第二十三話 異郷(二)


 夜のとばりが降り、今日も空には数え切れない星がばら撒かれた。

 本当に、この国では空が広く見える。


 焼いた肉と酒を手に焚き火を囲む狼狽之国ろうばいのくにの民たちから少し離れた、炎の揺らめきが月明かりを邪魔しない穹盧きゅうろの陰。

 皓皓コウコウは、抱えた膝に顔を埋めてうずくまランと寄り添っていた。


「藍、大丈夫?」

「……大丈夫だ」


 ほとんど二日ぶりに聞いた藍の声は全く大丈夫な様子ではなく、かすれきって震えていた。

 皓皓とて藍程ではないにしろ、決して心穏やかな気分ではない。


 マナンの妻にああ答えはしたものの、結局のところ、皓皓も折角用意してもらったご馳走には、ほとんど手を付ける気になれなかった。


 夕焼けより赤い色が、目に焼き付いて離れない。


「具合はどうだ?」


 皆の輪から抜けて来たチノが、そう言って、両手に一つずつ持った椀を二人に差し出した。


「食えそうなら、少しでも腹に入れておけ。肉は入っとらんからな」


 刻んだ野菜を煮込んだ汁物だった。

 ウールの妻があの後、わざわざ二人のために用意してくれたのだそうだ。

 食欲は全く沸かなかったが、その温かさに感謝した。


「あれは鳥の国の者には刺激が強過ぎたな」


 チノの言う「あれ」とはこの国独自の葬儀の形のことか、それとも雉をさばく様を指しているのか。

 どちらも、なのかもしれない。


「配慮が足らんですまんかった。どうも自分の感覚で考えてしまうでな」

「いいえ」


 彼が謝ることではない。

 自分の感覚でしか物事をとらえられないことが悪いのだとしたら、むしろ他所から来ておいて、勝手にこの国の風習に怯えている皓皓たちの方が悪いのだ。

 しかし、どうしたところで、やはり自分が変化する姿と同じ形の生き物が、死体をついばんだり、肉塊にされたりする光景は、平然と眺められるものではない。


 よいしょ、とチノは二人の前に胡座あぐらをかき、腰にぶら下げてあったひさごあおる。酒の匂いがした。

 客人を歓迎するためにもうけられた宴の席から、三人共が抜けてきてしまったことになるが、チノに気にする様子はない。


「そちらの国では、死者は火葬で天に還すのだったな」


 酒の肴には美味くない話だろうに、平然と尋ねてくる。


「はい。ああ、でも、最近は土葬が一般的です」

「何?」


 あれだけ無惨な遺体の有様にも落ち着き払っていたチノが、何故か「土葬」という単語に大きく反応し、眉を寄せた。


「いつから?」

「ええと……兄皇けいおう様が皇后様をお迎えになった時からだから……二十年くらい前?」


 同意を求めて隣を見る。

 藍が無言で頷いた。


「どうしてそんなことになっとるんだ? 鳳凰之国ほうおうのくには火の神の国だろう」

「皇后様のご発案です。麒麟之国きりんのくにが豊かなのは、埋葬された死者が土を豊かにしてくれているからだ、と。

 鳳凰之国は土が痩せていますから、かの国に倣って国土を豊かにするべきだ、とお考えになったとか」

「ああ……そういうことか……」


 チノは元から整っていない髪を更にぐしゃぐしゃと掻き乱す。


「そちらさんから吹く風が嫌によどんできていたのは、それが原因かい。

 そりゃぁ、『火の神』さんの力が弱まるのも当然だな」

「何の話をしている?」


 一人だけ理解したように「ああ」だの「うん」だの呟いているチノに、藍が業を煮やして口を挟んだ。

 チノは瓢を地面に置き、


「いいか、おまえさんたち」


 と、今までにない深刻な調子で切り出した。


「国によって死者のとむらい方が違うのは何故だと思う?」


 皓皓は首を傾げる。考えたこともない。

 そもそも狼狽之国であのような葬儀が行われていることも、今日初めて知った。皓皓が知る死者のほうむり方といえば、火葬と土葬だけだったのだ。


「それはな、国に、土地によって、死者の魂が還る場所が違うからだ」

「死者の魂は、神様の元に還るのではないのですか?」


 肉体から離れた魂は神に還り、他の数多の魂と溶け合い一つになって、やがて別の命として生まれ落ちる。

 何処の国でも人であれば皆そうだと、少なくとも皓皓は養父母にそう教えられた。


「その通り。だが、その神さんが居る場所が国によって違うだろう」

「ああ」


 皓皓はようやく、チノの言わんとすることを理解した。


 『鳳凰之国』なら天に漂う『火の神』。

 『麒麟之国』なら地に宿る『土の神』。

 『狼狽之国』なら大気に遊ぶ『風の神』。

 『虹蜺之国こうげうのくに』なら海に眠る『水の神』。


 神の元に還る、とはすなわち、天か、地か、大気か、水か、いずれかの場所に向かうこと。


 だから狼狽之国の民は亡骸なきがらを風にさらす。

 風の神がその魂をいつでも受け取られるように。


 では、鳳凰之国では?

 死者の体を焼いた煙は天に昇り、其処に待つ火の神にすくわれる。


 しかし、亡骸が焼かれず、土の中に葬られたのでは?

 鳳凰之国の地下に神はいない。

 つまり、埋葬された死者の魂は、神の元に還らない。


「死者の魂を取り戻せない神の力は痩せ細り、受け入れられない死者を埋めた土は腐りゆく。それでは、国が乱れるのは必然だ」

「まさか、」


 皓皓が思い至るのと同時に藍が声を上げ、二人は視線を交わした。


 藍がずっと探し求めていた答えは。


「今、鳳凰之国に蔓延している熱病は、それが原因なのか?」


 始まりはおそよ十七年前。

 藍は「弟皇ていおうに皇子が生まれた頃」と言ったが、「兄皇が皇后を迎えてしばらくして」と言い換えられなくもない。


 病の流行は皇都おうとを中心に広がった。

 兄皇后の提言により死者の葬り方が火葬から土葬に切り替わったのは、皇都が最初。

 皓皓が住んでいた辺境の里で土葬が行われるようになったのは、ほんの数年前からだ。現に、皓皓の片割かたわれは火葬されている。


「もしかして、畑が不作なのも?」


 植物は人間や動物より、直接的に土からの影響を受ける。

 里で野菜や薬草の育ちが悪かったのは土が傷み始めているからだ、と考えておかしいところはない。

 皓皓が暮らしていた山中や藍の宮の庭に目立った変化が見られなかったのは、近くに墓場がなく、腐った土がまだ其処までは侵食していないから。


 あらゆることが繋がって、合点がいってしまった。

 思い掛けない形で辿り着いた真相らしきものに、思考が追い付かず、頭の中がぐるぐると渦を巻く。


「そんなことになっとるのか」


 二人の話を聞いたチノが、苦い顔になる。


「お隣さんとは言え、神さん同士が相手の縄張りに手出し口出しするのは禁忌でな。 だからうちの神さんも、何も教えてくれんかったのだろう」

「……貴方は、一体何者なんですか?」


 親しい友を呼ぶかの如く自国の守り神を語り、その民である皓皓たちよりも鳳凰之国について見透かす不思議な人。只者だとは思えない。


 チノの頭上に輝く月。

 彼の目は月と良く似た色をしている。


「わしは孤狼ころう。風の神の依代よりしろだ」


 夜の闇に光る金色の目に、初めて狼の面影を見た。


「おまえさんもそうだろう?

 火の神の依代。鳳凰之国の弟皇子よ」


 藍が息を呑んでチノを見る。


「おまえさんは覚えておらんだろうが、わしは一度、おまえさんに会ったことがある。火の神の新たな依代が生まれたと聞いて風の神の代理として、ご挨拶にな」

「……俺が弟皇子だと知っていたから、迷い込んだ俺たちを拾ったのか?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」


 チノに対する警戒心を露わにした藍が、いつでも距離を取れるように身構えて、チノを睨む。


「孤狼とはなんだ? 神の依代とは?」

「まさかとは思うが、おまえさん、何も知らんのか?」


 話の筋が見えない皓皓は、ただおろおろとするばかりだった。


「孤狼は、この国においてついの片割を持たずに生まれる人間のこと。

 依代とは、現世うつしよに置ける神の器。自らの体に神を降ろし、その声を人々に伝える役割を担う者のことだ」

「おまえがそれだと?」

「おまえさんも、だ」

「意味がわからない」


 藍がいぶかししむのも無理はない。

 鳳凰之国おいて神は絶対的に不可侵の存在である。

 絵画や像に表された姿形は誰もが知っているが、実際に神に見えた者、神の声を聞いた者はいないとされていた。

 皇都の大神殿を初め、各地に在る社で、民は神に祈りを捧げる。

 其処には神に仕える祭司もいるが、彼らとて実態のないものに祈りを捧げていることに何ら変わりはない。


 いつから、誰から語り継がれているかわかない、神話から感じる影。

 それが鳳凰之国にとっての神の在り方なのだ。


 それを、自らが神を宿す器だと言われて、すんなりと受け入れられるはずがない。


「そもそも、何故それが俺だとわかる?」

「何故も何も、おまえさんは孤狼……いや、鳥の所では片羽かたはねと言うのだったか? とにかく、対でなく生まれた、魂に神の息吹いぶき宿やどさない人間だろう?

 神の息吹を持たない人間は、神がこの世に現れるための依代。それは何処の国でも同じことだ」

忌子いみこが、神の依代、だと?」

「他の国で依代がどう扱われているか、わしは預かり知らんが……少なくとも風の神の民たちは、孤狼が生まれればその子が一人でも生きられるよういつくしみ育てる」

「信じられない……」


 皓皓は思わず呟いた。


 初めから双子でなかったわけではない、生まれる前に片割を亡くしただけの――藍曰く、片羽ですらない――皓皓でさえ、里ではあんな扱いを受けていた。

 それが狼狽之国では、忌み嫌われないどころか、大切に慈しまれる存在だと言う。


「いいか、おまえさんたち」


 幼い子供にそうするように、チノは二人の顔を見ながら語り聞かせる。


「人間はこの世に生まれ落ちる時に、神から力を分け与えられる。神にとってはほんのひとひらだが、人間が背負うには大き過ぎる力だ。だから一つの力を二人で持てるよう、人間は双子で生まれる」

「それは知っている」

「では、何故まれに神の力を持たず、一人きりで生まれる赤子がいるのか?

 それは神がこの世に姿を現わす時、器として使うためだ。

 神そのものを受け止めるための器の中に、初めから中身が入っていたら不都合だろう? 神を寄せるためには、空の器が必要なのだ」

「空の、器……」


 ひどくむなしく響く言葉を、藍が口の中で繰り返した。


「それが、俺だと?」

「おまえさんであり、わしだ」

「……言いえて妙だな。俺にふさわしい肩書きだ。弟皇の皇子より、その方がずっとしっくりくる」

「藍……」


 自嘲的な笑いを零す藍に、皓皓は掛ける言葉を見付けられず、伸ばしかけた手をそのまま下した。


「おいおい。勘違いしたらいかん。空っぽなのは、あくまで神の力についてだけだ。 

 おまえさんがおまえさんであり、一人の人間であることに変わりはないぞ」


 チノの言葉に、しかし、藍は耳を貸さずに蹲ってしまうのだった。

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