第二十七話 風の神(二)


「……まったく、鳥の所の人間ときたら、どうにも頭が固い奴ばかりでいかんのう」


 くつくつと笑いながら目を開けたチノは、一見、何も変わらない。

 一瞬、チノがふざけているのかと思った。


「そう睨むでない、羽を持つ友人よ。

 それとも、鳳凰之国ほうおうのくに弟皇子ていおうじ様とお呼びしてひざまずくべきかな?」


 その声の奥に、先程までは聞こえていなかった音が重なった。

 風の音。

 そして、獣の、唸り声。


「『風の神』、なのか?」

「いかにも」


 チノの体に宿った風の神は頷き、面白がるように藍を観察する。


 まさか、自国の神の恩恵にも預かれなかった片羽が、他国の神と対峙することになるとは。

 それも、こんなに簡単に。


「貴方に教えてほしいことがある」

「何だ?」

「今、俺たちの……鳳凰之国が乱れているのは知っているか? 熱病が流行り、不作が続いている」

「ああ。そちらから流れてくる風が淀んでいるからな」

「それは、どうすれば改まるんだ?」


 風の神は突然、地面にどかりを腰を下ろしたかと思うと、組んだ足に頬杖を付いた。


「神に教えを請う立場の者として、口の利き方がなっとらんな」

「……失礼、致しました」


 ランがしおらしく頭を下げると、風の神は吹き出した。


「よいよい。麒麟の所の嫌味ったらしく慇懃な態度より、その方がずっと好ましい」


 揶揄からかわれていただけらしい。

 チノのあの性格は、この神によるところが大きいのではないだろうか?

 咳払いを一つして、藍は話を戻す。


「チノ――貴方の依代よりしろは、死者の魂がかえらないことで火の神の力が弱まっていると言っていた。

 ならば遺体のほうむり方を土葬から火葬に戻し、魂が空へ昇るようにすれば、神の力は戻り、国の乱れは治るのだろうか?」

「理屈から言えばその通り。しかし、問題は、それをどうやって適えるか、だろう」


 藍は言葉を失う。

 火葬の文化を土葬に変え、他にも様々な文化を麒麟之国きりんのくに流に改めているのは、兄皇けいおう兄皇后けいこうごうだ。

 誰がそれに意を唱え、国をあるべき姿に戻すことが出来るというのか。

 例えば藍が進言したところで、兄皇は受け入れないだろう。

 例え、スウを殺めた疑いで追われている、今でなくとも。

 兄皇は麒麟之国の富に焦がれている。それ故にかの国から皇后を迎え入れ、彼女の助言を盲信した。

 藍の父である弟皇ていおうは、急激過ぎる変革をそれとなくいさめていたようだが、聞き入られはしなかった。

 片割かたわれの言葉にさえ変えられなかった、兄皇の気を変えさせる。

 そんなことが出来るのは、それこそ、もう神くらいしか――


「そう。だからこそ、依代が必要なのだ」

「それが俺だと、どうして言い切れる?」


 藍は今まで火の神に出会ったことがないし、その力を感じたこともない。

 神殿にもうでたのも紅榴山こうりゅうさん》の宮に移る前、母が亡くなった際のとむらいで、が最後だ。

 以来、神に祈りを捧げたことさえない。


「おまえさんは間違いなく火の神の依代だ。一人で生まれたのならば間違いない。

鳥のが何故、今に至るまで自分の依代の前に姿を見せんのかはわからんが……

 あるいは、向こうから出向けないほど、力が弱まっているのかもしれん」


 もしも風の神の言う通りであるならば、事態は藍が考えているより、深刻なのかもしれない。

 自国の危機を感じて、背筋がぞっとした。


「おまえさんに理不尽な思いをさせた国を、それでもおまえさんは救いたいか?」


 風の神が問い掛けてくる。

 心を見透かされたような気がした。


 乱れた国をどうにかしたくて、エンから送られてくる資料を掻き集め、熱病についての研究を重ねていた。

 皓皓の里の診療所で見た光景を思う。病で苦しむ民を見過ごせない。

 だが、いざ本当に国を救いたいのか? と問われると、言葉が、息が詰まる。


 陋習ろうしゅうに囚われて我が子を鳥籠に閉じ込めた父。

 自国の正しい在り方を見失い、目先の富を追い求め過ぎたために、道を誤りつつある伯父。

 力を得る。ただそれだけのために、かけがえのない片割を殺めた従兄いとこ

 力を与えてくれず、代わりに負うべき役割さえ、自分に教えてくれなかった神。

 彼らの国を、救いたいか?


「よく考えてみるといい。もし、それでもおまえさんが鳥のを助けてくれるというのであれば……

 おまえさんの国で、もっとも神に近い場所を尋ねてみるといい」


 ――向こうから姿を見せないならば、こちらから尋ねて行ってしまえ。


 それを最後に、風の神は瞼を閉じた。

 そして次に目を開けた時、其処にいたのはチノだった。


「やれやれ。うちの神さんはお節介焼きだな」


 チノがチノのままで笑った。

 『風の神』はまた大気に遊び、何処かへ行ってしまったらしい。


「これは、風の神にではなく、同じ、ついの片割を持たないおまえに聞きたいんだが、」

「なんなりと」

「おまえは、どうやって自分の運命を受け入れた?」


 藍はまだ受け入れられない。

 片羽としての理不尽も、依代としての責任も。

 チノは肩をすくめた。


「さぁな」

「真面目に答えろ」

「茶化しているわけじゃぁない。わし自身、いつ、何故、覚悟が決まったのか、ようわからんのだよ。

 もしかしたら、まだそんなものは決まっておらんのかもしれん」


 チノが空を仰ぐ。

 嘘のように真っ青な空は、鳳凰之国で見上げるより遠いもののように思えた。


「わしも、おまえさんよりは歳をくっている。面白くないことはそれなりにあった。

 ただなぁ、風に吹かれて流れ流れているうち、なんとなく、どうでもよくなってしまったのだよ。ある種の諦めだな」

「諦めろ、と?」


 今まで受けてきた理不尽を?

 片羽かたはねであるだけで忌子いみこと呼ばれ、籠に閉じ込められたことや、幼くして母を亡くしたこと。

 エンが、芻を殺めたこと。

 それら全てを、受け入れて諦めろと?


「そうは言わん。いや、おまえさんが風の民だったなら言ったかもしれんが……

 おまえさんは火の神の依代だ。風は気ままに流れるものだが、火は違うだろう?

 火は――燃え上がるものだ」


 ――君は宛様の罪を憎まなくちゃいけない。

 

 突然、皓皓コウコウの言葉が蘇った。

 その真意が、今やっとわかった気がする。


 そうだ。

 本当は、自分はずっと。


(怒っていたんだ)


 自らが受けた理不尽な仕打ちを。

 宛が犯した罪を。


 火の神は裁きの神だ。

 人々が過ちを犯せば天罰を下す。

 日照り、火山の噴火、落雷。

 鳳凰之国の災害は時に無慈悲なまでに荒々しく、それは愚かな人間に神が怒っているからだと言われた。

 それ故に、火の神は「怒りの神」とも称される。

 藍が火の神の依り代であるというのなら、藍も怒るべきなのだ。


(そうだ)


 藍は心の底から、ふつふつと湧き上がる熱を感じる。

 それは、国を出て以来――いや、もしかしたら、あの鳥籠の宮に閉じ込められてからずっと、冷たく死んでいた心臓が、息を吹き返す兆しだった。


 拳を握り、決意を固める。


 理不尽を怒り、間違いを燃やし尽くそう。

 燃え盛る炎のように。

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