第三十五話 火の神(二)


 言うだけ言って目を閉じようとした火の神に、礼の姿勢を取ろうとした時。

 首に掛けた鳥籠の銀細工が、着物の襟の間から滑り出た。

 半分頭を下げたその姿勢のまま、皓皓コウコウは動きを止める。


 目の前のこの尊い存在ならば、自分がずっと胸の底で抱えていた疑問の答えを持っている。

 そう気付いてしまったのだ。


「……一つ、教えて頂けませんか? 藍も国も関係のない、僕個人のことです」

「……聞こう」


 溢れそうな感情を必死に奥歯で噛み殺し、鳥籠を握り締め、皓皓は尋ねた。


「僕が――私が一人でも空を飛べるのは、『コウ』がずっと側にいてくれたからですか?」

「……そうだ」


 心臓が、針を刺すような痛みに襲われる。


 わかっていた。

 姿が見えなくとも、声が聞こえなくとも、体温を感じられなくとも。

 亡き片割かたわれの魂は小さな遺骨の欠片かけらに宿り、いつも皓皓の側にあった。

 『皓皓』が生まれた時から、今日まで、ずっと。

 つまり、それは。


「私のせいで、『皓』の魂はずっと、神様の所へかえれなかったのですか?」


 狼狽之国ほうおうのくにでチノの話を聞いた時に、思ったのだ。


 焼き清められず土に埋められた死者の魂は、火の神の元へ還れない。


 皓皓の双子の片割は火葬されている。

 それでもその魂が此処に在り続けた。

 その理由は。


「これのせいで?」


 今日まで肌身離さず持ち歩いてきた銀細工の鳥籠。

 これが『皓』の魂を閉じ込めてしまっていたから。

 おうたちがラン皇都おうとから遠く離れた宮に軟禁したように。

 同じ仕打ちを、皓皓はずっと亡き片割にいていた。

 それどころか、自分の為に、一方的にその力を利用してきたのだ。

 本来、神の御許みもとへ還る筈だった魂を、遺された側の身勝手で送ってやらなかった。


 藍の姿をした火の神が、呆れたように肩をくすめる。


「そんな玩具の細工に、魂を捕まえておく力などあるものか」

「え?」

「それがいつまでも其処に留まっているのは、単にそれ自身の意志だろう」


 意志。本人の? 『皓』の、意志?


「だって、『皓』は生まれる前に死んでしまって……」

「肉体と魂、そして精神が結び付くのが、この世に生まれ落ちる瞬間だと思うのか?」

「……あ」


 生まれる前の十月とつき

 母のはらの中にいる間、皓皓は間違いなく二人のうちの片方だった。

 思い出しようもない記憶の中で、皓皓が『皓』と共に過ごした時間は、確か存在していたのだ。


 共に生きられたらどんなに良かったかと、思わなかったわけがない。

 皓皓がそう思ったように、『皓』も生まれる前から、死んだ後も、願ってくれていたと言うのならば。


(……ありがとう)


 鳥籠の中の骨の欠片に、強く念じる。


(そして、ごめん。僕は、藍のために、君を利用する)


 今日まで、誰より傍で守り続けてくれた相手をかえりみもせず、自分の身の上ばかりを嘆いてきた。

 その上、今尚、別の人間を優先する。


(そんな、酷い片割で、ごめん)


 必死で顔を上げ、火の神を見る。


「いつか必ず、彼の魂はあなたの元に送り届けます。今は……許してください」

「今更一つ魂が戻らない程度で、変わらない」


 この神様は本当に藍と似ている。

 素直な物言いが出来ないところがそっくりだ。

 そのことが、少しだけ可笑しかった。


 藍の体が床にへたり込み、皓皓は咄嗟にその肩を支えた。


「大丈夫? 何があったか、覚えてる?」

「……ああ」


 藍がはっきりとしているのはかがりの火を飲み込んだところまでのようで、その後のことはもやがかかったように曖昧らしい。

 それでも、何も覚えていないわけではない。


「誰かが自分の体を使って話す声が、聞こえていた。あれが火の神なんだな」


 藍の右手は、今も剣を握っていた。


「戦え、と、言っていたな。火の神は」

「藍」


 案じる気持ちが声に出でしまった皓皓に、藍は「大丈夫だ」と応える。

 どうあれ、藍はもう一度宛エンと向き合わねばならないのだ。

 そして、この国そのものとも。


「行こう」


 剣を付いて体を支え、己を鼓舞こぶして藍が立ち上がった、その時。

 堂の扉が、乱暴に叩き開けられた。


「!」


 武装した兵たちが雪崩なだれ込んで来たかと思うと、あっと言う間に二人を取り囲む。

 神域とされる場所に武器を持って踏み込んで来たということは、神殿の警備の者たちではない。

 と、すれば――


「やぁ、藍」


 兵たちの後ろから現れた宛が、嘘のように明るい声で藍を呼んだ。


「宛……」


 隣で藍の体が震えるのがわかった。


「知らせを受けて驚いたよ」


 宛の向こうで、兵士に身柄を拘束された祭主さいしゅが必至に何かを訴えようとし、喉元に剣先を突き付けられて押し黙った。

 その隣には、若い神官が顔を真っ青にして立っている。

 礼拝堂で、最初に藍たちを見咎みとがめた青年だ。


(そういうことか)


 藍と皓皓たちが祭主に連れられこのびょうに向かった後、彼が宛の元に知らせを飛ばしたのだ。

 国外追放されたはずの弟皇子ていおうじが、大神殿に現れた、と。

 事情を知らない彼の立場を思えば、仕方のない行動と言える。


「藍。どうして君が此処にいる? 折角、追放という処分で済ませてあげたのに」


 これも、火の神のお膳立てか。


 因縁の相手との再会は突然過ぎて、藍は、かえって腹が据わたようだった。


「舞い戻って来たんだ。おまえの罪を明らかにするために」

「僕の罪? 君の、ではなく?」


 平然とうそぶく宛を前に、怒りよりも悲しみが込み上げそうになる。

 藍は強く唇を噛むと、手にしたままの剣の先を、宛に突き付ける。

 兵士たちの包囲の輪が一歩狭められ、辺りに緊張が漂った。


スウの魂を手に入れることは出来たか?」

「何?」


 藍からの問いに、宛が眉をひそめる。


「一人の力で変化出来るようになったか? と聞いているんだ」

「何を言っているのか、わからないな」

「出来なかったんだろう? そうだろうな。おまえはわかっていなかったんだ」


 あきらかに、宛は顔色を変えた。

 居た堪れなくなって、皓皓は目を伏せる。


 皓皓が一人でも鳥の姿に成れるのは、対の片割の遺骨を借りているから。

 それは事実だが、真実ではない。

 本質は、その魂が皓皓に寄り添い、皓皓を守っているから、というところにある。


 宛は、芻を殺した。

 芻の魂が、自らを殺めた宛と溶け合うことは、この先、未来永劫ないだろう。

 どんな手段を用いても。

 宛は望んだ力を得られない。禁忌を犯しても、尚。

 芻の死が何処までも意味のないものになってしまったことが、むなしい。


「藍。君を皇宮こうきゅうに連れて行く。其処で、今度こそ君の罪を悔い改めるんだ」


 冷静を装う宛の声には、抑えきれないいきどおりが滲んでいた。

 およそのところで、火の神の思惑おもわく通りに事が運び、皓皓は内心で安堵する。

 もし、今この場で宛が藍を切り捨てようとしたらならば、再び逃げて体制を立て直さなければいけなくなっていたところだ。


 宛がそうしなかった理由は簡単。

 宛は、皆の前で藍を断罪したいのだ。

 藍こそが罪人であると声高に叫ぶことで、魂の片割を奪われた悲劇の自分を演じ、憎き仇を撃った英雄として、次の皇の座に就く。

 それが彼の思い描く筋書なのだろう。


 藍は藍で、この場で宛と決着を付けるわけにはいかない。

 今此処で宛をたおしてしまったら、今度こそ本当に皇族殺しの汚名が着せられてしまう。


 真実をつまびらかにし、間違いを正す。

 そのため、宛にはふさわしい場を用意してもらわねばならない。


 兵たちに捕らえられ、引っ立てられて行く中、藍と皓皓は視線を交わし、強く頷き合う。

 言葉は、要らない。

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