第一話 片羽(一)

                                             

 皓皓こうこうは地上に降り立つと、注意深く辺りを見回し、誰にも見られていないことを確かめてから、羽を畳んで変化を解いた。

 鳥から人の姿に戻り、売り物の詰まった背負子しょいこを担ぎ直す。

 里までの距離はあといくらもない。ここからなら歩いてもそれほど苦にならないだろう。


 皓皓が住む山の麓の里では、春、夏、秋に一度ずつ大市が立つ。

 隣国『狼狽之国ろうばいのくに』と接するこの里は決して大きくないが、国境を越えて商いをする両国の商人たちの通り道であるため、市の日には毎度、祭りのような賑わいを見せていた。


 普段は一人、ひっそりと山奥で暮らしている皓皓も、市の日ばかりははるばる下山して、山で集めた薬草や自ら調合した薬を売り、生活に必要な物を買って帰るのだった。

 とくにこの秋の大市は、大事な書き入れ時だ。

 冬になれば行き来する人も、売り買いに出る品物もぐっと減る。今のうちから備えておかないと、一番厳しい季節をひもじく凍えて暮らさなければいけなくなる。


 そう意気込んで来たものの、皓皓が辿り着く頃には、里の大通りは先客たちの露店で埋め尽くされていた。

 早い者順で各々店を出すのが風習なので、客足の多い大通り沿いは、あっと言う間に取られてしまうのだ。今からでは、皓皓の小さな茣蓙を広げる隙間も見付からないだろう。

 賑わいは格段に落ちても、一本奥に入った脇道で妥協するかと、体の向きを変えた時だった。


「皓皓!」


 人混みの中から呼ぶ声があった。

 大きく振られる手に、頭に布を巻いて髪を纏めた、恰幅のいい女を見付ける。

 見知った相手に皓皓も手を振り返した。


栄小母エイおばさん!」

「良かった。姿が見えないから今日は来ないのかと思ったよ」

「今さっき着いたところで、店を出す場所を探していたんです」

「あらあら。だったら、ここ、使いな」


 栄小母は自分の織物屋の台の横に積んである荷物をどかして場所を空けると、腕を引いて皓皓を座らせた。


「いいんですか?」

「アンタに店を出してもらわなきゃアタシたちだって困るんだよ。ねぇ?」


 店番に座っていた彼女の夫の福小父フクおじも「そうさ」と言葉少なに頷いた。

 ありがたい気遣いに礼を述べながら、早速、茣蓙ござを広げて品物を並べ始める。


「しかし、アンタが遅刻なんて珍しいね。寝坊かい?」

「途中の吊り橋の縄が傷んでいて……馬を渡らせるのは危ないから、歩いて来たんです」

「ああ、それで。それは災難だったねぇ。後で里の男衆に修理に行かせないと」

「あんな山の上から籠を背負って来たんじゃぁ、疲れただろう。ほら、食べな」


 福小父から差し出された包みの中身は餅だった。甘い味噌に木の実を混ぜた餡を包んで焼いてある。市で馴染みの食べ物で、その辺りの出店で買ったばかりなのだろう、まだ温かく芳ばしい香りがした。


 二人の温かな気遣いに、胸がちくりと痛む。

 途中から歩いてきたのは本当でも、山の上からずっと、というわけではない。

 嘘を吐く心苦しさはありつつも、皓皓にはそれを隠さなければならない事情があった。


「ねぇ、皓皓。やっぱりアンタ、里で暮らした方がいいんじゃないかい?

 あんな山の中何かと不便だし、それこそ吊り橋が落ちでもしたら、どうにもならないんだから」


 口の中の餅を飲み込んで、皓皓は曖昧に笑った。


 ずっと前から、何度も、何人もから言われ続けていることだ。

 その度に返す答えも、ずっと同じ。


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」


 栄小母は納得いかない様子で食い下がる。


鷺信ロシン先生からだって熱心に勧誘されているんだろう?

 これからのことを考えるなら、診療所で働くのも手じゃないかい?」

「先生には鷺学ロガクがいるじゃないですか」

「その鷺学だって……噂をすれば」


 栄小母が声を落とし、含み笑いで見遣った方につられて顔を向ければ、医師の白衣の裾をぱたぱたと鳴らしながら、息を切らして駆け寄って来る青年があった。


「皓皓!」

「やぁ、鷺学」

「今日は遅かったじゃないか。何かあったのか?」


 栄小母たちにしたのと同じ説明を繰り返すと、鷺学は神妙な面持ちで、


「やっぱり里で暮らした方がいいんじゃないか?」


 と、栄小母と全く同じことを言った。


「いいんだ、僕は。今はまだ」

「今はって、皓皓だってもう十五だろう? そろそろ将来を考えてもいい頃合いじゃないか。父さんだって君なら是非、って言っているのに」

「僕はただの薬売りで、医師にはなれないよ。診療所は鷺学が継ぐんだし、鷺朔ロサクもいるだろう。人手は十分じゃないか」

「朔はいつか嫁に行く」

「鷺学もいつかはお嫁さんを貰うだろう?」


 鷺学が口を開けたまま声を出さなくなる。隣から横目を向けていた栄小母が、呆れた様子で肩を竦めた。


「そう言えば、今日は鷺朔と一緒じゃないんだね」

「あいつは父さんの手伝いさ。最近、診療所が大賑わいでね。嬉しくないことだけど」


 鷺学の家は診療所だ。

 彼の父、鷺信先生は里の外まで名の響く腕の良い医師で、薬売りだった皓皓の養父との付き合いは古い。養父が亡くなった後も、後を継いだ皓皓を何かと気に掛け、薬や薬草の仕入先として贔屓にしてくれている。

 お互いいつも父親にくっついて歩いていた皓皓と鷺学は、自然と親同士の仲を引き継いだような関係になっていた。


「風邪でも流行っているの?」

「風邪より質の悪いものかもしれない」


 鷺学はまだ聞き耳を立てている栄小母をちらりと見ると、薬の包みを受け取るふりをして顔を寄せ、声を落した。


「高熱が何日も続いたり、体中に湿疹しっしんが出たり。ここのところ、同じような症状の患者が異様に多いんだ」

「感染症?」

「かもしれない。でも、原因がわからない。

 必ずしも身近な人同士で移した移された、って様子でもないし。同じ場所に行った、同じ物を食べた、なんて共通点もない。

 ただ、症状だけが同じ」

「ひどいの?」

「いや、今のところ、深刻な状態の人は出ていない。

 みんな従来の治療で十分回復している。皓皓の薬が良く効くお陰だな」


 少々わざとらしくも、鷺学の賞賛に皓皓は表情を和ませた。


「なら念のために、解熱剤と、湿疹に効く塗り薬も持って行くかい?」

「ああ、そうするよ。それと、またネツサマシを集めておいてくれないか?」

「わかった」


 ネツサマシは、解熱剤の材料になることから、そう呼ばれている薬草だ。

 丸い葉の裏が赤みを帯びているのが特徴で、初夏には白く小さな花が咲く。

 日陰の岩場に自生するので、里より山の中での方が集めやすい。


「助かるよ。実は、今年は畑も不作でさ。米も野菜も、全般的に収穫が少ないらしい」

「夏があまり暑くならなかったからかな? 雨も多かったし」

「そうなんだよ。川の氾濫もあったしなぁ」


 皓皓が申し訳程度に一人で耕している菜園や、山に自生する植物には、いつもの年と目立って違う様子はない。

 だが、鷺学の深刻そうな口調に、皓皓も不安になってくる。


「嫌なことって重なるものだね」


 鷺学が言いにくそうな素ぶりで、その裏では言いたくて堪らないのが目に見えた態度で、話を切り出した。


「噂なんだけどさ……弟皇ていおう様の皇子様の話、聞いたことある?」

紅榴山こうりゅうさんの奥深くに宮があって、そこに皇子様が住んでいる、って話?」


 子供の頃から囁かれ続けているその噂を、皓皓はいまいち信用していなかった。

 正直、眉唾ものだ。


 紅榴山は皓皓が住む山より更に奥にそびえる高山で、山暮らしの皓皓に言えたことではないが、とても住み良い環境ではない。皇宮おうきゅうのある都からも遠く離れている。


「確かに紅榴山は皇家の領地で、民間人の立ち入りは禁止されているよ。でも、一国の皇子様がそんな辺境で暮らしているわけがないじゃないか」


「その皇子様が『忌子いみこ』だとしたら?」


 吸い込んだ空気が、喉でひゅっと音をたてた。

なるべく動揺が態度に現れないように、胸に置いた片手を握る。


「皇子様が忌子だなんて知れたら一大事だから、都から離れた辺境に隠れ住んでいるのだとしたら?」

「それこそ、ただの噂だよ」

「だって、変だと思わないか? 兄皇けいおう様のところは上の皇子皇女様も、下の皇女様たちも、全員御目見得されているのに。弟皇様の皇子様だけ、名前も公表されないなんて」


「鷺学は……近頃続く厄災は、皇子様が忌子だからだ、って思っているの?」


「筋は通るだろう?」


 こくり、と唾を飲む。

 冷たい汗が背中を流れた。

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