第二十八話 火
故郷で暮らしていた時には、山中に罠を仕掛けて兎などの動物を捕まえていたが、
タルが獲物を見付けるや否や合図を出し、マナンとウールの二人が狼の姿を
必死に逃げる鹿とのぎりぎりの攻防の末、狼がその首筋に噛み付いて足を止めさせた。
チノから借りたシロに乗って二人を追い掛けた
「残酷だと思うかい?」
人の姿に戻った二人が、狩ったばかりの獲物の血抜きをしているのを遠巻きに見ていると、タルが尋ねてくる。
皓皓は首を振った。
「無理しなくていい」
「いえ……だって僕も、肉を食べるから」
ここ数日で、皓皓は少しずつ元通り何でも食べられるようになってきたが、
マナンやウールは、それを国民性の違いによるものと思ったようだった。
皓皓たちが狼狽之国の習慣を、野蛮だと
そうではないと伝えるためにも、皓皓は自ら「狩りについて行かせてくれ」と彼らに頼んだのだった。
正直に言えば、まだ血の色を見ると
しかし、マナンとウールが一匹の獣になって獲物を捕らえる姿を目にしたことで、はっきりとわかった。
彼らが食うために動物を
事切れた鹿に真摯に祈りを捧げる彼らに、皓皓も
やはり、どうあっても皓皓には宛のしたことが許せない。許したくない。
怒りの火は、いくら異国の風に吹かれても消えることなく、皓皓の胸の内にある。
皓皓がマナンやウール、タルたちと共に狩りから戻ると、いつになく威勢良く焚き火が燃えていた。
「おお、これは都合がいい」
今日は大きな鹿を射止めた。肉の塊を焼くのにはいい火加減だ。
焚き火の番をしているのが藍がだと気付き、皓皓は慌てて駆け寄った。
鹿の解体現場など目にしたら、また具合を悪くしてしまうかもしれない、と心配したのだ。
だが、炎に照らされた藍の顔を見て、皓皓は立ち
「皓皓」
今朝までの彼とは、まるで様子が違う。
出会ってすぐの頃の刺々しい雰囲気ともまた異なる、冷静ながら、その下に
「話がある」
「う、うん。何?」
力強い声に、安堵より先に戸惑いが立って、皓皓は藍との間に数歩を残したまま立ち止まる。
「俺は、
「え?」
あまりにも突然の宣言だった。
「どうして、急に、そんな……」
皓皓が狩りに出ていた数刻の間に、藍に何があったと言うのか。
藍の心境の変化についていけず、皓皓はおろおろしてしまう。
国に戻れば、また宛に命を狙われるのが明白だ。
せめてもう少し
藍の心の傷だって、まだ癒えきってはいないだろうに。
皓皓をまっすぐ見詰める目の奥に、炎が
そんな藍の瞳の色が、皓皓はとても好きだ。
「俺は、自分の国を救うことにする」
何がきっかけで決めたのかは知らない。
だが、藍はずっと、そのつもりだった。
芻を失い、国を追われ、絶望に膝を付き、失意に塞ぎ込んでいた間も。
もっと前、紅榴山の宮で、独り閉じ込められるように暮らしていた頃から。
ずっとずっと、藍は鳳凰之国を救おうとしていた。
それを、皓皓は知っている。
「うん。そうか。そうか……そうだよね」
理解する。同時に、納得もした。
「わかった。それならすぐにでも準備を……」
「俺は行くが、おまえは残れ」
言い切る前に、藍が皓皓の言葉を遮った。
「どうして!」
「おまえは此処でも上手くやっていけるだろう。
藍の頰を思いっきり叩いたのは、ほとんど反射的な行動だった。
ぱんっ、と乾いた音が響いて、藍が目を大きく見開く。
「ふざけるなよっ!」
「おまえ……」
「そんなの絶対許さない! 一緒に行く。当たり前だ!」
「……どうして、そこまで?」
「どうして?」
藍の力になりたい。
何度もそう言っているのに、今更そんなことを尋ねてくる方に、どうして? と問い詰めたい。
このままこの国で、マナンやウール、タルやハワルたちと一緒に暮らしていくことを考えなかったわけではない。
馬に乗って大地を駆け、風になる心地良さに夢を見もした。
しかし、皓皓が思い描いたその夢の中には、藍がいた。
藍が行くのに、自分だけ残ることに意味はない。
鳳凰之国を救いたい。
まだ藍がそう願えるのならば、その力になるのが皓皓の願いだ。
それに、つい先程、思い知ったばかりなのだ。
「僕も、火の神の民だ」
罪を犯したまま
皓皓は、きっと待っていた。
藍がそう言ってくれるこの時を。
藍がそっと、皓皓から視線を外した。
「……馬鹿な奴だ」
「今更だよ」
その夜、旅立ちを決めた二人のために、皆が盛大な祝いの席を設けてくれた。
「まったく、忙しない奴らだな。来たと思ったらもう行くのかい」
「もうすぐ本格的に冬になるよ? 春になるまで待ったら?」
マナンとニルはまだ心配そうにしながら、
「彼らには彼らのやるべきことがあるんだ」
ナルスに
ウールが焼いてくれた鹿の肉を、藍は拒まず受け取った。
「ありがとう」
「危険なんだろう?」
「……ああ」
「武運を祈る」
「くれぐても、気を付けてね」
サラーナが皓皓の両手を握る。
皓皓たちの出立を聞いてから、ハワルはずっとぐずっていた。
おまけに、二人の案内役としてチノまで一緒に行くと言い出したものだから、一気に寂しくなってしまったのだろう。
それぞれに別れを惜しむ者たちを、ウル婆が穏やかに眺めている。
「皓皓」
夜も深まり、宴も
「タル」
此処にいる間、一番親しくなった相手である。
彼らに相談もなく、二人きりでこれからを決めてしまったことに、少しばかりの後ろめたさを感じた。
そんな皓皓の気まずさを拭うように、タルは微笑んだ。
「これを持って行くといい」
そう言ってタルが差し出してきたのは、狩りの時にも借りた弓と矢だった。
「いいの?」
「勿論。旅には危険が付き物だから、自衛しないと。
それと、これはそっちの兄さんに」
まさか自分にも水を向けられるとは思っていなかった様子の藍が、渡された細身の剣に驚いた顔をする。
「自衛用だ」
鞘から引き出された銀色の刃に、焚火の揺らめきが映る。
それを見詰めて、藍が何を思ったか、皓皓には理解できた。
その
「……感謝する」
藍は静かにそう言った。
皓皓と藍にとって、異国での最後の夜が、更けていく。
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