第四話 弟皇子(二)


 皓皓コウコウの家を丸ごと納めてもまだ余裕がありそうな広さの部屋で、触れるのさえ躊躇ためらうような上等な着物を渡された。

 とても身の丈に合った衣装ではないが、皇子の宮を見すぼらしい格好で歩くな、という意味でもあるのだろうから、仕方なく着替えることにする。

 贅沢に布地を重ねた着物は、見た目よりずっと軽かった。


 着替えを終えると、再び廊下を先導され、更に大きな部屋へと通された。

 宮は複雑な造りで、あちらの部屋からこちらの部屋へ移動するだけで迷子になりそうだ。

 部屋には既にエンランが揃っており、裕に十人は就けそうな円卓に就いている。


「似合っているじゃないか」


 着物に着られた皓皓を見て、宛が言った。

 似合っているはずがないだろう。

 社交辞令にも聞こえない口ぶりが、余計に居心地が悪い。


 一つ余った席を勧められ、皓皓がおずおずと椅子に腰掛けると、


「改めて、皓皓、君を歓迎するよ」


 と盃が掲げられた。

 所狭しと円卓に並んだ皿から、かぐわしい湯気が立ち上る。

 見たこともない高級食材がふんだんに使われた、豪勢な料理ばかり。どれも彩り良く盛り付けられている。

 皇族の人たちは、いつもこんな食事をしているのか。


 食事の間中、宛は皓皓の身の上ついて、あれこれ好奇心旺盛に尋ねてきた。

 皓皓にとって皇族の暮らしがそうであるように、皇子にとっては庶民の暮らしが物珍しいようだ。


「それじゃぁ、君はご両親がなくなってからずっと、山の中で一人暮らしをしているのかい? 大変だろう?」

「里に降りる時は、少し。でも、薬草を集めるには山の方が都合がいいですから」

「なるほど、山は草木の育ちがいいからな。この辺りも、皇都おうとよりずっと自然が豊かだ」


 宛は時折こうして、従弟いとこの藍に会うため、遥々皇都からやって来るのだそうだ。

 今回、たまたまその時期が大市と重なったため、気まぐれで里に降りてみたらしい。


 宛の質問に受け答えしながら、横目で藍の様子を窺う。

 彼は一口二口料理に手を付けただけで、早々に箸を置いていた。宛と皓皓の会話については、参加するどころか、耳に入っているのかどうかさえ疑わしい。


 皓皓は皓皓で、緊張のあまり箸が進まず、こんなことでもなければ絶対に食べられない折角の料理だというのに、ろくに味わうことも出来なかった。


「さて、と」


 食事を終え――と言っても、まともに食べていたのは宛だけだったが――宛から皓皓への質問責めも、一通り落ち着いたところで。


「なぁ、皓皓。君、藍のついの相手になる気はないかい?」


 今までの世間話の続きのように、何気ない調子で、宛が言った。


「は?」


 言われた意味がわからず、皇子に対し、思わず失礼な反応をしてしまう。

 これまで我関せずを貫いてきた藍も、流石にこれは聞き流さなかった。


「何を言っている?」

「君も、彼も、互いに片羽かたはねだろう? なら二人で対になれば丁度良い」

「丁度良いって、おまえ……」

「対とは、なろうとしてなるものではないでしょう?」


 生涯を共にすると誓った二人を『つがい』と呼ぶことはある。

結婚によって結ばれる「夫婦」ともまた別に、男女の別なく交わされる、心の絆として。

 だが、『対』とはその『番』とも全く違った概念だ。

 あくまで対は共に生まれた双子のことで、後天的に、誰かの意思によってなれるようなものではない。義兄弟の契りを結ぼうが、血と魂を分けた対にはなりえない。

 だから、皓皓や藍のような片羽が存在する。

 生まれた時に片割を持たなかった子供は、生涯一人のままだ。


「勿論わかっている。だから、僕が言いたいのは、皓皓、君に『藍の片割のふりをしてほしい』ということさ」


 言い直されたところで、理解は出来ない。

 藍が何か言おうとするのを制して、宛はまだ中身が残る盃を円卓に置いた。


「真面目な話だよ」


 それまでずっと浮かべていた、冗談めかした笑みを引っ込めて、語り始める。


「ご覧の通り、藍は片羽だというだけでこんな辺境の宮に、まるで隠されるようにして生きている。皇子であり、人生これからの若者なのに、だ」


 藍が目を伏せた。

 隠居には早過ぎる歳の彼が、こんな人気(ひとけ)の無い山奥の宮で、他から隔離されて暮らしている理由など、一つしかない。


 片羽が、忌子いみこだからだ。


「藍は優秀な人間だ。頭も良い。今だって、こんな所に閉じ込められていながら、僕の皇子としての責務を手伝ってくれている。

 その手腕を裏方だけで燻らせておくのは、国にとっても不利益だ。僕は、藍に表舞台に立ってもらいたいんだよ」

「今更だ。俺はこのままで構わない」

「僕が嫌なんだ」


 突っぱねようとする藍に、宛が言い切る。


「それに、スウだって」


 その名前を聞いて、藍は言葉を詰まらせたようだった。

 聞き覚えのある名前に記憶を巡らせ、皓皓はそれが兄皇けいおうの第一皇女のことであると思い出した。

 宛の対の片割。よく似た双子だと聞く。


「芻のためにも、皆に君の存在を認めさせなければならない」


 それはきっと、二人の間で、今まで何度も繰り返してきたやり取りなのだろう。

 丁度、皓皓が栄小母エイおば鷺学ロガクから「山を降りろ」と言われ、断り続けてきたように。


「僕は片羽を差別すること自体、馬鹿げた話だと思っている。藍には今のままでも、堂々としかるべき地位に就く権利がある。

 だが、陋習ろうしゅうに囚われた連中は、どうしたってそれを納得しないだろう。だから、穿うがった見方しか出来ない世間を黙らせるために、藍にも対になる相手がいると思わせたい。

 片羽だから、という偏見がない状態で藍の実力を認めさせ、その上で事実を公表する。一度認めさせてしまえば、その評価はくつがえせなくなるだろう?」


 宛の考えは崇高で、理想的だった。

 だが、その企みは周到なようでいて、実は穴だらけだ。


「そんな嘘、まかり通るわけがないですよ!」


 相手が皇子だということも忘れ、大きな声を出していた。


「だって、藍様は今までずっと、片羽として扱われてきたのでしょう? 突然、対の相手が現れて、誰がそれを信じるんです?」

「不幸中の幸いか、藍が片羽であることを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。

 民間では『病弱な弟皇子は、療養のため表に出られない』ということになっているのだろう? それならそのままそういうことにして、元気になった二人の皇子として世間に公表してしまえばいい」

「そうだとしても……だからと言って、双子の片割れを演じる相手として、どうして僕はなんですか? 貴族でもなんでもない、ただの一庶民なのに」


 仮に宛の計画を実行するとしても、その役にふさわしい人間は他にいる。

 皇族や貴族からは縁遠い皓皓には、皇子としての立ち振る舞いが出来るわけがない。   

 それに、藍と皓皓とでは背格好も違い過ぎた。


「外見が似ていない対なんていくらでもいるさ。君しかいないんだ」

「何故?」


「君が、片羽だからだよ」


 ようやく、宛がかたくなに自分を推すわけを、理解した。


 誰かの対として生きてきた人間では駄目なのだ。

 藍と同じように、元々片割がいない誰かでなければ、その役は勤まらない。


 対の相手を持たない人間は、ただでさえ僅少の存在だ。

 その上、藍と双子だという嘘を押し通せるくらいに歳が近い人間となれば、今、この国には皓皓しかいないかもしれない。

 納得が訪れると同時に、底知れぬ恐怖が足元から這い上がってくる。


「僕をここへ連れて来たのは、初めからそれが目的ですか?」


 皓皓が片羽とあると知った時から、宛はこれを考えていたのか?


「お詫びがしたかったのは本当さ」


 悪びれるところのない態度に、頭が痛くなってくる。

 何が何でも、車輿しゃよに乗るのを固辞するべきだった。

 皓皓は、こんな所へ来きてはいけなかったのだ。


「もういいだろう」


 いつまでも噛み合いそうにない話題に終止符を打ったのは、論点のもう一人の中心である藍だった。


「現実味のない話を、真摯に聞いてやる必要はない」

「ひどいな。真面目に考えて言っているのに」

「そもそも、その悪巧みには大きな欠陥があるだろうが」


 藍が冷めた視線を宛に向ける。


「例え偽りの対になったところで、俺は鳥に変化出来ない。そんな嘘、一瞬でばれてお終いだ」

「変化が出来ない?」


 皓皓の丸くなった目と、藍の見張られた目が交わる。

 それだけで、お互いに理解した。


「……おまえは、違うのか?」

(ああ、そうか)


 一人で抱えるには大き過ぎる力を、神は二つに分けて人に授けるのだと言う。

 力を分け合う相手を持たない藍には、神の力そのものが与えられなかった。

 だが、皓皓は違う。片割こそ持たないものの、皓皓は神の力を――その半分を、授かっている。

 対の相手でなくとも、鳳凰之国の民同士であれば、魂は重ねられる。皓皓も誰かと組めば、鳥の姿になることが出来るのだ。


 それが、皓皓と藍の大きな違い。


「なんだ」


 それを聞いた藍が嘲笑う。


「おまえは片羽ですらないじゃないか」


 嘲笑う? 誰を? 皓皓を? それとも、自分を?


「結局、本物の忌子は俺だけだ、ということだな」


 席を立った藍が、振り返り様、暗い目で皓皓を一瞥する。


「皇子様ごっこが出来るかと、少しは期待したか? 残念だったな」


 吐き捨てて、藍は部屋を出て行ってしまった。


「すまないね。少しばかり、口が汚いんだ。悪いやつではないんだけれど」


 苦笑いで従弟の弁護をする宛に、皓皓は「いいえ」と、緩く首を振った。

 これ以上話を続けたいような空気ではないことは、いくら自由な皇子でも察せられたのだろう。宛が「おひらきにしよう」と言った。


「突然こんな話をして悪かったね。でも、僕は本気だよ。だから君にも、本気で考えてみてほしい」


 頷くことは出来なかった。

 一人広い食卓の前に残され、瞑目したまま天井を仰ぐ。


 藍に投げ付けられた言葉は、心にもない、全くの見当外れなものであった。

 それなのに、何故だかひどく悔しかった。

 言い返せなかったことが? それとも、そんな浅ましい人間に見られたことが?

 宛の奔放さにも参ったものだが、藍というあの皇子のことは、それ以上に好きになれそうにない。


(一生食うに困らない贅沢暮らしが出来るとしたって、皇子様になんてなるもんか)


 片田舎のしがない薬屋という立場を、これほど愛しく思ったことはない。

 無性に寂しなって、早く自分の粗末な山小屋に帰りたかった。


(ああ、僕は寂しいのか)


 皓皓はようやく、自分が期待を抱いていたのだと理解する。

 初めて出会う、自分以外の片羽に。

 その期待は、儚くも打ち砕かれた。

 藍は自分とはまるで違う人間であり、自分は一人なのだと、改めて思い知らされただけだった。

 それが、無性に寂しかった。

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