せるのか?」

「わからない……でも、芻様なら……藍のためなら、応えてくれると思う」


 鷹順の問いにそう答え、皓皓は、芻の腕輪から外した宝玉の一つを口に入れる。

 『コウ』の遺骨をそうするように、奥歯でそっと噛み締めた。


(お願い、芻様)


 火によって清められていない肉体から、死者の魂を連れ出す。

 皓皓には出来る筈だ。死者と魂を重ねることに慣れた、皓皓なら。


 目を閉じ、耳を澄ませ、必死に祈り、芻の魂を探る。

 ふと、冷たいものが背筋を撫でた。

 何かの気配がする。

 芻ではない。冷たく、怨嗟に満ちた視線。

 陵墓に眠る無数の死霊が、不届きな侵入者を見詰めている。


 怖い。


 祈るのを止めてしまいそうになった皓皓の耳に、声が飛び込んだ。


 ――頼む。


 皓皓を呼ぶ、必死な声。


 ――俺が負けないように、支えてくれ。


(藍!)


 心の中の彼に向かってがむしゃらに手を伸ばす。

 次の瞬間、温かいものを掴み取った。


 目を開けると、皓皓は、陽だまりのような金色こんじきの光に包まれていた。


(芻様)


 皓皓の中に溶け込んだ芻の魂が、応えるように熱を上げる。

 鷹順も皓皓の様子から、先程までとは違った色を感じたようだ。

 彼は不安と疑念で揺れる目に、少しの希望を乗せて皓皓を見る。

 そんな彼に向かって、皓皓は――芻は、頷いた。

 

 そして、彼女たちは力強く羽ばたいた。

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