片羽の鳳凰は青藍の空を恋う

相原罫


 宵闇よいやみに涼やかな胡琴こきんの音が響く。

 とばりを上げてねやに入ると、しとねに体を起こした女が弓を弾いていた。


「寝ていなければ駄目だと、医師に言われたのであろう?」


 とがめられた彼女は小さく微笑んだ。


「少しでも多くこの子に聞いておいて欲しくて。

 私にはこれくらいしか、教えてあげられるものがありませんから」


 白く細い手が幼子おさなごの黒髪を撫でる。

 まだ柔らかい髪に結ばれた赤い飾り紐は、その子がまだはらの中にいるうちに、彼女が編み上げた物だ。


「可哀想に。泣き疲れて眠ってしまいました」


 我が子を愛おしげにあやす彼女自身泣きそうな顔をしていて、居た堪れなさに手を伸ばす。

 触れた頰は、数年前に比べて随分やつれてしまった。


「まだ熱があるではないか」

「ええ。だからあまりお近付きにならないでください。うつしてしまったら困ります。この子にもそう言っているのですが、聞かなくて」


 幼子は眠りの中にありながら、母の手をぎゅっと握って離さない。

 我が子を見詰めて込み上げてくる感情は、何度改めたところで、当たり前の親のそれでしかない。

 だからこそ、決めたことを口にするのが苦しかった。


「……この子が七つの歳を迎えたら、神の御許みもとに仕えさせようと思う」

「それは、」


 顔を青くして腰を浮かせた彼女をなだめる。


鬼籍きせきに入れようという話ではない。大神殿だいしんでんに預け、神職に就かせるということだ」


 彼女は推し量るようにこちらを見詰めた後、


「……それが良いのかもしれませんね」


 と囁くような声で答えた。


 本当は誰より、自分自身が良いとは思っていない提案である。

 叶うことなら、彼女も、我が子も、この腕の中にいつまでも置いておきたい。

 そう願うのは当然ではないか。


「そうすれば、私が神の御許へ還っても、ずっと側にいられますものね」


 その時をそう遠からずのこととして語る彼女の微笑みに、堪らなくなって細い肩を抱き寄せた。


 掛け布団の上に突っ伏した幼子がむずがって声を上げたので、親たちは慌てて体を離す。

 父母の願いを知る由もなく、幼子は眠り続けていた。

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