第三十六話 断罪


 大神殿で捕らわれたラン皓皓コウコウと引き離され、後ろ手に手枷てかせめられたまま、十年ぶりに皇宮おうきゅうへと足を踏み入れた。

 連れて来られた謁見場えっけんじょうは、本来、皇宮の奥まで立ち入ること許されない身分の者が、皇族に拝謁はいえつするための場所。

 此処へ連れて来るということは、既に藍を皇子として認めていないも同然の仕打ちだった。


(そんなことは、今更だ)


 この十年、紅榴山こうりゅうさんの宮に移り住んで以来、藍が皇子として扱われたことなどない。


(……いいや)


 浮かびかけた自嘲を、否定する。

 紅榴山の使用人たちは、間違いなく藍を主と定め、心を尽くして仕えてくれていた。

 藍が自らの身分を否定することは、彼らの想いを否定するに等しい。

 それは、してはならないことだ。

 彼らはどうなっただろう? エンに逆らった罪を問われ、罰されてしまっただろうか。

 思いを馳せれば胸が痛んだが、今向き合うべき問題は、それではない。


 大理石が敷かれた広間の真ん中で、宛にうながされるまま膝を折る。

 宛の臣下たちに取り囲まれる中、両腕に枷を嵌められて床に伏した皇子の姿は、さぞ滑稽こっけいに違いない。


 奥の壇上には、玉座が二つ。

 片方には、全身から怒りを滲ませた兄皇けいおうが座り、その脇には、愛娘を殺めた大罪人を前に、悲嘆に暮れる兄皇后けいこうごうが控えている。

 そして、もう一つの席には、どんな色も浮かばせない表情で、弟皇ていおうが座していた。

 久方ぶりの息子との対面がこんな形になるとは、まさか彼も思っていなかっただろう。

 忘れそうになっていた父の顔が――とくに完全に感情を消すことの出来るあたりが――自分とよく似ていると、皮肉にも藍はこの時初めて気が付いた。

 握った拳を震わせながら、兄皇が重々しく口を開く。


「よくも堂々とこの国に戻って来られたものだな」

「宛が慈悲を掛け、国外追放で留めてくれたというのに……

 貴方が自らの罪をかえりみないのならば、わたくしにも、宛にも、最早、かばい立ては出来ません」


 兄皇后が袖で目尻を拭った。

 的外れな涙に同情さえ湧いてくる。

 むしろ、一言も口を聞かず、本当にこちらを見ているのかさえ怪しい父の方が、相変わらずな分だけ、いさぎよくて、清々した。


 彼らへの恩義を踏みにじる罪悪感。

 それさえ吹っ切れてしまえば、後はもう、躊躇ためらうことはない。


「庇って頂く必要はありません。俺は、スウを殺してはいないのですから」

「貴様、この期に及んで、何を!」


 兄皇が怒号を上げて立ち上がる。

 兄皇后の啜り泣きが大きくなった。


「藍。みっともない言い逃れは止そう」


 穏やかな声で、心からの労りが篭っているように聞こえる声で、宛が言う。


あやまちを認め、罪をつぐなってくれ。そうすれば、僕は君をゆるすよ。

 芻だってきっと赦してくれる。芻は君を好きだったからね」


 ぎりっ、と奥歯を噛む。

 宛が自分の背後に立っていてくれて良かった。

 その表情が見えなくて、本当に良かった。


「芻を殺したのは、宛です」


 周囲が、しん、と水を打ったように静まり返った。

 なんということを、と、藍を此処まで引っ立てて来た臣下の一人が囁いた。


「そのような、恐ろしいことを……」


 それをきっかけにして、藍に対する非難の言葉が溢れ、


「妄言にも程がある」

「皇太子を侮辱するか」

「……忌子いみこが」


 誰が言った。


 忌子が災いを呼んだのだ。

 母を殺し、国を乱し、病を招いて、皇女の命までを奪った。


 きっとこの場にいる誰もがそう思っている。


(頼む)


 藍は、心の中で呼び掛けた。


(俺が負けないように、支えてくれ)


 この場にいない彼女の手が、いつかのように藍を引いてくれる気がした。

 周囲から注がれる悪意に構わず、藍は立ち上がる。


 ――さぁ、怒れ。


「ふざけるな!」


 幾人もの声が合わさった雑言より大きく、藍は叫んだ。


片羽かたはねだろうが、忌子だろうが、好きに呼べばいい!

 俺のせいで病が蔓延し、天災が起こり、民がえ、国が乱れたと思いたいのなら、そう思っていろ!」


 もしも本当に、それらの全てが自分のせいならどれだけ良かったか。

 この身一つ投げ出せば国を救えるのなら、肉体も、魂も、心も、全部投げ捨ててやる。

 理不尽だろうが構わない。

 この世の全ての罪を自分のせいにして、ほうむってくれて構わない。


「それでも!」


 たった一つだけ。それだけは、認めない。


「俺は芻を殺していない!」


 彼女に死ねと言われれば死ねた。

 彼女を殺すくらいなら彼女に殺された方がましだった。


 でも、わかっている。

 芻は絶対に藍に死ねとは言わないし、藍を殺したりはしない。

 彼女はこの国を心から愛していて、その愛の中に、藍を含めてくれた。

 そんな彼女のことを、藍も愛していた。


 ――それは、君が背負ったらいけない罪だ。


 きっぱりと言い切った彼女の、その正しさを、信じることにした。 


 だから、その罪だけは背負わない。


「藍、もう止めるんだ」


 宛が後ろから肩を掴んだ。


「ならば何故、あの時、君は逃げ出した? 罪の自覚があったからではないのか?」

「あの場に留まっていたら、弁明の間もなく殺されていたからだ。

 ……おまえに」


 宛が「心外だ」という顔をする。


「僕が君を殺すわけがないだろう!

 君がいわれない差別にずっと苦しんでいたことを、僕は知っている。芻も知っていた。君はその苦しみのせいで心を壊してしまったんだ。

 だから僕は君を責めはしない。君を救えなかった僕にも、責任はあるのだから」


「俺は、赦さない」


 藍は身を捩って、宛の手を払い退ける。


 ――全てを自分のせいにして、芻様を殺した宛様を赦してしまわないで。


 あの夜。

 藍を叱咤した片羽の少女。

 強い子だ。あらゆる罪の責任を忌子になすり付けて逃げていた藍より、ずっと。


 他人の罪を憎む恐怖から、罪を犯した他人を怒る困難から、逃げるな。


 振り返り、藍は真っ向から宛と対峙する。

 もう、その顔を見ても、動じたりはしなかった。


「芻を殺したことを、赦さない。芻を殺したおまえを、俺は絶対に赦さない!」


 いつのまにか宛の臣下たちも口を噤み、謁見場には藍の怒りだけが満ちていた。

 兄皇后の顔は蒼白で、今にも気絶してしまいそうな様子である。


「もう、よい」


 ついに口を開いたのは、それまで一言も発さずにいた弟皇だった。


「宛。そなたの主張は?」

「僕は芻を殺してなどいません。芻は僕のつい片割かたわれです。それを、殺めるなんて」

「『芻を殺したのは藍である』と」

「当然です」


 宛の言い分を聞いた弟皇は、次に、藍に向いた。


「藍よ。おまえはあくまで『芻を殺したのは自分ではなく、宛だ』と言うのだな?」

「はい」

「証明する手立てはあるか?」


 弟皇の目が真っ直ぐ藍を見据える。

 藍の目の色は母親譲りで、父のそれとは違う。

 久方ぶりに見えた父の目は、鳳凰之国のものらしく、赤い炎を宿していた。


「ないと言うならば、宛の主張を真実とするよりない。

 対の絆は何より深く、全てにおいて優先されるべき繋がりであるからだ」


 宛は藍を下手人に仕立て上げるためにあの状況を用意し、藍は何も知らず自らその罠に嵌ってしまった。

 証拠はない。証人はいない。

 皇太子の立場と対の絆は真実さえ飛び越えて、宛の言い分を正しいものとする。

 どう足掻あがいたところで、藍は宛に敵わない。

 だから。


「神は御存知です」


 たった一つ。それが、今の藍に仕える武器だった。


「『勝利は常に正しい者の上に』」


 それは今ではもう人々がほとんど忘れかけていた、いにしえの作法。

 正義がどちらにあるのかを誰も判ずることが出来ない時には、神にさばきを任せると言う。


「宛に決闘を申し込むつもりか?」


 兄皇が押し殺した声で問うた。


「はい」

「理不尽です! そんなこと、許されるわけがありません!

 この者は、芻を殺したのです!」


 兄皇后が金切り声を上げた。

 彼女の言う通り、本来であれば対等な存在同士で行うべき果し合いを、一方的に罪を着せられた藍から申し込むことは認められない。


「しかし、大神殿の祭主からたまわった件がある。

 『藍は、火の神の依代である』と」


 藍が捕らわれた時には何の主張も認められなかった祭主だが、その後、手段を尽くして正式に異議申し立てをしてくれたらしい。


 ――火の神の依代である藍を、ないがしろにしてはならない。


 神職の頂点である大神殿の祭主からの言葉とあっては、いかにこの国で一番の決定権を持つ二人の皇にも聞き流すことは出来ない。


「それに、風の神からの口添えもある」


 藍がチノから預かった書簡は、今、弟皇の手の中にあった。

 大神殿で藍が預けたものを、祭主が申し入れと共に送ってくれたのだ。


「そんな他国の者の言い分を受け入れるのですか?」


 声を震わせる兄皇后に、弟皇が冷たい視線を向ける。


「貴女がそれを言うのか」


 真っ青だった兄皇后の顔に、一瞬にして血が上った。

 兄皇が弟皇を睨む。


「それ以上言えば、おまえとて許さんぞ。彼女は私の妻だ」

「……失敬」


 そこは流石に一国の長たるところで、兄皇は冷静さを取り戻し、逸れ掛けていた話を戻すべく居住まいを正した。


「宛よ。おまえは藍との決闘にて、己の正しさを証明出来るか?」

「……はい」


 固い声で宛が答える。


「父上。母上。それに、叔父上も。どうか見守っていて下さい。

 僕は、必ず芻の無念を晴らして見せます」


 兄皇が神妙に頷き、兄皇后は夫にしがみ付く。


「『勝利は常に正しい者の上に』」

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