第二話 片羽(二)


「興味深いことを話しているね?」


 二人はすっかり話に夢中になり、途中から声を抑えることを忘れていた。

 いつのまにか鷺学ロガクの後ろに立っていた青年が、首を伸ばして皓皓コウコウの露店の茣蓙ござを覗き込む。


「ここは、薬屋か。君、若いのに大したものだね」


 見たことのない顔だった。この里の物ではなさそうだ。


 年の頃は鷺学と同じくらいか。

 さくできっちりを髪を包んでいるところや、見るからに上等な着物、どことなく品があるふるまいからして、遠方からやって来た豪商の息子、とでもいったところだろう。


 見知らぬ相手に口を挟まれ、鷺学がむっと機嫌を悪くする。


「ただの噂話だろう? みんなしている話だ」

「へぇ。この里では、弟皇子ていおうじについて、みんなそう話しているのかい?」


 相手は大仰な仕草で驚いて見せる。

 鷺学が重ねて言い返そうとした時、福小父フクおじが横から手を伸ばしてその頭を叩いた。


「皇族の方に対して滅多なことを言うものじゃない。弟皇ていおう様の皇子様は生まれつきお身体が弱くて、ご公務にお就きになられていないだけだ」

「でも、」

「鷺学」


 渋い顔の栄小母エイおばの目配せで、隠しきれなかった皓皓の表情に気付き、鷺学がはっと言葉を呑んだ。


「違う。違うんだ! そういうつもりじゃなくて……だって、皓皓は違うだろう?」


 その時、人混みの中から、誰かが言った。


「何も違うことなんてあるもんか。だって、そいつは『片羽かたはね』じゃないか」


 通りを行く人々が、一斉に足を止める。

 ざわめきが漣のように伝播でんぱした。


「君は、片羽なのかい?」


 くるりと丸くなった青年の目に見据えられ、皓皓は顔を俯けた。




 この世界では、人は必ず双子で生まれる。

 生まれる時に神から与えられる力が、一人で抱えるには強大過ぎるためだ。

 そう言い伝えられていた。


 この『鳳凰之国ほうおうのくに』をつかさどる火の神は鳥の姿をしているらしい。

 当然、皓皓はその姿を見たことはないが、そう教えられてきた。

 だからこの国の民は火の神の恩恵で、鳥の姿に変化することが出来るのだ、と。


 ただし、二人で一つ、一人に半分ずつしか与えられていない力では、羽が一枚では、空を飛ぶことは出来ない。

 『鳳凰之国』の民が鳥になるためには、必ず二人が一対になる必要がある。

 火の神の加護を受けた『鳳凰之国』の民は、二人が手に手を取ることで鳥になる。

 鳳凰之国に限らず、隣国の『麒麟之国きりんのくに』でも『狼狽之国ろうばばいのくに』でもそれは同じ。

 人が神の力を借りて瑞獣ずいじゅうの姿を取るためには、二人が一つにならなければならない。


 この世界では、人は必ず双子で生まれる。

 それでも極稀に、一人で生まれてくる子供もある。

 そのような子供は片羽と呼ばれ、災いをもたらすす凶兆の『忌子いみこ』だとされていた。


 皓皓は双子の片割れ、対の相手、もう一枚の羽を持っていない。

 生まれ落ちたその時から一人だった。


 皓皓は、片羽だ。


 鷺学や栄小母、福小父のように、何も気にせず接してくれる人は沢山いる。

 そんな人たちに支えられ、今日までなんとか平穏に暮らしてきた。

 そうして自分の立場を忘れそうになる頃、決まって誰かが言うのだ。

 思い出させようとするかのように。


 おまえは忌むべき存在だ、と。


 片羽を忌み嫌う感情は、この国の人々の心底に根付いている。




「兄ちゃん、そいつ、忌子だぜ」


 人々の中から、声を上げた男が進み出た。

 市の賑わいに浮かされたのか、こんな時間から酒を飲んでいるようで、息が荒く、顔も赤らんでいる。


「そんな片羽野郎なんかに関わったら、兄ちゃんも酷い目に遭うぜ」

「僕は片羽のせいで災いに見舞われたことなんてないけれど」


 下卑げひたにやけ顔を寄せてくる男に対し、青年はあくまで冷静だった。


 しかし、皓皓は青年の物言いに、どこか引っかかりを感じる。

 まるで以前にも片羽と関わったことがあるかのような言い方ではないか?


「あの、やめてください。僕が気に入らないのならここから退きますから……」


 騒ぎはごめんだ。

 まして、自分のことで知らない人に騒がれるなど。


 堪らず声を上げた皓皓に、男が「ああ?」と濁声をきかせる。


「災いを呼び込む、忌子の片羽は黙ってろ」

「この田舎町では、未だにそんな下品な差別が残っているのかい?」


 軽蔑でも挑発でもなく、ただ素直な感想として、青年が言う。

 少なくとも、皓皓にはそう見えた。

 それに余計に煽られたのだろう。


「なんだと? 馬鹿にしやがって……」


 男が青年に殴りかかろうと振りかぶる。

 が、その手が届くより一拍早く、第三者が二人の間に割って入った。

 まるで獲物を捕らえんとする隼のような速さで、飛び込んできたその人物は、手にした棒で、容赦なく酔った男の胴体を打ち据える。

 決して軽くはなさそうな体がいとも簡単に投げ飛ばされ、男は頭から、皓皓の店に突っ込んだ。


「皓皓!」


 鷺学がぼうっとなっていた皓皓を引き寄せる。

 二人の横で、割れた薬瓶の破片が飛び散り、紙包みが破けて粉薬が舞った。


 突然の介入者は、更なる追い打ちをかけようと一歩踏み出すが、


鷹順ヨウジュン。民を痛めつけてはいけないよ」


 と青年に諌められ、振り下ろしかけた棒を脇に収める。

 鷹順、と呼ばれた介入者は、非難がましい目で青年を振り返った。


「こんな慣れない土地で、お一人で行ってしまわないでください。貴方様の御身に何かあれば、私の首ではあがないきれないのですよ」

「僕に簡単に撒かれてしまうようでは、君も従者としてまだまだだね」


 どうやら二人は主従であるらしい。

 主人の屁理屈を聞き流し、鷹順は騒ぎを遠巻きにする野次馬たちを睨み付ける。


「見世物ではないぞ。散れ!」


 彼の凄みを効かせた一声で、人々は一斉に視線を逸らし、そそくさと解散して行った。


「騒がせてしまってすまなかったね。大丈夫かい?」


 青年が気遣わしげな表情で、皓皓の顔を覗き込む。


「おや、怪我をしているじゃないか」


 青年の指摘で顔に触れて初めて、頰を小さく切っていることに気が付いた。薬瓶の破片が当たったのだろう。


「手当てしないと」

「いえ、これくらい、なんとも」

「ああ、そうか。君は薬師だったね。手当てなんて、僕らにされるまでもないか。

 なら、せめてお詫びをさせてくれ。台無しにしてしまった店の分も含めてね」


 そう言って、青年は従者を呼び寄せる。


「彼を宮にお連れしよう」


 泡を吹いて伸びている男を道端に寄せていた鷹順が、主の提案に眉を寄せた。


紅榴山こうりゅうさんの宮、にですか? でも、あそこは……」

「僕が良いと言っているんだ」

「……失礼致しました」


 青年がやや口調を強めると、鷹順は素直に口を閉じ、深く頭を下げた。


「さぁ、行こうか」

「え? あの?」


 手を取られ、立ち上がらされ、そのまま連れて行かれそうになって、皓皓は慌てる。


「おい。君たち、ちょっと強引過ぎるんじゃないか?」


 見兼ねた鷺学が止めに入ろうと手を伸ばし、青年の幘を掴む。

 ずり落ちた幘から零れた髪の一房、その色に、皓皓は一瞬、呼吸を止めた。


 赤みを帯びた金色。


 その色は、普通、この国の人間にはありえない。

 だが、その色を持つ人物の存在を、皓皓は話に伝え聞いて知っている。


「え……?」


 鷺学も、一連のやりとりを見ていた福小父と栄小母も、その場の全員が呆気に取られている。


「まさか、あなたは……」


 青年は唇の前に指を立て、黙るようにと目配せすると、丁寧に幘を被り直した。

 最早逆らうことなど出来なくなった皓皓は、ただ大人しく彼の後に従うしかない。


 大通りを抜け、街を出る。

 山道へ差し掛かる手前の、すっかり人気がなくなった所で、仰々しい武装をした兵士たちが音もなく現れた。

 皓皓たちを――いや、ここまで皓皓を連れてきた青年を、さっと取り囲む。


 身構える皓皓をよそに、彼らはさっと地面に膝を付き、一様に礼の姿勢を取った。


「御苦労様。こちらはお客人だ。乗り物の用意を」

「御意」


 すぐさま、どこからともなく車輿しゃよが運ばれて来る。それがまた、この田舎の里では見たこともないような立派な物だった。


「さぁ、乗って」


 促されても、たじろいでしまう。


「ああ、そうだ。まだ名乗っていなかったね。どうやら、君はもう気付いているようだけれど」


 そう言うと、青年は今度こそ幘を取って微笑んだ。


「僕の名はエン。この鳳凰之国の兄皇けいおうが第一皇子だ」

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