第三十二話 大神殿


 建物の中へと入った途端。

 意匠のらされた内装に、一瞬、皓皓コウコウは目的を忘れて見惚れてしまった。


 はりにはつたと雲の彫刻。

 窓には幾何学模様きかがくもようの透かし彫り。

 壁に下げられたとばりには鷹、孔雀、鶴など様々な鳥が、繊細な刺繍で描かれている。

 芸術品の貯蔵庫のような部屋の中央にが置かれ、清めの火が燃えていた。


 狼狽之国ろうばいのくにも、皇都おうとも、大神殿も、こんなことにならなければ訪れる機会のなかった場所で、しかしなのか、だからこそなのか、こんな形でなく来られたら良かったのに、と矛盾した思いを抱いてしまう。


 参拝者たちは各々に蝋燭を手にし、爐から火を貰って奥へと進んで行く。

 里の社で使われるのはただの白い蝋燭だったが、此処で配られている物には側面に牡丹ぼたんの花が描かれていた。

 溶けて消えてしまうのが勿体無いくらいの、凝った装飾だ。


 隣を見ると、藍がぼうっとした様子で爐の中で燃え盛る火に見入っている。


「大丈夫?」


 尋ねるとはっと我に返り、


「なんでもない」


 と、蝋燭に火を受けた。

 流石の藍も、神殿の荘厳な空気に気圧されたのか。

 それとも緊張しているのだろうか。


 参拝経路は上へと上へと伸びており、上るにつれ窓の数が減っていく。

 徐々に外からの光が閉ざされ、蝋燭の灯りだけが頼りになってくる。

 位置的には空に近付いているはずなのに、どんどんと陽の光から遠ざかっていく。

 天地が逆さになってしまったような倒錯的な感覚が、神秘性をあおる構造になっていた。


 銀の土台に辰砂しんしゃを散りばめた鳳凰の象。

 香木こうぼくを投げ込めるように置かれた火鉢。

 神の御告げを受けてこの国をおこしたと言われる最初のおうと、この神殿のいしずえを作ったと言われる彼のつい祭主さいしゅ、伝説の人二人の姿絵。


 祈りを捧げる対象は至る所にあり、参拝者たちはいちいち足を止めて頭を下げる。

 彼らにいぶかしまれない程度の礼を取りながら、二人たちはひたすら上を目指した。


 そして、参拝経路の終着点。最上階はたった一部屋。

 礼拝堂には、思わず足がすくんでしまう程、神秘的な光景が広がっていた。


 ずらりと並ぶ背の低い棚。その上に無数の燭台しょくだいそなえられている。

 陽の光が完全に遮断された部屋で、淡く儚い灯だけがぼんやりと輝いていた。

 参拝者たちが運んで来た蝋燭は、此処に捧げられるのだ。

 小さく短くなった蝋燭たちがあちこちで燃え尽きて、消えた一つと入れ替わりに、また新たな火が宿る。


 そして、蝋燭を供え終わった参拝者は天井を仰ぎ見て、誰もがほぅ、と息を漏らす。

 其処には「これこそがまさに神の姿」と言わんばかりの、見事な鳳凰の姿絵が描かれていた。

 細かく砕いた宝石で彩られた絵が、蝋燭の火を映してきらきらと輝いている。

 なるほど、蝋燭の火が多ければ多い程、つまり、参拝客が多い程、美しく見える仕組みになっているのだ。


 皆が上を仰いで嘆息たんそくしているうちに、藍が皓皓の袖を引いた。

 手の中の蝋燭を持ったまま、二人はそろりそろりと壁際に移動する。

 部屋の最奥の壁には両開きの扉があり、かんぬき代わりに張られた太く赤い綱が、部外者の侵入を拒んでいた。


「此処?」


 藍が微かに頷く。


 此処は最上階。参拝経路の終着点。だが、神殿自体はこの扉の先にまだ続いている。

 二人が目指す場所はその先にあった。


 扉に掛けられた綱の結び目は固く、ちょっとやそっとでは解けそうにない。


「どけ」


 藍が囁いて皓皓を押し退けた。

 着物の袖から小刀を取り出して、その刃を綱に押し当てる。


 ぎっ、と扉がきしんだ音を上げ、二人は息を呑んだ。


「何をしているのです!」


 監視に立っていた神官の男がすぐさま気付き、急ぎ足で駆け付けて来る。


「そこは立ち入り禁止の神域ですよ。扉に触れてはいけません。

 ……今、何を隠したのですか?」


 藍が両手を背中に回したのを目敏めざととがめ、神官の男が問い詰めた。

 ここで騒ぎを起こしたくはないが、神殿の器物を傷付けようとしていた事実はくつがえせず、言い逃れのしようがない。


「こちらへ来なさい」


 神官が藍の腕を掴む。


(どうしよう)


 額にじとりと汗が浮かんだ。隣の藍からも同じ焦りを感じる。


 他の参拝客の目があるこの場でこれ以上の騒ぎを起こすのは、二人にとっても懸命なことではない。

 藍と皓皓は大人しく神官の後に従い、礼拝堂を出た。


 連れて来られたのは、他の部屋とは打って変わって質素な一部屋。

 どうやら神官たちが待機し、事務的な作業を行う為の場所のようで、机や棚の調度品も、飾り気のない実用的な物のみが置かれている。


「祭主様! この者たちが……」

「大きな声を出すものではありませんよ」


 部屋に入るなり声を上げた若い神官を、部屋の奥の椅子に座って本を読んでいた老婆が、穏やかにたしなめる。

 上位の神職の装束をまとった老婆は、静かに本を閉じた。


「何事です?」

「申し訳ございません、祭主様。この者たちが神域の扉に手を掛けたものですから……」


(祭主様? この人が?)


 祭主は神職の最上位にあり、他の神官たちを導く存在だ。

 皇都の大神殿は火の神を祀る全て神殿や社を束ねる存在であるから、その祭主となると、鳳凰之国の神職にあたる者の中で、最も地位の高い人物である。

 鳳凰之国の開祖が初代の皇と祭主の対だったことからもわかるように、大神殿の祭主は兄皇けいおう弟皇ていおうに並ぶ、強大な権力者だ。


 こくり、と皓皓は喉を鳴らす。

 祭主から漂う荘厳な雰囲気は、決して威圧的でないにも関わらず、藍やエンスウたち皇族と対するのとはまた別の緊張感があった。


 祭主は神官に指さされた藍を見上げ、大きく目を見開く。


「……藍様?」


 絶体絶命だ。

 藍の正体が知られてしまっては、いよいよ逃れようがない。

 表向き国外追放された筈の藍が此処にいる理由を説明出来ない。


 一層のこと、強硬手段を取ってでも、藍だけは逃がせないだろうか?

 必至で考えを巡らせる皓皓の横で、藍が一歩前に出た。


「祭主様。お久し振りです」

「祭主様、この人は……」

「お下がりなさい」


 口を挟もうとした神官を、祭主が一蹴する。


「ですが、」

「私はこの方々と大切なお話をしなければなりません。お下がりなさい」


 あくまで柔らかくありがなら有無を言わせぬ彼女の言葉に、神官はそっと口を閉じ、一礼すると部屋を出て行った。

 扉が閉まると、改めて藍は祭主に向かって恭しく両手を合わせ、頭を下げる。


「風の神の依代に口添えを頂き、不肖、弟皇ていおうが第一皇子、藍が拝謁したします」


 藍が懐から取り出したチノの書簡を差し出すと、祭主は震える両で受け取った。


「拝見します」


 そして、開いた書面に素早く目を通し、彼女は「ああ……」と声を漏らした。


「……ずっとこの日を、お待ちしておりました」


 その目から、一筋の涙が零れ落ちる。


「おかえりなさいませ、藍弟皇子ていおうじ殿下。火の神のよりしろ代よ」

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