第三十一話 皇都
――おまえさんの国で、もっとも神に近い場所を訪ねてみるといい。
風の神の言葉を受け、
北の国境からは、まだまだ長い道のりだ。
「僕が二人を乗せて飛べたらよかったんですけれど」
「いやいや。大の男二人が嬢ちゃんにおぶわれるわけにいかんだろう」
以前、彼女に背負われて宮を逃げ出した藍には、耳の痛い話だった。
皓皓の肩の傷は
だからと言って、二人の人間を担いで長距離を飛ぶなど、彼女でなくても無理な話だ。
「地道に歩いて行こう。何、街道沿いを行けば、途中途中で駅馬車も使えるだろう」
今度は藍が
もし藍が馬を乗りこなせたならば、駅馬車などを使うまでもなく先を急げたのだ。
だが、
「相性というものがあるからな。仕方ない」
チノの愛馬も、皓皓には懐いているのに、藍には一切近付こうともしない。
藍は馬に好かれない気質の人間らしかった。
三人は歩き続け、時には駅馬車を使い、時には商人たちが引く荷車に乗せてもらったるりしながら、ついに皇都に辿り着いた時には、一年のうちで最も夜が長い時期になっていた。
「ここが鳳凰之国の皇都なのか……すごいな。人がいっぱいだ」
街を歩きながら、皓皓が物珍し気に辺りを見回している。
国境を越えてすぐ、一人で彼女の里を訪ねて以来、皓皓はいくらか意気消沈していた。
聞けば、幼馴染と決別してきたと言う。
二人で
それを聞いて、藍は歯痒い気持ちになった。
皓皓は、ただ藍と宛たちの因縁に巻き込まれただけだ。
故郷を、そこで彼女を必要としている人たちを捨ててまで、藍に付き合う必要は、本来ない。
それでも、皓皓は言ってくれた。
「僕は藍と一緒に行きたい。藍の力になりたい。僕が、そうしたいんだ」
そう言われてしまっては、もうそれ以上「付いて来るな」「里に残れ」と言うことは出来なかった。
そこまでしてくれる彼女に対して、藍は何も返せていない。それが歯痒い。
だからと言うわけではないが、皇都の賑わいにつられ、少しばかり元気を取り戻した様子の皓皓に、ほっとしたのかもしれなかった。
「ねぇ、あちこちに
「いや、いつもではない」
藍にとっても久し振り、六歳の頃以来、実に十年ぶりの皇都だ。
あれから街の風習ががらりと変わったのでない限り、他の地域と同じく皇都でも、 皇族貴族以外が
「あれは『
鳳凰之国では、冬は火の神の力が最も弱まる季節だと言われている。
日が短くなるにつれて神の
冬至祭とは、沈黙した神が再び無事に力を取り戻せるよう祈りを捧げ、人々が厳しい冬を乗り越えられるよう願う祭だ。
真意としては、何かと我慢を
春までの月日を数えて食料や燃料を節約する人々も、この日ばかりは少しばかり気を緩め、食卓に御馳走を並べるのだ。
「皇都の冬至祭はこんなに大々的なの?」
「おまえの所では違ったのか?」
「僕の家では、精々、いつもより少しだけ夕飯が豪華になって……
他は、里の社に蠟燭を捧げに行くくらいだったよ」
「ああ、蝋燭か。それは、皇都でも同じだ」
神への
それはどの季節の祭でも、鳳凰之国であるならばどの地域でも、同じ習慣の筈だ。
とくに信心深い民は大神殿に参拝する。遥々遠方からそのためだけにやってくる者も少なくない。
「街が賑わっているのは、そのせいもあるだろう」
人も物も動きが鈍くなるこの季節、これだけ多くの人間が皇都に集まっているのは、
「なるほど。つまり今の時分、大神殿には多くの人が集まっているということだな。
チノの言う通り。
だが、人が多いということは、反面、藍たちを探している人間たちに出くわす可能性も高まるということだ。
表向きがどういうことになっているかに関わらず、水面下で、
そして、もう一つ。
「最後まで見届けられないのは気掛かりだが、わしは一緒に行ってやれんのでな」
チノの言葉に、皓皓が表情を曇らせた。
そう。大神殿は観光客の受け入れと布教のため開放されている一部を除き、鳳凰之国以外の民の立ち入りを禁止しているのだ。
火の神を
「そうでなくとも、わしのような
とくに、火の神さんは排他的故、うっかりお邪魔しようものなら天罰を貰いかねん」
ということで、チノとは、大神殿の前で別れる手筈になっている。
それは此処までの道中に三人で話し合い、互いに納得して決めたことだった。
これ以上、他国の民である彼を巻き込むわけにはいかない。
口には出さなかったが、藍がそう思っていることを、チノは気付いていただろう。
「この国のことは、最終的に、この国の民が決めるべきだ」
至極もっともな言葉に、藍も皓皓も神妙な心地で頷いた。
いよいよその時がやって来た。
大神殿の周りには、皇都に住む人々、遠方から訪れた熱心な信者、物見遊山で立ち寄った他国の民たちでごった返している。
鳳凰之国らしい着物に着替えた藍と皓皓が狼狽之国の民であるチノと共にいても、誰も気に掛けたりはしなかった。
「そんな顔をしなさんな」
チノは困ったように眉尻を下げ、泣き出しそうに顔を歪める皓皓の頭に手を置いた。
「きっと上手くいく。側にはおれんが、見守っておるよ」
「また会えますよね?」
「勿論だとも。全て片付いたら、風に便りを乗せてくれ。いつでも飛んで来るよ。
まぁ、わしはおまえさんらのように、空を飛べはしないがな」
チノの面白くもない冗談に、皓皓は無理矢理に笑って見せた。
それから、チノは藍に向かって、筒状に丸めた書簡を差し出してくる。
「役に立つかはわからんが、一応、持って行くといい」
「これは?」
「風の神の依代からの口添えだ。此処の者たちがまだ神の依代の存在を忘れておらんかったなら、意味を理解出来る筈だ」
「……恩に着る」
藍は書簡を受け取ると、思い直して言葉を改めた。
「ありがとう、チノ」
チノが目を
「どうした? 急にそんな、神妙に」
「本当に、何から何まで世話になった。貴方がいなければ、俺たちはすぐに立ち行かなくなっていただろう」
「構うことはない。全ては風の導きだ」
「それでも……ありがとう」
心からの感謝を込めて、藍は頭を下げた。
「うむ。こちらこそ、だな。おまえさんたちのお陰で楽しかったよ。健闘を祈る」
差し出されたチノの拳に、自分の拳をぶつける。
ナルス一家の元に身を寄せていた間に教わった、狼狽之国流の挨拶だ。
チノに見送られながら、藍と皓皓は大神殿の中へと向かう人々の列に加わった。
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